クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

在庫の山

雪が降ってる方が案外暖かくて、雪が降らないままだとただ冷え込んでいくだけのような気がしてならない今朝は、とっても寒かった。寒いんだけど、例年より雪は少ないまま。少ないから、本当なら今頃は雪の下で埋もれているはずの銀杏の実が、未だに臭い。

 

すべてを白く覆い隠してくれる雪は、時として消臭剤にもなっていた。ただ今年は消臭剤の効き目、今んとこ薄げ。

 

いつ終わってもおかしくないものが延々と続いていると、最初期にいつまでも続きますようにと仕込んだ仕組みがよっぽど上手に回ってんだな、と思う。いつ終わってもおかしくないものが延々と続いている、その秘訣はやっぱり中の人しか知らないもの。

 

作る側に立つ方と、売る側に立つ方とでは、時として利害が衝突する。

 

生産休止が近く在庫を多数抱えたものは、新製品が出るとわかっていてもその事実を伏せて、できるだけ在庫を減らしたい。在庫を減らしたいあまり、買う側に立つ方に対して不正直になって、新製品が出る事実は伏せて在庫を押し付けがち。

 

新製品の方が飛び切り魅力的なのに在庫を押し付けられたと気付いた方は、売る側に対して不信感を抱きがち、次は別のところで買おうとしがち。

 

ところが買う場所や店を変えたところで、結局はいつも不正直申告に振り回されるだけだとしたら、結局のところ売る側に立ってるのは、競争原理が働かない、カルテルのようなものなんだと気付く。

 

例えそれが、最終的には在庫調整に最適な合理化のためであっても、協調して自由競争を損なうのは、あかんやつやん。という場合、協調してないと言い抜けができるような確実な証拠がひとつでもあると、いい隠れ蓑になる。

 

知恵を付けて回ってるのは、きっといつも一緒。

 

例えば何か新しいことを始めたために、必要なものが売ってもらえないという経験を経て生産、ものを作る側に回った時、ぶつかる壁やボトルネックになるものも大体いつも一緒。

 

一緒だから、販路の開拓に過剰在庫のさばき方や、逆にモノが回って来なくて売るものに困った時。あるいは今どきだったら労働力不足とか。困った時には知恵を貸し、場合によっては人材も派遣するけれど、代わりにこちらのお願いもきいてね☆今すぐじゃないんだけど。

 

という相手と取引きしたが最後で、何しろ経験値と蓄積や集積、あるいは汲めども尽きぬ人材の宝庫とか。どれひとつとっても叶いそうにない相手とどう戦うかと言えば、新しいフィールドしかない。

 

新しいフィールドに一番に乗り出しているのも、きっといつも一緒。ハツモノの時にはいっつもいる、あるいはハツモノの時にしか見ないというメンツに、入れ替わりやあるいは総とっかえが起こった時が、本当に世代交代が進んだ時。

 

世代交代が進むと序列の逆転が起こり、序列の逆転に合わせて、今までいっちゃん割りくっていて損な役回りだった何かが浮上する。そういう序列の逆転は過去に何度も起こっているから、どう序列が変わろうと得することも割を食うこともなく「今までどおり」でいられるのも処世術のひとつ。

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何もかも変わったように見えるなかで、なーんにも変わってないのは不自然極まりなくて、不自然極まりないから何か細工があるように見えるんだな、きっと。増やすのは簡単で、ただ減らないようにするのはいつだって大変さ。

物は考えよう

レコードがCDになってCDがストリーミングになるように、何かを楽しむ時の主要なメディアが切り替わるたびに抜け落ちるのは、ビギナー向けの情報。

 

ビギナー向けの情報は、相手がビギナーゆえに嘘やニセ情報を吹き込むのも簡単で、簡単だから嘘やニセ情報でも広告として使える。

 

本当はそんなもの、この世には存在しないし今だかつて存在したこともない。

 

その種のものを嘘やニセ情報の中に混ぜ、さも実際に存在するかのようにリテラシー低めの層を狙って広告し、本当だと思い込んだ人の数や問い合わせが増えて採算ラインを超えたら本当にする。

 

損も在庫も抱える余裕はなし。だけど“メーカー”という看板を掲げている以上は何かを作らなきゃならない。余裕はないから確実に売れるものだけ作りたいし、どうせでっちあげるなら、一つも二つも三つも四つも一緒。

 

という虚実が入り混じると、実態なんて簡単に揺らぐ。

 

実態を揺らがせたい側にとっては大歓迎で、揺るぎない実態しか求めてない側にとっては大迷惑。双方の仲が悪いままだと緊張状態が保て、相互監視にもなるけれど、双方が手を取り合ってお互いを便利に使いだすと馴れ合いの始まり。

 

緊張に耐えられないと馴れ合いになだれ込みやすく、緊張に耐えられないのは競争とは無縁だった方。アラ、“競争のない社会“が往々にして腐りやすく、腐敗しやすい理由がなんとなく感覚的に理解できた気分。

 

桁違いの札束が実弾として飛び交うバブルに沸いた経済戦争に、ビンボーだったから参戦できず、結果として対岸の火事に終わってバブルが弾けたあとも無傷で居られた。という故事や教訓は、実際に無傷で生き延びた側にしか伝わってないもの。

 

スッカラカンやすってんてんに比べたら、ビンボーの方が断然マシ。

 

スッカラカンやすってんてんになってしまったら、よりごのみする余裕なんてないから何でも受け入れるしかなくなる。どうやっても受け入れられないものを受け入れてしまうと、感情なんて速やかに失われ、誰かの命令を聞くだけの意思のない物体が出来上がる。

 

人だったら考えるし、喜怒哀楽という感情の持ち合わせもたっぷりある。

 

考えることも感じることも手放すのは、最後の最後。手放した瞬間から、人間扱いなんてしないしされない。古代文明の昔にならえば、ピラミッドや古墳、あるいは万里の長城だって築けるはずの金銀財宝ザックザクなのに、実際はそうならない現実に苛立ってる。

 

ヒエラルキーの遥か高みに、傲慢な人が実際にいたらそのくらいしそうではあるんだけど。

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ビギナー向け、初心者向けに嘘吹き込む奴は、ろくなもんじゃない。

現実はそうなってるわけでもなく、どっちかっていうと持たざる側にスリスリすり寄ってくるようだと、金の生る木は持たざる側にこそあるんだってことかもね。

面影

単に一から十、あるいは一から百や千まで徹頭徹尾お金の話でしかないんだけど、金くさい話になったらいつでもどこでも首突っ込みにくる勢がいるから、あからさまに金くさいお話ができないようになってるもんなんだけど。

 

何を言ったかより誰が言ったかで、その意味がまったく変わってくる筆頭は美辞麗句。

 

例えば分断。分断はよくないから、分断を超えて団結しましょう。ひとつになりましょうと呼びかけてる母集団が、やらずぶったくりのぼったくり集団だったとしたら、ひとつになった途端に同じようにやらずぶったくりにぼったくりを強制される危険性がある。

 

通過儀礼として、不法行為スレスレあるいは不法行為そのものを強制して、集団への一体感を深めるという伝統が、あるところにはあったもんだけどさ。例えば大学の友愛組織、フラタニティとかさ。今でもあるのかどうか知らんけど。そんな行為は、集団への帰属を明らかに求めてる者同士でしか通用しない。

 

極端な例えだけど美辞麗句は、数の力で道理を曲げたい・踏みつぶしたい勢に使われると、台無し。

 

台無しになるとわかってるから、数の力で道理を曲げたい・踏みつぶしたい勢は、数の暴力と言われないために、美辞麗句の持つ効果や効用を最大化できる人材をいつだって求めてんでしょ。鬼や怪物は作りやすく、作りやすいから量産も可能で簡単さ。

 

ほんとは単に数の力で暴力でしかないんだけど、総意ってことにすれば、総意になるよう仕向けた個人の罪は問われないし、明らかにもならない。その手順が手慣れていたら、何度も繰り返してる常習犯だってことになる。

 

常習犯が集えば効果もより高くなり、常習犯のなかに混じった右も左もわからない初心者は、すみやかに朱に染まって赤くなる。そうやって違う意見や異なる見解をふみ潰していけば、速やかにみんな一緒になれる。

 

感情を殺すことに慣れ、作業に慣れた人からは、どうして?という疑問は生まれなくなる。

 

挙国一致は削除対象で、年齢や人種にバックグラウンドが異なる多様性のある集団が本当に多様だったら、一人くらいはNOと言う。異なる意見が出る方が自然で、出ないのは不自然。NOと言う人が誰もいない多様な集団は、見た目が違うだけの金太郎飴で、結局は同根で同類が、不自然に一ヶ所にかき集められたと考える方が自然さ。

 

その種の不自然は、データから見るときっともっとあからさまで、不自然をあぶり出したいからデータと向き合うんだと思ってる。

 

世界中どこに行ってもいっちゃん食いつきのいい話題は金くさい話で、どうオブラートにくるんでも結局は金くさい話にしかならないんだったら、世界に出る意味なんてないじゃん。

 

と、引きこもってお金のことしか考えなかった人は、お金そのものをコレクションするという伝統芸のアップデートを考えてたのかも。

 

奥が深くて極め甲斐があるから伝統芸に目を向けたところで、伝統芸を嗜む行為だってお金そのもののコレクション化につなげようとするのが、金くさい話が好物で大好き勢。数が増えたら、それまで意味があってそうなっていた序列も台無しで、世界中の人から見てわかりやすくなりましょうとか言われそうで、わかりやすくなった伝統芸からは昔日の面影なんて速やかに奪われる。

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黄色くなった後は、ハラハラと落葉するから落葉松なんだな。。

奥が深くもなく、極め甲斐もない。昔日の面影が消えたら、何が残るのさ。ローカルティを失ったローカルの、どこに魅力を感じればいいのかわからないのと一緒で、どこも一緒になったら台無しもいいとこ。

勝手に注がれる

今だってパパのことが大好きなのに!!!と、言われた瞬間にデレッとどこまでもだらしなく伸びる鼻の下に、全身に漲る謎のパワーとか。

 

あるいは、やっぱりオフクロの作るホニャララが一番うめぇや。。と、ボソッとつぶやかれた瞬間にシャキーン!と10歳くらい若返ってテキパキハキハキ張り切って活動し始めるとか。

 

才能や能力が偏在するように、母性本能や父性本能も偏在しているもののひとつ。有り余るほどたっぷり持ってる人と、そもそもあんまり持ち合わせのない人と。その落差も激しい。行き場のない母性本能や父性本能を、くすぐって動かす(あるいは転がす)のが上手な人は、母性本能や父性本能を信じてる。

 

目には見えないけどあるとわかってるから、上手に転がすことができる。

 

その逆に、信じていないし信じられないものは、目にも見えないし感じることもできないから、上手に転がそうとしたって土台無理。

 

どういう状況やシーンなら、母性本能や父性本能がより強く発揮されるのか。愛情を注がれまくって育つと、体感的に知っている。知っているから甘え上手でおねだり上手になって、欲しいものもちゃっかり手に入るようになっている。

 

親やその他、愛情に囲まれて育った恵まれた環境にある人が、時により多くを手にしてるように見えるのは、単に甘え上手でおねだり上手だから。与えることや甘えて頼られることが喜びとなる人達に、敢えて甘えておねだりすることで喜んでもらい、その対価を手にしてるだけ。

 

与えて注ぐ行為そのものが喜びだから、他者や第三者の目から見るときっと過剰。

 

過剰だから、与えられた経験も注がれた経験もなければ理解不能な領域で、与えられたことも注がれたこともない集団の中に、与えられて注がれまくった個体が混じると悪目立ちして分断が起きる。

 

父と娘、母と息子にファザコンとマザコンという組合せは、一種の永久機関でエネルギーを外部に頼る必要がない。外部に頼る必要がそもそもないから、無駄にエネルギーを消耗することもない。

 

シックスポケットにプラスアルファで両親以外の愛情もたっぷり受けて育つ、逆三角形の下の方は、どの内部エネルギーに頼るか選べる立場。渋いエネルギー源と大甘エネルギー源と。時々で使い分けながら、居心地のいい場所を探すだけ。

 

めちゃくちゃ甘―い飴くれるんだけど、その分鞭も厳しい相手から効率よく飴を摂取するもよし。飴ばっかり食べ過ぎて安穏とし過ぎた辺りで、ちょっと鞭に打たれるもよし。所詮は永久機関で内部で完結してる関係だったら、外部の鞭に比べたらずっとマシで鞭だって甘い。

 

数が増えるとそれまでの秩序は崩壊する。

 

秩序が崩壊したあとに始まる、新たな一等賞は誰だ競争では誰もが飴の大放出になるから、逆三角形の下の方にいると、飴食べ放題で甘やかされる。

 

溺愛されて育つとその種の気配にも敏感で、敏感だから、甘やかされるのが大好きで愛情が好物の人は、今頃ちゃっかりそのポジションに収まって、きっとニコニコしてる。

 

どう転んだって、愛情が勝手に注がれる。

 

その立場を存分に利用するのは単に得意を生かした姿で、得意気が時にネガティブに通じるように得意をひけらかすと、だいたい僻まれる。僻まれるのがイヤでひけらかさないことが美徳に繋がる集団の中に紛れ込んでたら、そりゃ悪目立ちもするさ。

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ちょっと前の景色。また雪が積もれば、今日か明日にでも復活してるかも。

体感的には今年の方が暖かくて雪も少ない。多少雪が積もったところですぐに融け、地面が顔を出す。予報では、明日から雪が続く。そしたらもうちょっと冬景色っぽくなるかも。

先月食べたもののふりかえり

お金持ちのはずなのに、セコイやん。というセコさが目立つ時は、入ってくるお金以上に出ていくお金が多いからだと思ってる。

 

その辺で安価に出回っている、大量生産かつ大量消費向けの既製品には手が出せない理由があったら、出ていくお金は高どまり。

 

最先端のことをやってるはずなのに、なーんでこんなもの作って売ってるの???と思うようなことがあったもんだけど、今ならわかる。最先端のことをやり始めたから、売ってもらえなくなって困って何でも自分たちで作るようになったんだ、と。

 

どれだけお金があっても、売ってもらえず手に入らなかったらどうしようもない。苦労して開拓する販路も、後から通行料が入って将来の我が身を楽にしてくれると思うから頑張れる。楽にならないとわかってたら単なる苦行で罰だから、頑張らないのが大正解。


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しみじみと美味しい、きのこと鶏肉の照り焼き。


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カレーは、翌日以降の残り物で作る焼きチーズカレーの方が楽しみかも。


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しつこく追い掛け回す側と、追い掛け回す相手から逃げて駆け込めるようになってる逃避先は、だいたい一緒で同類で同根だと勝手に思ってる。禁止事項が明文化されていて、信賞必罰もクリアーかつ説得力のある場所と、その真逆と。どっちが好まれるかなんて、考えるまでもない。


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丸くて大きなバゲットの一種ブールでピザトーストを作ると、ピザっぽい。


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着色料なしできれいなピンク色に染まる紅玉は、クッキングアップルとしてやっぱり超優秀。


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余った餃子の具をトッピングしてマフィントーストに。チーズさえあれば何でも無問題。


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  • きんぴらご飯、赤カブの酢漬け、豚汁、ほうれん草としめじのおろし和え、柿 
  • きのこと鶏肉の照り焼き、青菜、ポテトサラダ 
  • きんぴらご飯、赤カブの酢漬け、黒豆煮 
  • きのことベーコンのペペロンチーニパスタ 
  • きつねうどん 
  • 鶏のからあげ葱ソース、黒豆煮 
  • うどん、揚げ出し豆腐、北寄貝の煮付け、山菜の煮物、自家製ポテトチップス
  • 鯖缶と昆布に梅干しの炊き込みご飯、山菜の煮物、ポテトサラダ 
  • 豚バラ肉と大根の煮物、コールスローサラダ、クラゲときゅうりの和え物 
  • カブと鶏肉のクリームシチュー、コールスローサラダ 
  • ビーフピラフ、コールスローサラダ、カブのマスタード和え、クリームシチュー 
  • 長芋の豚バラ巻き、ほうれん草とツナとトマトのサラダ、クラゲときゅうりの和え物 
  • 餃子 
  • マカロニグラタン、キャロットラペ 豚バラとれんこんのオイスター炒め、茶碗蒸し 
  • 豚肉の塩釜焼き、サーモンとかぶのマリネ、いんげんのホットサラダ、アボカドとトマトのディップ、キャロットラペ、マシュマロとナッツのお菓子、レバーペースト、カマンベールチーズのブルーベリージャム添え 
  • しめじときのことタケノコの和風パスタ、かぶとサーモンのマリネ 
  • 牛すじトマトカレー、キャロットラペ 
  • 焼きチーズカレー、海老フライタルタルソース、切り干し大根と帆立のサラダ
  • 鶏肉とハツとごぼうの煮物、切り干し大根と帆立のサラダ、めかぶ、白花豆煮 
  • 大根と牡蠣の炊き込みご飯、厚揚げとフキの煮物、山芋とオクラのマヨネーズ和え、白花豆煮 
  • 大根と牡蠣の炊き込みご飯、厚揚げとフキの煮物、味噌汁、白花豆煮

豚肉の塩釜焼きは、作ってる工程が何よりも楽しかった。

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こーんがり焼けた塩釜を、パッカーンと割るのも楽し。

火が通り切らなくても、ローストビーフっぽく食べられる牛肉と違って豚肉だから、焼き上がりまでドッキドキ。何しろ中身が見えない。加熱し過ぎてちょっとパサパサになっちゃったけど、赤ワインのお供用に用意したカマンベールチーズとブルベリージャムをディップのようにつけて食べると、ちょうどよかった。

 

中身が見えず、手も出せない状態は、見方を変えればエンターテイメント。次は豚肉以外でもやってみたくなった。

 

個人的にご馳走といえば、ケーキ三昧。誰かに食べさせるためだから栄養バランスにも気を使うのであって、自分のためだけだったらもっとテケトー。誰かに食べさせるためという目的がなくなると、食卓の風景もずいぶん変わる。

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一人で食べようとすると、これくらいが限度。

独り暮らしや個食が増えて、各人が各々の趣味や嗜好のままに好き勝手にお腹を満たすようになると、食事とひとくくりにはできないほどその内容も変わり、変わった内容から真っ先に抜け落ちるのはきっとバランス。

 

バランスの崩れたものばかり食べ続けるようになると、最終的にはバランスがわからなくなる。バランスがわからない人が誰かのために作るようになると、アンバランスの連鎖が続く。

 

お手本がないと、崩れるのも早い。

負担も1/4

冬は白。秋は黄色に赤で、夏は緑。そして春には色とりどりの花が咲く。

 

くっきりはっきり。季節の移り変わりがより顕著に感じられるのは、冬には白一色が必ず体感できる、雪が降る地域の方。雪が降って凍り付くから、被写体にだって選ばれる。

 

絵になる景色を被写体にすれば、もれなく人間が写り込むほど人口が増え続けると、キレイな景色に最も邪魔なのはどこでも人間という状況が、きっとくる。そうなるとカメラに求められるのは、マイナス5歳肌で実物よりもキレイに見せる技術よりも、邪魔なものは素早く消すことができる機能になるかもね。

 

ナイスショットに邪魔な人間は、スワイプして素早く消去。ナイスショットに邪魔な建物も、やっぱりスワイプして素早く消去。

 

という作法が条件反射で身に着いた、“より美しく“のために障害となるものはことごとく取り除き、編集を厭わない態度そのまんまで現実と向き合われると、出来上がってくるのはきっと現実を反映しない姿。

 

あるはずのものがないと実物を見た時に感じるのは違和感で、違和感を感知できるくらいならまだ編集の痕跡もしっかり残っていて、残っているから編集済みだと気付くこともできる。

 

現実は反映せず、あるはずのものももうすでに失われてしまってとっくにない。という現実を隠すためには、ナイスショットのためにはどう考えても邪魔なんだけど、あるはずのものはもうないとバレてしまうよりマシだからと、ナイスショットには邪魔なものを登場させ続けることになる。

 

現実を反映しない世界を作り込み過ぎると、作り込み過ぎた世界に現実も寄っていくことになるかも。

 

コト消費が行きつくところまで行きついた果ては単なる刺激合戦で、刺激を求めすぎて過激に走って過激に慣れすぎると、もう一面の雪景色を見ただけでは満足もできなくなる。過激に慣れすぎると“ほどほど”がわからなくなり、なんでも過剰になりがち。

 

ほどほどと、上手にお付き合いできる人たちから目を背けられるのが過剰になり過ぎたもの。

 

足し算ができないと、引き算もできないという考えもあるんだけどさ。足していくばっかり、あるいは引っこ抜いていくばっかりなのは、ほどほどと上手にお付き合いできない何よりの証拠。

 

例えば常夏、あるいは常春。季節が一つしかないと、メリットもデメリットも深掘りされる。一つしかないものは、大体ほじくり返していじくり回される。周囲の扱いが過剰になりがちで、だから季節が四つもあれば、メリットやデメリットをあげつらう声も、一つしかない時に比べればきっと控えめ。

 

ほじくり返していじくり回されるような扱いも、一つしかない時に比べたら負担は1/4になるはずで、一人や一つで背負うと大体何でも重くなる。軽いからと、一人や一つで背負ってたはずのものも大きく重たくなると、背負いきれなくなって放り出す。

後始末も込みですか?

拘束時間は度外視して。1回あたりで1億やもっと。あるいはどう考えてもしばらく、少なくとも1年は遊んで暮らせるお金が得られるお仕事と。

 

1回あたりは千円ほど。あるいはもっと少額で、どう考えてもそれだけでは生計が立たないけど、拘束時間が少ないから本業との両立は可能なお仕事と。どちらの仕事がイメージしやすく“身近”かといえば、断然後者。

 

塵も積もれば山となり、1回千円なら10回で1万円。もっとがんばれば、2万円程度が副収入になるという目算があったらよりイメージしやすくなり、2万円リッチになったらやってみたいことリストくらいすぐに出てくる。

 

その反対に、1億やもっとリッチになったらやってみたいことリストをすぐに出せと言われても、個人で事業をやっていればともかく。持続可能なお金の使い道を考えたら、やっぱり貯金や貯金代わりの金融商品を買うくらいしか思いつかない。

 

ゼロの桁がもっと増えて、普通の電卓ではもう計算もできない金額になればなるほど、リッチになったらやってみたいことリストはひねり出すのも難しくなる。

 

リッチになったらやってみたいことを、やってみたはいいんだけどさ。バナナはおやつに入りますか?みたいなもので、後始末の費用は度外視していいんですか?とまずは確認したくなる。

 

後始末の費用込みで、億を超える金額でリッチになったらやってみたいことリストを考え始めたら結局は公共事業に寄っていきそうで、だったら最初から、四六時中公共事業について考えてる人にやってもらえればいいじゃん。みたいなオチになる。

 

後始末のことなんてなーんにも考えず。ただ使いたいように桁外れの大金を使うだけ。お金溶かすだけの役をお願いしますと頼まれて、気軽に引き受けられるのはお金の怖さを知らない人だけ。

 

メディアは寡占状態で、情報の流通経路も限られていたふた昔、あるいはもっと昔。日本人なら誰もがその名前も顔も知っている、トップアイドルだった人は口数も少なく静かな人だったとか。そういうイメージを定着させたかったからかもしれないけど、頻繁に広告に引っ張り出されるような人だったから、納得する面もある。

 

商品となった自分の周囲で大金が動くのを目の当たりにしたら、迂闊なことはもう言えない。アイドルの発言に一喜一憂する熱狂的なファンだって、迂闊なひと言でどんな行動に出るかわからない。

 

アイドルそのものの希少価値も今よりずっと高かったから、そのひと言の重みもずっと重たく大きかった。だから迂闊なことも、ほんのちょっとの好き嫌いであっても軽々しいことは何も言えないから口数が少なくなるのも道理だった。

 

大金が動き、動く大金に合わせて誰かの人生も一緒に動くなら、台本や打ち合わせ済みのことしかもう言えなくなる。

 

アイドルという商品である以上、商品価値を高めるためには台本も打ち合わせもないことは口にしないし喋らないのは、生存戦略として有利で必要で、生存戦略に従順な人ほど公式には無口で口数も少なかったのかなと、今だったら思う。

 

当時はテレビには出ないタレントやミュージシャンもいたんだけど。それも生存戦略の一環で、つい余計なことを喋りがち舌禍を起こしがちという、自身の気質と拡散装置として抜群だったマスメディアの影響力を天秤にかけて、出ないことにしてた人もいそう。

 

希少性が薄れた今となっては、親しみやすい方がなにかと有利で知名度向上にも役立って、お喋り上手な方がお得に見えるからのSNSへの大進出で、そりゃ世代交代も進むわな。

 

後始末のことなんてなーんにも考えなかったら、気軽に何でも引き受けられる一方で、後始末も込みだったら、気軽には何でも引き受けられない。

 

始末の悪いことに、後始末も込みで気軽に大金が動いて大金と一緒に誰かの人生も動くようなことは、大金が動く怖さをまだ知らない人の前にこそまず最初に転がり込んできそうで、転がり込んだチャンスのはずが、いつの間にか火の車を一生懸命回すことになってるかもしれないから怖いんだ。

 

大金が動くことそのものよりも、大金ごと火の車に勢いよく突っ込んで行きそうで、だから大金が出口やはけ口を求めて蠢いていると、おっかないったらありゃしない。