クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

Extremely Loud and Incredibly Close

代わりが見つかったとき、かけがえのないものを失った悲しみも薄れるし癒える。だけど、見つからなかったら悲しみは癒えず、欠落はそのまんま。

 

普通の人がやるようなこともできるけど、普通の人ではできないことや普通の人がやらないことの方がずっと得意。という少年が主人公の映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』では、少年は最大の理解者である父を失ってしまう。

 

失ってしまうというより、奪われてしまったという方がより正しいかもしれない。9.11で崩れ落ちたワールドトレードセンタービルの中に少年の父も居て、彼のように突然家族を奪われた人は他にも大勢いたけれど、彼の個性を理解して育んでくれる良き庇護者を失った彼の哀しみは、他の人達と一緒のようでいて同じじゃない。

 

かけがえのない物を失った欠落を埋めるように、少年は手元に残された鍵にピッタリ合う鍵穴を探し、NYを探査して人に会いに行く。

 

悲しみの癒し方に、たったひとつの正解なんてない。

 

だから、事情を知らない他者から見たとき少年の行動は時に変。だけど少年にとっては正解だから、映画は彼の父親だったらきっとその行動を許すように、彼のしたいように進んでいく。

 

WWⅡに湾岸戦争に9.11。戦争や争いは、時にエンターテインメントの格好の素材でテーマ。戦争に限らず悲劇を素材に生まれてくるエンターテインメント作品は数多くあるけれど、長持ちする作品が少ないのは悲しみはいつかは癒えるから。

 

大いなる怒りや悲しみを生々しく反映した作品はエキセントリックで、エキセントリックな怒りや悲しみに同調できるのは、同じく大きな怒りや悲しみを抱えている間だけ。

 

怒りも悲しみも癒えたとき、大いなる怒りや悲しみをエネルギーにして育まれた作品もその使命を終える。だから、癒えない悲しみが作品を長持ちさせるとも言える。

 

そして、争いから生まれた怒りや悲しみを癒すのに、争いはいらない。

 

という大いなる怒りや悲しみをエネルギーに育まれた作品は、怒りに怒りをぶつけるよりずっと巨大で強大で、悲劇に対する補償や代償に著しい偏りがあったときほど大きく発動するんだろう。例えば加害側が、被害側より大きな利得を得ていた場合などに。

 

見る人がみればきっと懐かしいと思うNYの風景は、歳月を重ねていくごとに変わっていく。変わらないのは映画の中だけ。

 

みんなと同じようにもできるけど、みんなとは違うこともできてそっちの方がずっと得意という少年は、父という理解者を失った。その代わり、”そこにそんなものがあるなんてステキね”と言ってもらえるようなものを手に入れた。

 

”そこにそんなものがあるなんてステキね”という称賛の声は理解への第一歩。そんなものがあちこちにあったらステキねで、あちこちにコピーが増えたら理解者が増えたということで、大人になった少年はそのとき父以上の理解者に恵まれる。

 

大いなる悲劇から生まれてきたけれど、怒りに怒りをぶつけてエネルギーに変える。そういうやり方にはもううんざりなんだ。

 

という感情の落としどころにピッタリはまると、年越しや新年の時に”今年は(今年も)よい年になりますように”と願って賽銭箱にチャリンチャリンとお賽銭を入れるように課金する。そういう作品が生まれてくるのかも。かもかも。これは、Amazon primeで見た人の感想です。


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大きく作ったり育てるのが難しいものは、まずその大きさで驚いてもらえるし褒めてもらえる。例えばジャックオーランタンにするようなカボチャ。非戦や反戦あるいは人類愛といった大きなテーマに飛びつくのは、何かを作れるようになったあとの大いなるチャレンジに似てる。

 

そしてかぼちゃの馬車に挑戦するのは、思いっきり泣きたいときにちょうどいい、特定シーンの音楽が超お気に入り、特定シーンのこのキャラこの見せ場が超お気に入り。という感情の落としどころにピッタリはまる実用的な作品が作れるようになってから。ということでもあるのかもね。


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天高く馬肥ゆる秋っぽい空模様になってきたけれど、北海道の秋は短くあっという間。

晩夏、冬瓜とりんごが出逢うとき

今シーズン初のりんごを見つけたので、アップルクランブルを作ってみた。

 

小麦粉に冷たいカットバター、砂糖にシナモンなどのスパイスを混ぜてこね、ポロポロにした生地がクランブル。(←クラムと呼んでた気もする。)市販のバターケーキなどに時々トッピングしてある、そぼろ状の甘いもの。角切りにしたりんごとスライスアーモンドの上に被せて焼いただけの、とっても簡単簡易アップルパイのようなデザート。


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(左は焼く前。りんご1個で、耐熱ボウル2個分ができた。小さなココット型だったら4個分はできそう。右は焼き上がったもの)

あまり見たことのない品種のりんごの見た目は紅玉っぽく、クッキングアップルの系統っぽい。火が通りやすく、砂糖とレモン汁をカットしたりんごに合わせて焼いただけで、りんごの甘煮のような食感になった。甘酸っぱくて美味しい。

 

クランブル、一度作ってみたいと思いながらも量が多過ぎるレシピにしり込みしていた。今回りんご1個から作れるお手軽レシピを見つけたので、サクッと作ってみた。りんごは1個、薄力粉は50gでいいからアップルパイ系のりんごスイーツより断然お手軽。

 

クランブルは熱々でも冷たくても美味しいけれど、心の底からあぁバニラアイスと一緒に食べたいと思うりんごのおやつができた。デザートというより、”おやつ”と呼んだ方がぴったりくる素朴さ。

 

スライスアーモンドの代わりにくるみでも、あるいはアーモンドなどのナッツ類をレーズンに変えてもきっとおいしい。ナッツもレーズンも両方入れてももちろん美味しそう。

 

早くもりんごが出回る季節。台風対策で収穫が早まったのかも。

 

冬瓜は、”冬”という文字が入っているけれど夏の食べ物。暑い季節には、出汁のきいた和風の煮物にして冷やして食べると美味しい。暑さで食欲が出ない時期は、ちょっとしょうが汁をきかせると食も進む。

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和風の煮物にしがちだけれど、今回は洋風で。冬瓜の淡白さを生かしてチキンスープで炒め煮にして、黒コショウと香菜をあしらってみた。

 

冬瓜はそもそも淡白な野菜だけど、冬瓜特有の食感や風味は残るから、和食ではない時にも合わせられる副菜ができた。今回は無国籍な洋風を意識して作ったけれど、そもそも淡白だから中華で大根やカブの代わりに使ってもそれなりに使えそう。

 

りんごは年中出回っているけれど、秋を感じる果物。冬瓜は年中出回っていないけれど、夏を感じる野菜。出回り始めのものと、そろそろ旬が終わりそうなものが一緒に並んでいると、いかにも季節の変わり目っぽい。


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(晴れているときの青空は、まだ秋の気配からちょっと遠い。)

残暑お見舞い

今年の夏はいつまでもしぶとく暑く、8月末でも日中は30℃ラインをウーロウロ。

 

低気圧のせいもあって蒸し暑く、お盆を過ぎれば秋の気配のはずが、秋はまだ遠いみたい。ただし平地に限るで山の方はどうだか知らね。

 

北海道観光のトップシーズンは、やっぱり夏。以前より暑くなったとはいえ、道外の夏の過ごしにくさを思えば北海道の夏はとっても過ごしやすい。今年の夏は張り切ってあちこちどこかへ出掛けることもなく、行ったといえば農産物直売所くらい。

 

見たいものは緑に青空、時々海。それに清流があれば満足で、もぎたて新鮮野菜や旬の果物、その地の特産品が加われば大満足で、その種のすべてが揃っている場所が結局は観光地。揃わない場所は、広大な敷地面積を生かした観光とは別の産業のもの。

 

北海道はでっかいどうで広大だけど、広大な敷地は観光業だけが独占しているわけではないから、観光を楽しみたかったら素直に観光地に足を運ぶべし。

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道央・道北・道東・道南と有名観光地は分散しているけれど、高速道路が整備されたおかげで行きやすくなった反面、どこまで走ってもホニャララしかない。という経験は少なくなった気がする。

 

手つかずの自然は、美しいより恐ろしく、人の目で見て美しいと感じる緑豊かな景色には人の手が入っているとわかっている。だから、あの自然はあの緑は一体どこへ?と思う経験が、これからは増えるんだろう。なにしろ延期になったとはいえ、札幌まで新幹線が開通するくらいだから。

 

6月から9月まではバカンスシーズンで夏休みだから、世界的観光地の夏はどこも観光客がいっぱい。例えば京都なら、一年でもっとも蒸し暑くて過ごしにくいのは、夏。行ったことないけどローマもきっとそう。春は桜、秋は紅葉が京都観光のベストシーズンだと知ってはいても、実際問題として長期で休みを取れるのは夏だから、最も観光に向かない季節に観光に行ってうーんざり。

 

という経験が積み重なると、京都に対する評価も変わる。

 

観光客で年中ごった返している(orいた)、八坂神社から南禅寺哲学の道といった界隈も、真夏、8月ともなれば観光バスもまれで閑散としてシーンとしていた。というふた昔以前の景色は”国際的観光地”を選ぶと消えていくのかも。かもかも。

 

途切れなく観光客はやってくるけれど、途切れなく観光客の相手をする側が途切れると、観光地の様子が変わる。

 

あらこの場所こんな風だった?あらこのお店こんな味だった?と、あらあらと思うことが増えたらそこは以前とは違う場所。だから、ずっーと観光地であり続ける場所は、そうではない場所とは異なる理屈や仕組みがあるんだと思うしかない。

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テレビ塔の時計は夜12時まで。あら、シンデレラみたい。朝は5時までオフ。

 

時には夜遅く、朝も早くからお散歩できるのが観光地のいいところ。場所は選ぶけど。なにしろ真夏には早朝4時にはもうすっかり明るくなって、夏なのに空気はひんやりして涼しい(時には寒過ぎる)が体感できる。


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地面のお値段が高くなると隙間なく何かが建つようになって、局所での快適度が増す代わりに、都市としての快適度は減る。

 

だから、本来隙間など生まれないはずの場所に空き地を増やす方が未来を見てる。以前より開放感のある場所が増えた、街中にいても空が見えるようになったのなら、それは努力でわざと。

 

家一軒ならともかく。街そのもの、都市そのものを冷やそうとしたら、空調機能の向上を待つより、街の構造(建物の配置)に手をつける方が早いのかも。

 

本来隙間など生まれない場所に生まれた空間は誰かや何かの努力で、努力や貢献を無かったことにしたとき隙間はびっしり埋まるようになって、以前とは真逆の現象、例えば暑いは寒く、寒いは暑いが生まれるようになるのかも。

 

以前よりずっと暑くなったに違いない京都の紅葉が始まって見頃になるのは、近頃だと11月以降?桜前線は北上するけれど、紅葉は南下していく。桜=お花見=一種の興行でイベントだから、桜の開花宣言を待ちわびる人がいるように、紅葉の始まりを待ちかねている人もきっといる。

 

季節と観光の縁は深く、季節や気候は本来アンコントローラブルなだけに、コントロールできる、制御できるようになればというのは、数少ない人類未踏の分野かも。

 

そして、ライフスタイルやそのもとになる人(あるいは生き物)の数が少ないほど、その種のトライアンドエラーもやりやすそう。

 

もし明日隕石がぶつかって最後の晩餐になるのなら、何が食べたいか。長らく自分で煮たひじき煮(市販のものに比べれば甘くない)と炊き立てのご飯だったけれど、ひじきのパスタ(水戻ししたひじきをねぎ・にんにく・ひき肉と一緒に炒め、しょうゆで味付けした和風パスタ)を知ってからは、一択ではなくなった。

 

ベストだと思っていた選択にバリエーションが加わると、ベストが揺らいでベターがいっぱい。ベストなど早々見つけられないし見つからないときは、そうなるのかも。


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(夏の思い出、ニューカマー向け。)

『飛ぶ教室』が空を飛ぶとき

先の大戦と言ったとき、たいていの日本人なら第二次世界大戦だと思うだろう。

 

では単に先の戦争と言ったとき、言葉使いに慎重かつ厳格な人なら、海外派兵もあれば犠牲者も出した湾岸戦争?それとも直接関与はないけれど、海外で直近に起こっている戦争なの?ときっと迷う。日本語圏以外での生活が長くなるほど、その答えはきっとバラバラ。

 

八月は終戦記念日もあればお盆もあって、死者を悼む気持ちも高まる季節。第二次大戦がなかったら、きっとこれほど世界的には有名にならなかっただろうドイツの作家、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』を久しぶりに読んでみた。

 

ナチス政権下で、早々に亡命した他のドイツ人作家と違って焚書や発禁処分を受けながらもドイツに留まり続けて書き続け、その著作は検閲を逃れて海外で出版された。というケストナーのキャラ設定とエピソードは、戦後に彼の著作を売るうえではきっと役に立っただろう。

 

『エーミールと探偵たち』、『二人のロッテ』。現代を生きる子供向けに翻案しやすい彼の他の作品と違って、『飛ぶ教室』はきっと翻案しづらいだろう。

 

クリスマスを間近に控えた寄宿舎のある男子校(=寄宿生もいれば通学生もいる)を舞台とした作品で、『飛ぶ教室』というタイトルは作品中で上演される学生劇のタイトルでもある。

 

ケストナーの作品は子供向けのものしかほとんど読んだことはないけれど、なぜナチス政権=全体主義に嫌われたのか。わかるような気はする。

 

飛ぶ教室』に限っても、舞台は学校で生徒の家庭環境に貧富の差はあっても、貧富の差は時に成績とは反比例。敵対はしているけれど実業学校という彼らのあり様とはまた別の学校の存在も描かれる。

 

つまり、ひとつではなく色々。

 

また作中に描かれる人物、特に生徒に慕われる大人は立派な人物で、ピンチの時には助けてくれるような人物像。全体主義に覆われた社会で出世、権力を握ろうとすれば率先しての弱い者いじめなど、立派とは言えない行為が横行したであろう実社会とは違う。

 

つまり、こうだったらいいのにという理想が描かれている。

 

ひとつではなく色々、多様性が認められていて、立派な人が立派な行為で尊敬、それも年少者からの尊敬を集めている。そういう世界観が、目障り極まりなかったんだろう。

 

エンタメを見る側が刺激に慣れてスレていくと、スレた目線に合わせてエンタメも過激になってスレていく。だけど見る側が子供だったらスレる必要はなくストレートに子供に伝えたいメッセージを込めればいい。

 

全体主義に反して多様性を描き、立派な人物の立派な行為を描くことで好評、特に年少者から好評だった。というケストナーの立ち位置は、ジェノサイドを行い迫害した国として戦後ヨーロッパ社会では嫌われたドイツの良心。

 

工業国として、経済復興を早期に果たしたせいもあってかどうか。戦後のヨーロッパではドイツは一般的に嫌ってもいい国、嫌ってると公言してもいい国だったと記憶している。

 

例えばいつかの(←昔)ワールドカップでは、オリバー・カーンというドイツの名ゴールキーパーがファインセーブを連発し、日本人は素直に拍手喝采していたけれど、第二次世界大戦戦勝国が主導したヨーロッパ目線では驚きの光景だったらしい。らしいというのはそうアナウンスされていたのを覚えているからで、真偽は知らね。

 

作品面白いからorきれいでステキだからいいじゃん。スーパープレイだからいいじゃん。で、素直にファインプレイや傑作にいいものはいいと言えるのが多様性で、まずは国や地域など集団が先行するのが全体主義

 

いいものを作っても、いいものを作ってるだけでは認めてもらえず素直にいいねと認めてくれる販路を求めて拡げたから、ハードもソフトも早くに復興できた。

 

戦争がなければ生まれなかったであろう作品を、大人目線で振り返るとそう思う。

 

若林君にロベルト本郷に岬君。キャプテン翼という強力なソフトが牽引した日本(プロ)サッカー草創期ではドイツもブラジルもフランスも好意的に描かれていた。

 

ハード単体では直接タッチすることが難しい層にまで届けようとしたとき影響力の大きなソフトが生まれ、影響力の大きなソフトに好意的に取り上げられようとハードが競うことで、ハードもソフトも著しく進化したのかも。

 

ソフトで描かれる立派な人物の行いやふるまいは、立派ではない人物の行いから生まれてくるものなんだ。

 

それが『飛ぶ教室』から得た一番大きな教訓で、その教訓はマナー集を束にしたより現在でも実用的で役に立っている。そして、何度読み返してもほとんど台詞なんてない船長さんは、職務を大きく逸脱した良識を発揮していて本当に素敵。

 

飛ぶ教室』の賞味期限は、その後誕生するライトノベルやコミックス、アニメに引き継がれたであろう『エーミールと探偵たち』や『ふたりのロッテ』などの作品に比べると、一見短い。

 

だけど立派な行いこそ立派な人物として出世、あるいは権力者になろうとしたときに必要かつ必須なものとなったとき、理想主義を体現した人物は現実になる。だから、作品の賞味期限が短い方が、社会にとっては幸せ。

 

そして、外から見たときは全体主義一色に染まってるように見えても、ドイツの中は一色ではなく良心が存在した。一党独裁ではなく野党が存在し、野党が強力に抵抗したという構図を作っておくことは、何らかの文化を継承して温存する際には必要なんだと思う。何しろ同じではないので、同じにはできないから。

自然災害怖いで終わらない、竜巻の脅威を描いた映画『ツイスターズ』見てきた

ポジティブ。

 

自然災害を扱った映画は、天災怖い、天災に巻き込まれた人たち可哀そうとネガティブモードなものが多く、天災に巻き込まれて本当に嫌な目に遭った人は見ないしスルー。

 

『ツイスターズ』は、平和な暮らしや日常が一変した、意図せず天災に巻き込まれた側ではなく、積極的に天災に巻き込まれに行った側からの視点で進む。

 

主人公は、竜巻に近付き過ぎて死にかけたけれど九死に一生を得た女性。天災の恐ろしさを十二分にその身で知っているから慎重で、慎重な彼女に超接近するのはユーチューバー。

 

竜巻という驚異に立ち向かうのに、素面ではいられないとばかりヒップでダンサブルな音楽とともに派手に登場する。彼らユーチューバーが乗っている車は、月面でも火星でも活躍しそうなもはや装甲車とでも呼べそうな代物で、木っ端みじんになった被災地の人たちの住まいとは対照的。自然災害による得失差がくっきりはっきり一目瞭然。

 

ドローンを駆使し、普通ではみられない映像を配信することで自然災害から利益を得ている。そういう人種が登場したことで、自然災害を取り巻く環境は激変した。

 

そこがスタート地点で、本当の主人公は自然災害が頻発する土地そのもの。

 

アメリカのオクラホマかどこからしいけれど、その地が世界史に登場して何年だっけ?200年くらい?と思うような場所でのスクラップアンドビルドは壮大で、壮大なのは鳥の目で見た場合。

 

iPhoneや携帯電話が登場する以前と以後、あるいはインターネットや動画配信が登場する以前と以後で、その地には一体どんな変化があったのだろう。と思うくらい、ただ草むらだけがどこまでも続く、風力発電の風車ばかりが目立つその場所に、人の生活の気配はなく、森や林の影もかたちもない。

 

人の暮らしがあるなら、防風林くらいあるだろう。


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人が住まなくなった土地だから風力発電を産業にし、より強い風が吹くよう環境を整えたら竜巻が頻発するようになった。そして恐らくは風力発電のために新しく移動した土地で新しく始めた素朴な暮らしでさえ、竜巻が直撃して木っ端みじん。

 

木っ端みじんになった街の惨状も壮大な鳥の目で見れば、移転させるなら自然エネルギー(=竜巻)にまかせれば、ガッーと壊してガッーと更地にして、スクラップ費用を節約しながらまた新しく作ればいいじゃない?で無神経。


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生き残りがかかった人たちは、ともに生きてきた友人・知人が一人もいなくなった生活圏は、無理してとどまる必要もないから積極的に後にしやすく住民の新陳代謝も進む。

 

天災が頻発する環境での最適解のひとつが、移動。

 

軽装軽備で、何度吹き飛ばされても何度でもやり直しがきく移動か、集住して定住し、その地を手放すわけにはいかないから重装備をめざすか。

 

移動・定住。どちらを選んでも、簡素で軽備な暮らしに必要な住まいの材料や燃料、重装備な暮らしに必要な燃料や食べ物の需要が供給を上回る限り、土地の環境はいつまでたっても不安定で竜巻が止むことはない。

 

鳥の目でなく虫眼鏡で見たとき、災害が頻発する場所には木っ端みじんになった暮らしの片鱗が垣間見えるだけ。

 

竜巻に向かってドラム缶を、ドラム缶に入った何か(高分子ポリマーか何か)を投げつけ竜巻の威力を弱体化させようとする試みは、B29に竹槍で立ち向かうかのようで一見無意味。

 

だけど、竜巻=燃料や食料などのエネルギーを貪欲に求め続ける集住して定住する重装備な都市から吹き降ろすパワーだと仮定し、ドラム缶に入った何かは、高分子ポリマーに代表されるオムツを必要とするもの、老人と赤ちゃん=庇護を必要とする弱者だと仮定してみる。

 

そうすると、重装備をめざした都市に少しづつ着実に重装備ではないものが流入し、重装備な都市にも脆弱性が生まれ、脆弱性を抱えることとなった都市は重装備であるために何らかの対策、リバランスを考えざるを得ない必要に迫られる。

 

それが竜巻でも地震でも津波でも。天災をテーマとしたエンタメ作品は、ただ天災の恐ろしさを伝えるだけではだめで、被災者救済に繋げないと意味がなく支持も拡がらない。

 

どれほど衝撃的でアカデミック的に価値ある映像やデータが得られたとしても、生かすことができなければ意味がない。

 

世界史に登場してもう何年?千年だっけ?二千年?という都市の周囲にあるものが、歴史の浅い町には欠けている。

 

より強い風を求め、より衝撃的な映像を求め、積極的かつ作為的に環境に関与したのならその逆、破壊だけでなく生産、再生に作為的に関与することも可能だろうという意思を示した着地点だったから、ポジティブ。

 

天災怖いの解が、重装備な都市への流入一択だったら災害の頻発は止まらない。

 

重装備な都市から、ただ強い風ばかりが吹き下ろす草だらけの原っぱしかない場所をめざすのではなく、それが人でも作物でも。再生や再配分に使われる何かを育てられる場所をめざし、何かが育つ場所にこそその先、続きがあるんだと確信できたとき。

 

衝撃的な映像だろうが、お涙頂戴だろうが、ほほえましいであっても遠慮なく課金できる。

水を使わずほうれん草のグリーンカレーを作ってみた

暑さが厳しい時の、よく冷やした水分たっぷりで瑞々しい(みずみずしい)スイカやメロンや瓜(ウリ)などの果物は飲み物代わり。


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この場合の水分たっぷりで瑞々しい(みずみずしい)は、ほめ言葉。

 

一方で、水っぽい・水増しなどと使われる時の水分が多い状態は、本来の成分が薄められているからほめ言葉じゃない。

 

水を使わずに、ほうれん草のチキンカレーを作ってみた。水の代わりは、鶏肉の蒸し汁と白ワイン。

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(トッピングとして添えたのは、枝豆のコロッケ真ん中はカマンベールチーズ)

今回使った鶏肉は、手羽中こと鶏肉スペアリブ約200グラム。蒸すと、1/2カップに足りないくらいの蒸し汁が取れたので、白ワインを足して1カップに。

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電気圧力鍋に、鶏の蒸し汁と玉ねぎをまるごと入れて加圧し、玉ねぎがフォークでも切れるくらい柔らかい状態になったら、あら熱を取ってからジューサーやフードプロセッサーでピューレにする。

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でき上ったピューレの量が多過ぎると思ったら1/2や1/3量だけを取り分けて加減する。ほうれん草は加熱したあと水に晒してアク抜きし、水気を切って一口大にカット。

 

たまねぎのピューレにほうれん草を加え、ジューサーやフードプロセッサーで緑色のピューレにする。

 

みじん切りにしたニンニクを油で熱し、鶏肉を炒めて塩コショウ、ガラムマサラ少々を加える。

 

玉ねぎとほうれん草のピューレを加え、みじん切りにしたトマトを加えてトマトの形が崩れて目立たなくなるまで煮込み、最後にガラムマサラ・カレー粉その他好みのスパイスで好みの辛さに仕上げる。味が薄いようなら、ブイヨンキューブを加えても。

 

スパイスの量を控えめにすると、そう辛くないグリーンカレー、というよりほうれん草とトマトの煮込みカレー風味ができあがる。カレーよりも優しい味で、焼いた肉や魚、あるいは大豆製品例えばカリカリに焼いた厚揚げにかけても美味しいソースになる。

 

スパイスを加える前のグリーンソースorペーストは粘性が欲しい何か、例えばサモサやコロッケを作る時に使うと、いい隠し味にもなった。

 

ほうれん草といえばおひたしやごまあえ、あるいは炒めものとワンパターンになりがち。なので、グリーンカレーにすると目先が変わるだけでなく一気に消費がはかどった。

 

玉ねぎとほうれん草を合わせてピューレにすると、玉ねぎの甘味が加わってほうれん草の青臭さも気にならない。ついでに、みじん切りという工程もすっとばせた。

 

今回は鶏肉を200グラムほどしか使っていないけれど、加熱した鶏肉の使い道が決まっていればもっと鶏肉の量を増やし、鶏肉の蒸し汁もたっぷりと使って白ワイン抜きで作ることもできるかも。

 

めざしたのは水っぽくない、素材のうま味を生かしたカレー作り。ジューサーやフードプロセッサー電気圧力鍋といったツールさえ揃っていれば、家庭でも素材のうま味を生かすことはそう難しいことではなく、美味しいものはやっぱり素材が違うんだと実感する。

 

ついでに、嘘ではなく本当のことで、悪いことではなくいいことで、醜いことや汚いことではなくきれいで美しいこと、真善美で美味しいご飯、それもとびきり美味しいご飯を食べているのなら、その人は成功者。

 

そして、いつも変わらないあの味と呼ばれるようなものは、実はレシピが不変なのではなく素材が不変で、うま味や甘味やその他が安定しているから、変わらぬ味が出せるし続けられるんだろう。

 

安定した素材が揃わなくなった時はまずレシピの見直し時で、どれほど見直しても以前と同じようには作れなくなったときが、いつも変わらない味ではなく新しい味になるときなんだろう。


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夕張メロンが出回り始める頃に咲いていた、ユリノキの花。あぁ夕張メロンというか赤肉メロンを彷彿とさせる色)

大人になってから行く社会科見学

十勝地方は、札幌という大消費地からすれば豊か。

 

北海道というより日本の食糧基地だから、その地で大規模農業や酪農を営んでいればそりゃ豊かでしょう。ということで、札幌でも気前よくお金を使っているor使っていた人達の中には十勝関係者は少なくないはず。

 

池田町のワイン城に、道の駅おとふけに隣接した柳月スイートピアガーデン。どちらもその地で幼少期を過ごしていれば、何かの機会に校外学習などで訪れそうな場所。大人の目線で眺めると、初心者や小さなお客さまとのタッチポイントは逃がさないし維持するくらい先を見ていて、先を見ているから豊かなんだろうとも思った。

 

六花亭に柳月、そしてクランベリー。JR帯広駅前は狭いエリアなのに、十勝では有名なお菓子店の本店が集まっている。砂糖に小豆、バターや生クリームなどの乳製品、最近では北海道産の小麦。

 

素材に困らないお土地柄。その土地柄を生かしてのお菓子造りだと思えば不思議はない。


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以前行ったのは何年前だっけ?と思う池田町のワイン城。正式名称は池田町ブドウ・ブドウ酒研究所なんだとか。久しぶりに行ってみると、カーヴ(酒蔵)のようだった物販部門がずいぶん明るくなって、観光客を意識したつくりに変身。団体客が増えたか増えるんだろうなーという印象。

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(街灯にはぶどう、ぶどうがかつてこの地を照らしたといっても全然言い過ぎじゃないはず)

観光客がうっかり迷い込んだりしないよう、観光の場と生産や製造の場はわりと厳しめに分かれている。という印象は、道を間違えて本来用のない道を走ったから。

 

十勝地方は、走りやすい自動車専用道路が整備され、トラックの通行量多めであぁやっぱりこの地は物資が行き交う場。


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ぶどうジュース美味しゅうございました。ぶどうジュースを使ったアフォガード、美味しゅうございました。

 

柳月といえば三方六。とはいえ本当にたくさんの和洋菓子を作っているお菓子メーカーで、老若男女が贔屓のお菓子のひとつくらいすぐ見つけられそう。


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ケーキ類など生菓子はカワイイを意識したビジュアルで、お値段含めて小さなお客様目線。帯広限定というきんつばの仲間のようなお菓子を自分へのお土産として買ってみたけど、あんこも美味しく和菓子も美味しいのはお年寄り向け目線。

 

スイートピアガーデンそのものが、値の張らないお菓子のヘビーユーザー向けで、ドライブがてらや何かの時間潰しに訪れるのにちょうどいいつくり。何てったって、隣には道の駅おとふけがあるし。


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美味しいお菓子を罪悪感なしに楽しむには運動する場所も必要でしょ?とばかりに、ウォーキングやランニングなどの軽運動を楽しめる場所も揃ってる。

 

車社会の地方で歩ける場所には、観光客がいる。


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(ここはパークゴルフ発祥の地だそうで、橋桁の模様がパークゴルフ


例えばフライトまでの待ち時間や高速バスでの移動。長時間座りっぱなしから解放されたらまずは体を動かしたい。という長距離移動、近所ではなく遠くから来る人の目線に立つとこういう施設ができるんだろう。道の駅のフードコートには、車を停める場所に困る駅前まで行かなくても、十勝名物が味わえるようになっていた。

 

久しぶりに行ってきた帯広駅前には、タワマンができていた。

 

多分タワマンは再開発の象徴のようなもので、駅前は再開発を進めようとする街にありがちな賑わいの偏在があって、食事するにもどの店に入ろうか迷うくらい。


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だから道の駅などの団体客を受け入れられるような場で胃袋を満たせるようになっているのは観光客フレンドリーで、胃袋や財布が小さなお客様への選択肢があるのは多様性の現われなんだと思った。


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JR帯広駅前から、木陰を作る並木道の下を選んで十勝川、十勝大橋を目指して歩いてみると、賑わいの偏在などなかったであろう少し昔の街の骨格がくっきりはっきり。片道2㎞ほどウォーキングすれば、豊平川河川敷によく似た十勝川の河川敷にたどりつく。


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豊平川の河川敷がそうであるように、こちらの河川敷にも先人の遺した”立派な街を作ろう”あるいは”立派な街を作りたい”で遺された痕跡にもめぐりあう。


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(星模様が珍しい、河川敷の石段。神は細部に宿って星をたくさん従えていると、細部だけでなく全体も整うのかも。かもかも。)


北海道は、日本のどこよりも新しい都市。

 

だから、本州のように江戸や鎌倉あるいは平安といった時代を感じさせる歴史がないだけに、比較的新しい時代、近現代の歴史がよく残ってる。

 

それがソフトでもハードでも。何らかの財を為した人たちが、誰はばかることなく立派なもの、街や何かを築こうとした。地面のお値段や利権や規制、何かと枷の多い本州ではできないスケールで何かを築こうとした。

 

その種の痕跡(今となっては遺構)を見つけると、わりと単純に感動するし感心する。

 

立派な橋や道路に公園や運動公園に商業施設。街に賑わいがあると得するのはその街に住む人だけど、賑わいがあり過ぎると生活はし難くなる。

 

例えば東京、例えば大阪。大都市はいつでも賑わっているけれど、大都市ほど生活はし難くなる。生活はし難いかできないけれど、不動産としては価値があるから生活する人だけが減っていく。

 

そんな大きな街に住みたかったわけじゃないし、小さな街じゃないとできないことばかり増えていくなら小さな街に帰りたい。

 

という声が必ず一定数出るから、北海道だけでなく日本各地に、この種のその地で生活する人こそ住みやすい街を築こうとした痕跡が見つかるんだろう。

 

JR帯広駅前から、夏のきつい日差しを遮る(←農場にはきっとない)並木道を抜けると眺望の開けた十勝川の河川敷。河川敷から眺めるとこんもりと緑が茂った鎮守の森で、”普通に生活しやすそうな街”を新しく作るための費用と労力を知って思ったとき、自然と頭が垂れるようになり、フロンティアは本当に偉大なんだと実感するんだろう。


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それが徒歩でもランニングでも。時には車でも。

 

フロンティアが残した基礎を見つけて残した遺物を辿る。いってみればフロンティア・トレイルは”新しい”場所だからできて意味のあること。

 

権力構造が変わり、権力者が何度も入れ替わって歴史も文化も何度でも書き換えられる古い場所では味わえない、Primitive(←いい意味で使ってる)としか言いようがない感覚が味わえる。

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