クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

長くて言いにくい

お近づきになるなら、頭がよくて優しい人。その逆に、決してお近づきになりたくないのは、頭はいいけど優しさに欠ける人。

 

優しさに欠けるけど頭だけはいい人は、たいていの場合超がつくほど利己的で、自己の目的を最大化するにも躊躇ない。ためらいもなく、自己の目的や利益の最大化のために他人を利用する。感じ悪い人、イヤねぇ。

 

最初は無邪気にただ面白い、ためになると受け入れていたもの。二度目になって違う目違う視点で見直すと、臆面通り受け取るには気持ちの悪さが勝り、三度目ともなると、あぁこれは決して受け入れてはいけない危ない類のものだと気付く。なんてことはあるもので。

 

もともとあった人と人との繋がりをぶった切り、本来繋がる必要もなく繋がるはずもない人と人とを結び直そうと画策する人は、とびきり図々しくて無神経。

 

人と人とがつながり合わず、各々が各々の興味関心に閉じこもるさまは、一見感じ悪い。

 

だけど、興味関心に閉じた人と人とを強引に結び直し、集団化して何らかの社会運動に利用しようとするさまは、もっと感じ悪い。興味関心に閉じるのは、興味のないことをやらせようとする人から身を守るため。つながる必要のない人たちとはつながらないため。

 

結局は、本来つながる必要もない人と人とを無理に繋げようとする人こそが、人と人とのつながりをぶった切って感じの悪い世界を作ってる元凶になる。

 

感じ悪くて気持ちの悪いことがヘーキで図々しい人が、それも強引にやろうとしてることがステキなことであるはずがない。ステキではないことに、不本意に巻き込まれた人の姿も多数目撃されていたら、そりゃ人が集まるわけはない。

 

もともとあった人と人との関係をぶった切り、本来繋がるはずのない人と人同士を自己の目的を最大化するために繋ぎ直し、この新しい集団を作ったのは僕・私のお手柄♪と、得意そうにする他人への配慮に欠ける、図々しいさえ通り越した度の過ぎた人を、上手に形容した表現があったら便利。

 

あの人は、人と人とは繋がろうと口にしつつ、すでにある人と人とのつながりをぶったぎって孤立に追い込み、自分の目的のために人を駒にして、繋がりたくない人とつなぎ直そうとする、感じ悪いことがヘーキな人だよ。なんて、長くて言いにくいから。

シンプルイズベスト

人工知能でも答えやすい質問あるいはものの言い方を考えることは、日本語が達者ではない相手にどう言えば伝わるかと考える作業と似てる。ってかほとんど一緒。

 

多文化共生社会は、ようするにことばの通じない世界。

 

ことばが通じない相手にこちらの意図を理解してもらおうと思ったら、とにかくシンプルに伝えるに限る。投げかける問いがシンプルなほど、返ってくる答えもシンプル。曖昧な質問はそもそも理解しない、受け付けないとわかってたら、ほのめかしや曖昧な問いかけもしないもの。

 

こちらの意図に沿うような答えを引き出したかったら、問い方を変えるしかしょうがない。

 

超高性能でレスポンスのいい人工知能ならともかく。廉価な普及版に搭載されてる人工知能に期待できることなんて、大してなし。レスポンスの悪い人工知能に問いかけるのも、ことばが通じない外国人に話し掛けるのも、大した違いがないように。

 

あら、これはわかるんだ。と、発見した時には意外な驚きがあって得した気分になれるだけ。

 

万葉集の昔から詠み人しらずの歌があったように、感情をことばに載せて表現する歴史が長かったから、情感たっぷりのことばに慣れてしまっている。だけど、相手が人工知能やことばの通じない外国人だったら、情感をことばから抜いた方が、意図は素早く間違いなく伝わる。

 

はい、よろこんでと言えない感情をことばに込めると、イヤミのでき上がり。

 

その種のささやかな憂さ晴らしが通じるのもことばが通じるから。そもそもことばの通じない相手に、憂さ晴らししてもしょうがない。しょうがないのにそれでもやる人は、感情のコントロールが下手くそ過ぎるから、そもそも感情労働には向いてない。

 

そもそも感情労働に向いてない人と接してストレスを感じるくらいなら、紋切り型の会話しかできない人工知能の方が、はるかにストレスフリー。

 

はい、よろこんでと言えない感情をことばや態度に込め、ささやかな憂さ晴らしの応酬として嗜み張り合いとしてきたような人にとっての安住の地なんて、いったいどこにあるのか知らんけどさ。

 

今は紋切り型の会話しかできない廉価な普及版でも、そのうちにもう少しマシになるかもね。というほのかな期待を込めて、さてどう問いかけようかと考える。

ふりかえる

時と場所。あるいは場合に応じたふるまいを、常に他者にも押し付けてる人は、率先垂範してここぞという時には自ら範を示すもの。祝日に掲げる国旗みたいにさ。

 

押し付けてるわけではないけれど、いつも説教くさくて表層として現れる現象からそう見られてもしょうがないところは、やっぱり何かしらの配慮をする。

 

あ、これ配慮知らずのAIあるいはアルゴリズムがやってるんです。という言い訳は、祝日なのに国旗を掲げてないところはどこだと目を光らせる、あら探しが得意勢と真面目に取り合わなくてすむいい口実。特定個人ではなくデータを頼りにするのも、この真面目に取り合いたくない勢と縁を切るためと思えばより納得感もある。

 

まわり回れば自分に還ってくるという考え方は、想像力が豊かな人ほどそのカバー範囲も広くなるもの。

 

子供あるいは孫といった直系親族が、もっとも確実にまわり回れば自分に還ってくる投資先という現象は、どう考えても金融商品の敗北。そして、投資先として自分の子供や孫をより愛するという現象は、どう考えても人道主義の敗北。

 

金融商品が敗北してるエリアでは、直系親族よりも頼りになる金融商品が足りてない。

人道主義が敗北してるエリアでは、金融知識の普及よりも人道主義の啓蒙が足りてない。

 

足りてないものを足すと、大抵の場合は喜ばれるはずなんだけどさ。この場合はどうなんでしょ。

 

ふりかえりというのは意外と難しくて、ふりかえるために記録をつけてた人ほどふりかえるのも簡単。20年前の大事件も、もう今となっては覚えてる人の方が少ないから同じような事件が繰り返される。

 

という趣旨の文章を見掛けたけれど、覚えてる人の方が少ない状況が同じような事件を起こすためには好都合だったら、積極的にふりかえりの機会を奪うと、同じことを何度も繰り返せる。

 

同じことを何度も繰り返したい人は、積極的にふりかえりの機会を奪い、同じことをもう繰り返したくない人は、積極的にふりかえりの機会をつくる。ふりかえりの機会を奪う人は、手口、マニュアルの独占を狙っているともいえ、その逆に、ふりかえりの機会を与える人は、手口ややり口が広まることを狙っているともいえる。

 

手口ややり口が陳腐化したあとでは、ふりかえっても大して得るものがなく、ふりかえる行為そのものが陳腐化した手口ややり口の後追いにもなり得てしまうから小休止。ふりかえるなら、ふりかえる手段そのものを別のやり方でやる方が確実。

 

文字でふりかえる、写真でふりかえると、ふりかえりの方法も色々あるけれど、文字にも起こしにくく写真に撮っても意味のないことにこそ、あとでふりかえった時にも発見があるものかも。

 

結構長く経済紙を読んできて、最近はビューワーで読んでいる。宗教系の広告なんて、ひと昔ふた昔前は見なかった。スマホで読むと当然その手の広告も見ないから、紙面に慣れた人ほど宗教との接点も増えてることになる。

 

今日みたいな鎮魂の日に、他の誰が広告出せるっていうのさ???と考えれば当然で、鎮魂の機会が増えるほどに活躍の場が増えるのも、その手の人たち。年取ってくると、結婚式よりお葬式が増えるものだけど、国も年を取るほどに鎮魂や慰霊の日が増えていく。

 

鎮魂や慰霊の日でも商魂たくましい人たちは、単に商材としてそこに目を付けただけ。という個人の感想は、あとでふりかえった時にはそれなりに有効かもね。かもかも。NHKでは、もう少しで4時間という長大な歴史映画を放送していて、鎮魂のスタイルもいろいろ。

中途半端なお金の使い道

誰かを不愉快にさせるのはわりと簡単で、特に芸はいらない。その反対に誰か、それも見知らぬ誰かを愉快な気持ちにするのは難しくて、だから難しいことをやってのける人に称賛が集まるのは当然のこと。

 

特定業界にだけ通じるジャーゴンを散りばめ身内意識を強調するのは、お愛想目当て。見知らぬ人ではなかったら、お付き合いでお愛想のひとつも言うものだから。義理やお付き合いでお愛想のひとつでも言っとくかという気持ちは、愉快とは別のもの。どっちかっていうと、そんな気持ちにさせるものは煩わしい。

 

住宅ローンや子供の数だけかかる教育費といった、大きな出費を控えてる人にとって、百万円というお金は中途半端。あると助かるけれど、あったとしても大きな出費に呑み込まれ、有難みは薄れがち。貰ったらもちろん嬉しいんだけどさ。

 

中途半端な金額のお金、ただバラ蒔くだけじゃなく、より有難みが増す使い道は何かと考えたら、思いつくのは生産手段のアップデート、つまり設備投資。その場合、小さなお店や事業者の方が、100万という中途半端な大金でできる設備投資もより効果的に思える。

 

すでに何らかの生産手段を持ち、何かを生み出しているけれども、大量生産や大量受注に応えるのは難しいから事業規模は細々。というお店や事業を想定してる。

 

具体的にイメージできるのは飲食店ぐらいしかないけれど、厨房用品の進化は著しく、著しく進化した機能に応じてお値段もそれなりになってるから、設備投資としてはちょうどよさげ。

 

細々と事業を営みつつ生活しつつ、設備投資資金を別途貯めるのは大変で、だからローンになるけどローンを組むのは、それなりに長く続けることが織り込み済みの場合に限られる。

 

コンビニやスーパーあるいはドラッグストアといった大手だけでなく、地域内の同業者との競争も激しいからそう大きな伸びしろも期待もできず、気力が続く限りはとりあえず続けるつもりでローンを組まないお店は、きっとそれなりにある。長期の見通しが立たなかったら、負債は増やせない。

 

それなりにあるのは今のうちだけで、そのうちあっという間になくなってしまうのが、この種の小さなお店や事業。

 

生産手段を早めにアップデートして、気力が続く期間を延ばすことができたら、お店の寿命もそれだけ長くなる。早い方がいいのは、早くしないとツールの進化にもついていけなくなるから。

 

結構長くやってるような、歴史あるお店で使ってるツールは、やっぱりお店の歴史に準じて相応に古いことがほとんど。気力が続く限りのうちにはツールが壊れるまではというケースも相当数ありそうで、もう修理するのさえ難しいものを使い続けてるように見えることもたびたび。近頃は、そういうお店もすでに減りつつあるけどさ。

 

本気で長く事業を続けるつもりがある人だったら、設備投資プランくらいすでに持ってそうなもの。

 

ローンを組まずに済み、設備投資資金を貯めこむ時間を節約出来るチャンスがあったら、事業に前のめりな人ほど積極的に手を挙げればいいだけ。前のめりになれない人は、前のめりになれないだけの理由があるから、その理由を取りのぞけば、ちょっとは前のめりになれるかも。

 

小資本でもできるお店や事業が消えると、街の景色はたいてい殺風景になって、どこも一緒で似たような景色になってゆく。

 

駅前の一等地にお店、それも路面店を構えているのは聞いたことのある大企業ばかりになると、景気がいいんだか悪いんだかもわかりゃしない。地面のお値段相応に、高い賃料を払えるのはやっぱり大企業。でもその中で働く人がお金使う場所は、コスパに優れたお店ばっかりだと、景気よくお金が循環してるようにはまったく見えず。

 

生産手段を持たない、特に何かを生み出してるわけでもない人にお金渡しても、まわり回って誰かのためという経済圏も小さくまとまりがちで、使い出という意味もあんまりないかも。

 

お休みなさーい。

他人のためにお金を集めるお仕事

トム・ソーヤーは、言いつけられた退屈でイヤな仕事を楽しそうにやってみることで、代わりにやらせて!と言い出す子達を集めて退屈な仕事からは早々に解放される。

 

というエピソードはやっぱり今でも通用して、退屈でイヤな仕事でも楽しそうにやってみせるとやらせて!と代わりが見つかるもの。例えば他人のためにお金を集める仕事は楽しいお仕事じゃないのに、最初に誰かが楽しそうにやってみせるとあとは勝手に真似してくれる。

 

他人のために楽しく上手にかつお金をたくさん集められる人は、ファンドレイザーにぴったり。

 

最初からファンドレイザーめざして他人のために楽しくお金を集めてる人は、金持ってこいやと追い込みかけるようなヘマはしない。恫喝して金持ってこいやと追い込みかけることばっかり得意な人は、ファンドレイザーとは別の人種。危ないから、近寄っちゃダメ。

 

他人のためにお金を集めるお仕事。

 

上手く育てばファンドレイザーとしての育成コースに乗せて、追い込み掛けるようなヘマするようだと悪徳金融の取り立て屋コースに乗せる。楽しくお金集めるファンドレイジングが活発なのは景気がいい時で、厳しく追い込みをかける取り立て屋のリクルートが活発になると、景気も後退期。という見方もできるかもね。かもかも。

 

ついでに、楽しくお金を集めるファンドレイジングが活発な世界は、厳しく追い込みをかける世界とは切り離されて、そっち側からは見えなくなるのが分断化された世界。

 

楽しくお金集めるのが目的の人たちを個人攻撃で潰したり、重箱の隅をつついて欠点をあげつらう人が出てくると、集まるはずのお金も集まらない。だから主旨を理解しない人は入ってこられない世界に逃れるようになって、楽しくお金集めたい人と、楽しくお金を寄付したい人とだけでつるむようになるから。

 

人のためにお金を集めたいんじゃなくて、人よりももっと賞味期限が長くて、共通のホニャララとして記憶されるような何かのためにお金集めてるんだから。

 

人に嫌がられるお仕事に率先垂範して積極的に取り組んでる人、それも若者がいたら、そりゃ是非ともリクルートしたくなるやね。「他人のためにお金を集めるお仕事」の裾野は意外と広いから、最初はイヤなお仕事からのスタートでもそのうち楽しー♪に変わる可能性もなくはなし。

 

1万円かける12ヶ月で12万円

2万円かける12ヶ月で24万円

3万円かける12ヶ月で36万円

 

年間40万円を他人のために寄付すると聞けばハードルは高くなるけれど、月額に直せば絶対に無理と思うほどハードルは高くない。「他人のため」というハードルも、まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高くなると、低くなる。

 

縁もゆかりもない他人のために財布のひもを緩めるのは、楽しいか可哀そうのどちらしかない。ふるさと納税が楽しいのは、返礼品が届くと嬉しいから。どっちでもないのに払うのは課せられた義務だからで、監視の目が緩めば義務感も薄れ、払わなくなる。

 

まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高くなると、財布のひもは緩くなりがち。例えば出身校への寄付。母校の経済的基盤が厚くなり、在校生にとってお得なこと、例えば教授や講師陣のアップデートやあるいは学習環境のアップデートが可能になり、優秀な卒業生が増えるほど出身者にもプラスに働く。

 

とはいえこの種の、まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高いものにはお金を惜しまない人は、フルサービスに弱い人とも言える。

 

どうせ選ぶならオプションがたくさんついてきて、何があっても安心と思えるメタボなものを好みがち。一方不要なオプションは選ばない、自分で何とかするしできるというタイプの人にとっては、まわり回って結局は自分に還ってくるという効用は、そもそも期待してないだけに訴えるものがなく、効かない。

 

自分で何とかするしできるという人は少数派。少数派だから、たいていの人はまわり回ったら自分のためにつながる何かには、対価を払いがち。

 

世界最古の職業は、時代が変わってもきっと廃れない。他人のためにお金を集めるお仕事は、お金が絡むだけに謹厳実直であるべきと思われてきたけど、どうせお金を集めるなら、楽しくお金集めましょ♪に変わってもいい頃。

 

厳しく追い込み掛けるのばっかり上手なところからは、お金借りようと思う人もそのうち減っていく。”強面”が通用しない、強面とは真逆の方が、あっという間に圧倒的にたくさんのお金が集まるのを目の当たりにすれば、誰だって考えを改める。

雪なんだけど。。

1960年代から1970年代の日本のお正月。よりリアルに再現しようと思ったら、街を走る車にはお正月のしめ縄飾りがついてないと、リアルじゃない。

 

今ではもう廃れたけれど、車にもお正月飾りを飾っていたその頃は、自分の車を手に入れることは誇らしいことで、だから家を飾るように車も飾ってたのかも。

 

シェアカーに中古車市場と、所有しなくても共有できる、あるいは新車じゃなくても手に入る市場があれば、当たり前だけど所有する喜びは減る。逆にいえば、中古市場もなくシェアもできず、欲しいと思ったら自分で買うしかなかったら、手に入れた時の喜びは増す。

 

中古市場やシェア市場があっても市場には出回らず、結局買うしかなかったら、結果としては同じでも渋々やしょうがなくという雰囲気が何となくつきまとうから、結果は同じでも手に入れた喜びはきっと同じじゃない。

 

購入してから数年の間は、賃貸に出すのは禁止という規則を設けたマンションも、あったねそういや。

 

希少価値を大事にする人は、所有するとお得な気分になれる仕組みも一緒に用意してた。希少価値そのものがそのうちなくなりそうな今となっては、希少価値を大事にするより前に、大事にしてもらえそうな希少価値を見つける方が大変っぽいんだけどさ。

 

劣化コピーが簡単に大量に出回るようになると、希少価値は守るより壊す方がより簡単で、壊れやすいものは壊してしまいたがりの人はきっと多い。

 

今シーズンは雪が少ないと油断してたら、いきなりの大雪。こんな日は外に出る人も少ないだろうという予想を裏切って、大雪なのにどこのお店も結構な混みよう。雪の日でも張り切って外出する人は、意外と多かった。

民族大移動

イヤガラセができる立場に居るなら、その人はもう弱者でも何でもないじゃん。

 

だから手厚く保護する必要もないよねという価値観と、イヤガラセができる弱者だからこそ使い道もあるという価値観は、弱者がいなくなるまで続くよどこまでも。不毛な対立が長引くほどに得する方は、どこからでも弱者をかき集めてくる。

 

欲しいものは、DIYで何でも自分たちで作り出す。その種の人たちは、弱者を無理やり作り出すのもお手のもの。枯渇しそうになったら、無理やり作り出す。もうね、無理に作り出してる時点で論理は破綻してる。それだけでなく、弱者を必要とする弱者の守護神の存在意義も、空中分解してる。

 

弱者の守護神の存在意義が希薄になったら、次にめざすは強者側。

 

君ら、弱い者の味方じゃなかったのか???と思うクラスタが、大挙して強者の守護神サイドに移動し、ペンと剣が一緒になってより強きをめざすようになったら、それ昔もあった光景で、映像の世紀のようなドキュメンタリーではしょっちゅう見かける。

 

そもそも個が確立されてない個体を、自我が芽生える前から囲い込んでおくと、視野狭窄かつ盲目的になりがちで、よからぬ目的をもった人にとっては何かと都合がいい。

 

ところであなたはだんだんきれいになると、貧しくて物も買えなくなった伴侶その人に向けてというより世間に向けて広言してた人は、戦争が始まると大喜びし、今度は戦意高揚を吹聴するようになっていた。

 

嘘やごまかし。口から出まかせ。口から先に生まれたきたようなと表現は色々あるけれど、ようするに手よりも口の方がよく回る人が、陥りがちな思考と行動パターンを垣間見れて面白い。

 

形なきものを尊び清貧を歓迎してた人が、破壊行為を歓迎するようになるまでは、ほんのちょっと。

 

目に見える形で立派なものを作ろう残そうと築き上げてきた、形あるものが瓦礫となって喜ぶ形なきものをより尊ぶ人の頭の中は、一体どうなってんのさ???

 

という視点で考えると、イヤガラセができる立場にいる弱者で、形なきものを尊び、形あるものの破壊を喜ぶ人、最悪。