クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

海老とサワークリーム

遠い微かな記憶によると、胡麻を煎る専用の道具、胡麻煎り器というものがあって、ミルクパン程度の大きさのフライパン状のものに、網がついていた。

 

煎った胡麻を料理に使う時は、そのつど煎っていた。家庭内のことだから、煎った胡麻を使った料理といったって、せいぜい胡麻和えとかそんなもの。煎りたての胡麻は香ばしくて、香ばしかった胡麻の匂いの記憶は微かになっても、既製品で済ますには抵抗があった。

 

煎るという行為が家庭内に残るのは、一体いつまでと思いながら今年もごまめを作る。できたてが美味しいものほど、既製品で代用すると美味しさが伝わらなくなって、扱いも小さくなりがち。

 

胡麻を煎るための、専用の道具さえあった。当時の胡麻の生産量や消費量、さらにいえば輸入量や輸出量をサラダ油と比較するだけで、なんらかの盛衰が浮かび上がってきそうで、道具ひとつ調味料ひとつからでも仮説を立てられる想像力があると、暇つぶしの強い味方。

 

掛け算で消費を増やしたかったら観光地に観光客で、簡単に一般家庭での消費量の数倍になる。個々の家庭では消費量が落ちがちなものは家庭の外に出して、トータルの消費量が落ちないようにすると、供給も減らず減らされずにすむ。

 

その種の駆け引きの結果が、“家庭よりも大きな冷蔵庫”の中身なんだと思う年の瀬。

 

2020年を今年食べたもので振り返ってみると、個人的には海老とサワークリーム。パスタの出番が多かったのはきっと巣ごもりの結果で、パスタに限らず炊き込みご飯系で一品で済むようなものが多くなったのも、きっと巣ごもりのせい。

 

海老を大量に使ったエスニックなカレーのレシピと、サワークリームを使った煮込み料理は、今年初めて試してみたもの。作ってみたいと思うレシピはエスニックや洋風に偏りがちで、和食に回帰しないのは新しいもの好きと言えるのかどうか。

 

エスニックな海老カレーは、もともと無糖練乳を使うようになっていたけれど、無糖の練乳そのものがすでにレアものだった。恐らく、もう家庭料理で使うような調味料ではなくなったってことで、代わりにココナッツミルクでも試したみたけれど、どちらにしても一度では使い切れなかった。

 

一度では使い切れないから、残ったココナッツミルクの利用法を探してやっぱりエスニック料理のラクサにたどり着き、ラクサにより合う麺を探すと沖縄のソーキそばならどうだと思い付いた。思い付いただけで実行には移さないままなのは、食材の調達というハードルがあるからで、多国籍な調味料や食材がすぐ手に入るのは、やっぱり多国籍な場所。

 

ボルシチに馴染んでいたのは、缶詰ながらビーツは簡単に手に入る環境で過ごしてきたからで、ボルシチに代表されるロシア料理でさえフツーだったのは、外食の選択肢にその種のレストランもあったから。

 

人口規模が、それなりかそれなり以上。大学に代表される高等教育機関の数も、それなりかそれなり以上だと多国籍になっていくのが自然で、自然な流れとして多国籍な住民の好みを反映して、外食の選択肢も多国籍だった。

 

外食の選択肢も多国籍から国民食にシフトして、国民食にシフトしながらもよーくみると各々のテイストは多国籍だとローカライズが進行中ともとれる。ローカライズが絶賛進行中だから、よりホニャララっぽい振る舞いが望まれて、そんな時はルーツに近い振る舞いこそがタブー視されるようになるのかも。

 

例年に較べれば、あちこちに出掛けるわけにはいかなかったから、食べたものがより濃厚にその年の過ごし方を表している。食べたものから個人の生活ではなく、その国の暮らしそのものが例年よりより濃厚に垣間見える。そういう年が、終わっていく。