クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

こっそり秋

最高気温が20℃を下回るようになると、秋の気配を濃厚に感じる。薄着でフラフラ出歩いてると、風邪引きそう。

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銀杏が地面を覆うようになると、本格的な秋。

先日は、旬のくだものを買いにちょっとそこまで出掛けてきた。観光客はまばらで、どこも空いていたのが印象的。今現在や、あるいは週末や連休はどうだか知らね。空いているから逆に、観光客に押し出される形で観光をあきらめていた場所も、今だったら行きやすい。行きたかった場所があるなら。の話ではあるけれど。

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これはズミの実。美味しそうだけど、カラスはソッポ向いてるから不味いのかも。

些細なことも、自分の目で見て確かめるに限る。

 

価値のないものにも高値が付くとき、もっとも得するのは手数料収入を得ている人。完成したものをクルクルあるいはコロコロ回転させて、得られる利益の方が大きいから。

 

すべてのものが値上がりしたら、買い替えるにしたってキャピタルゲインには期待できない。期待できないから二度三度、あるいは小規模なものを含めたらもっと多くのバブルを経験してる人は、早々動かない。

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いつ見ても、ほれぼれするほどきれいねー。

投機よりも実需にもとづいた業界で、何もない状態から完成品を仕上げられる力を持った人や組織が、完成品を回転させるだけの人や組織に実権を握られたあとの世界は蠅の王。

 

事態や業界をハンドリングできないものが、できないままに大いなる権力を握ると、どうしてこうなっちゃったのかという終末的世界が出現するのかも。かもかも。

 

大人の居ない異世界に放り出された少年達が、諍いやトラブルを乗り越えて大団円を迎える十五少年漂流記と、状況は同じでも結末には大いなる違いがあるのは何故なのか。作者の個性と言ってしまえば、それまでだけど。昇華されないままの苛烈な従軍体験を、そのまま濃厚に作品に反映させると、同じような少年漂流モノであってもまったく違った暗黒作品が出来上がるのかも。

 

大人が居ない、居なくなるのが戦場なんだというメッセージは、大人に居て欲しかったという願望の裏返し。

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カモがいっぱい。

苛烈な体験をできるだけそのまま描き出したいのか。苛烈な体験を昇華して、絵に描いた餅、これが本当になればと理想を描くのか。苛烈な体験そのままは、同時代の人間にとっては刺激が強過ぎて目を背けられがち。

 

理想を語る場で本音を剥き出しに。本音を剥き出しにする場で理想を語ればお門違いと嘲笑される。場違いではあっても、実現することがないと知ってるからこそ大きな声で語られ続けるお題目こそ、もう聞いちゃいられねぇとダメ出しするのがリアルってもんで。

 

仮想あるいは虚構とリアルが地続きになると、そりゃもういろんなことがあからさまになって説得力に欠ける。一枚の映像、あるいは画像の方が説得力を持つのはそんな時。

 

この辺りでもそろそろ紅葉の気配。観光客の姿も、ないわけじゃないけど観光客フレンドリーな場所がどこなのか。判断がつきかねて、どうしましょな風に見えた。

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秋の早い郊外に行けば、例年よりゆったりとした環境で紅葉を楽しめる気はするけれど。先月引いた大風邪が今でも後を引く身では、遠出にはどうも乗り気しないから近場で済ますんだけどさ。

有限と無限

有限は無限を包摂できないのは考えたら当たり前のことで、限り、限界が見えたらその形も変わって当然。

 

香港あるいはシンガポール。限りある土地はどこも都市化されて高層化され、あの国あるいはあのエリアで、平屋建てあるいは低層でゴルフ場のように広大な庭を持つ大邸宅は、歴史的建造物、あるいは公権力の象徴でもないともはや許されそうもない感じ。

 

日本でも、想像を絶する私的な大豪邸を大都市に新たに作るのはもはや暴挙に近いから、小さいけれどべらぼうに高価なものや、形もないのに高価なものへとマネーが動いてるような気がしてしょうがない。

 

日本の都市、特に東京あたりを上から俯瞰した写真を見ると、大都会なのにむしろ高層ビルの少なさに驚く。地震が多いという地理的事情によって、香港あるいはシンガポールみたいに、見渡す限りビルだらけという景色になるのを免れてるのかも。

 

それでもひと昔前に比べれば、局所的には見渡す限りビルだらけな景色に近付いてはいるんだろうけどさ。限りある土地では横に広がれないから、上へと伸びていく。無限に流入し続ける新規人口を包摂しようと思ったらそうなって、上へと伸び続けたら当分の間はキャパだけは余裕ができるけれど、キャパ以外の余裕はそりゃなくなっていくわな。

 

人が増えたら、あらゆるエネルギーが今まで以上に必要となる。

 

今見ても惚れ惚れする、ひと昔前に自然エネルギーを取り込んで快適さを追求して建てられた建物は、どれも立地に余裕がある。余裕があるから、日が差して風が抜ける。余裕がないと自然の恩恵からも遠くなって、人為的なエネルギーフル稼働で何とかするしかない。

 

低層あるいは平屋建てで広大な庭を持つ大邸宅は、今の都市では贅沢品で、かといって人里離れた場所に建てれば、今度はセキュリティ面が心配になりそう。

 

圧倒的収入格差を誇示した大邸宅がポツンと一軒、粗末な建物が建ち並ぶなかに現れたら、圧倒的マイノリティだからそりゃ目立つ。そしてマイノリティに対してマジョリティが時にひどく横柄かつ横暴に振る舞うことを知ってる人は、マイノリティ同士で固まるようになる。

 

資産家が集まる高層住宅は、見方を変えればマイノリティの巣窟。数では持たざる人に負けるから。ついでに、持たざる人は世界的に見れば増え続けていてマジョリティだから。

 

マイノリティはマイノリティ同士で共感しやすいから同種でつるむのも納得で、つるむための巣窟ができて、マイノリティのための権利擁護にも熱心になるのかも。かもかも。

 

国土が広くてバラけることができたら、個々のマイノリティも目立たずにすむかもしれないけれど、生憎国土が狭くて居住に適した土地も圧倒的に少なかったら、嫌でも集住が進んで、ひとかたまりになっていく。

 

半世紀にはちょっと足りないくらいの昔に、秘境を訪ね歩いた紀行文を読むと、北海道のまちがいくつかランクインしていた。今となっては秘境と言われたら違和感を覚える場所と、今でも秘境の雰囲気濃厚な土地と。何が違うのかと考えたら、近郊で集住が進んだかどうかの違いかも。

 

集住で膨張した街が近くにあれば、ついでに秘境も秘境でなくなっていく。だから上へと伸びさせずに横へと広がるようにすれば、香港やシンガポールのように高層ビルだらけにもならずにすみ、その価値があるとは思えない物件に、高値がつくこともなくなりそう。

 

ついでに自然エネルギーを利用できたら、人為的なエネルギーに頼ることも少なくなりそうなんだけどさ。

 

古い紀行文には札幌の郊外は泥炭地でできていて、客土で土地改良したなんてサラッと書かれていた。その土地の来歴がある日突然途切れると、思いがけない悲劇が起こるもんだと感慨も深い。来歴は、判断しやすくしたデータに含まれてるのか否か。判断の妨げになる攪乱要素は、だいたい効率重視の場所からは疎外されるから、独立したデータになるんだよな。

道具と環境

道具だったらバカとハサミは使いようで済むけれど、環境だったら大勢の人が病気になる、おかしくなるようなものを放置してはおけない。 

 

水質がおかしいかどうか。真っ先に気付くのは水道局の人で、大気がおかしいのに真っ先に気付くのも大気を観測している人。同じように、インターネットという流れのような空気のようなもののおかしさに真っ先に気付くのも、インターネットの品質をチェックする立場の人たちで、その種の人たちがやってるお仕事は、インターネット以前にはなかった新しいオシゴト。

 

新しいけれど形態としては古くからあるものだから、新しいオシゴトをブラッシュアップさせたかったら、古くからノウハウを積み重ねてきた業種のいいとこどりをするに限る。

 

頭とシッポ。

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天気のいい日にまた見掛けたアオサギ。餌がいいのか、環境か。

もっとも早くその分野に飛び込んだアーリーアダプターと、もっとも遅くその分野にようよう接する人と。つながる必要があるのは、そんな時。「新しい」もの同士でつるんで一緒に何かやってる姿は最先端っぽいけれど、古いものに理解されなかった新しいものは、結局は単なる道具で終わる。

 

新しいはずのインターネットの会社が、実業分野で実績ある古くからの会社と繋がる姿の方が実は最先端。当初からハイブリッドしいてはその先の制覇めざして古い業界と縁を結んできた企業は、ある日突然その姿を変え、最先端に躍り出るのかも。かもかも。

 

という、埒もないことを考えるのが好きです。

 

最古の職業は、だいたいいつも当初から最先端とつるみやすいのも複合的な要因、例えばお金で買えるから商品化について理解が早いとか。いろいろありそうだけど、道具から環境をめざした時、ゾーニングやほどよい距離間のお付き合いも含めて避けて通れない問題だから、だったら最初から抱き込んでしまえということもありそう。

 

自分ちの裏庭にはあって欲しくないと忌避されがちなNIMBYが、物心両面でエリアを潤すエネルギーごと引っ越してきたらどうなのか。という古くて新しい問題の落としどころも、ある日突然想像もしなかった方法で解決済みとして全貌が見えてくるのかも。

 

ここでもやっぱり頭とシッポで、みんなが大好きなものが嫌われがちなものとニッコリ握手して登場したら掌返すのか。掌返す条件が、みんなが大好きなもの連れてこいだったらハードル高過ぎるから、嫌われ者をめざすには今は分が悪くて、悪名は無名に勝るでえげつないことで注目を集めて換金する手法の封じ込めにお役立ちでもあるよねとか。

 

今みたいに科学が発展していない時代から、権力者の住まいや重要な施設は地盤が強固な場所を選んで建てられてきたという事実は、権力の象徴には綻び厳禁だから、自然あるいは環境を観察して立地を選び抜いてきた結果とも言えて。

 

綻び厳禁だから選び抜いた地形の助けを借りて、より生き残りやすいよう作った建物が、結局は権力の象徴として後世まで伝わった。と考えると、綻び厳禁という必要にかられた道具が、権力の象徴という環境に変わって後世に残ったという、道具から環境への変遷に勝手に重ねてみる。

 

道具から環境に変わるには、何が必要で何が不要なのか。環境に変わって安定を手にしたい人ほど、よく考え抜いてる。不安定だと、道具に甘んじてるしかないから。

 

24時間停電中だった日の夜は、ブリザード吹き荒れる夜よりも静かだった。今後も経験するかどうかの静けさだったから好ましく捉えられるけれど、定常になったらそれは違う。

 

非常時対応グッズを各種取り揃えるよりも、そもそも非常時がやってこない状態の方が、そりゃ望ましいに決まってる。と、思いつつ非常時にお役立ちなものリスト眺めながら、何買い足していくか考え中。

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天気のいい日には遠出もしてきたけれど、残ってるのは近場の写真。

気温は、お昼だというのに18℃で肌寒い。サバイバルについて語らしたら、サバイバル環境に詳しく強い人の独壇場。サバイバルにはさして強くないなりに、サバイバルという意識も極小で乗り切る方法でも考えつつ過ごしましょ。今日は天気が悪いから。

先週と先々週食べたもの

地震も停電もひとまず落ち着き衣替え中に発見した、クローゼットの隅の“非常用持ち出しバッグ”。東日本大震災時には活躍してくれたけど、それから時間が経って諸事アップデートされた結果、使えない非常時グッズの宝庫となっていた。

 

かつてはケータイ。今はスマホが主流だから、強制的アップデートの分野はこんなところにも転がってた。

 

非常時にも使わずその存在を思い出すこともなかった、非常用持ち出しバッグ。いい機会だから中身を刷新して、次回に備えましょ。次回は、ないに越したことはないんだけどさ。

 

今年は筋子が安いとイクラの醤油漬けを自作して浮かれていたのは、9月に入ってすぐのこと。そのあとやって来たのは地震と停電、あるいは節電目標20%の掛け声。食事風景にも、それらが濃厚に反映されている。

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  • ベーコンと野菜のトマトソースパスタ、ポテトサラダ
  • 豚バラと大根、焼き麩の煮物、れんこんのカレーピクルス、油揚げのきんぴら
  • サーモンとイクラの親子丼、シーフードサラダ、れんこんのカレーピクルス

ここから地震発生後。

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テレビ塔の電気も信号も消えた。

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食器棚の奥に眠っていた、非常用ビスケットの存在を思い出せてよかった賞味期限前。結局今でも手つかずで、そのうちおやつにするかお菓子の材料にでもするつもり。停電中に食べたものといえば、菓子パンにお菓子にスナック菓子で、ゆっくり食事を楽しむ気分じゃない時は、食欲も減退。

 

冷蔵庫の中に眠っていた食材の、在庫一掃期間。

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節電20%目標がチラつき、スーパーその他の食材も平時とは違った品揃えの環境下では、「いつも通り」は難しい。難しいから、作り置きを駆使して夕食もお弁当スタイルにしてみた。あんまり豪華じゃない、お節みたいなもの。

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テレビ塔も節電中だもの。

ウィンナーという食材も、ふだんは朝食のもの。たんぱく源をウィンナーで済ますと手抜き感が募るけれど、お弁当スタイルなら気にならない。気にならないけれど、同じ量なら生肉の方が、はるかにレパートリー広くて使い勝手もよし。

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きんぴらやピクルスは、そもそも保存性が高いから、冷蔵が常温になって再び冷蔵に戻っても気にせず使ってた。ただし家庭内に限るで他人に供する場合は、そんなわけにはいかんでしょ。

 

冷凍から冷蔵そして再冷凍されたコーンに枝豆。解凍して火を通せば何てことなかったけれど、自分のお腹限りだから他の人の場合はどうだか知らね。コーンはともかく枝豆は、再冷凍後に解凍すると、見た目が著しく悪くなるという発見があった。解凍後も見た目が美しいのも、技術の内。なのかもね。

 

やってみたから実感する、作り置きを駆使すると、びっくりするほど食費がかからない。ざっくりいって平時の1/10。家計は大助かりで、そりゃ病みつきにもなるわ。そもそも食費にお金かけ過ぎではあるものの、なかば趣味なんだからお金かけてもいいと割り切ってる。趣味ってそういうもんじゃん。

 

予算に時間に在庫。

 

いつもはすべてのリミッター外してる食事の支度に、いきなり三重苦のリミッターがかかったら節約効果は抜群で、お金が減らない。

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冷えた旬のくだものに、手の込んだケーキその他も罪悪感なく消費できるのがいつも通りで、強制的にリミッター課せられたままだったら、いつも通りへの道も遠くてお金も回んないやね。

 

趣味性に回帰しつつある食卓。

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  • ラムしゃぶとヤングコーン、レタスの炒め物
  • さんまの塩焼き、野菜スープ、トマトの甘酢和え、きんぴら、しいたけの含め煮

 

当初は暇かつパンの供給もどうだか知れないからケーキでも焼こうと思ったけれど、バターが品薄かつ節電を叫ばれたらそんな気にもなれず。料理に掃除にお片付け。暇な人が習熟するのは、だいたいその辺さ。

好日

賑わうべき時に賑わうべき場所が、ちゃんと賑わっているとひと安心。

 

悲観は気分で楽観は意思で、よくない噂やニュースほど大きな翼に乗って遠くまで届くものだから、悲観は作りやすくて楽観という意思はとかく叩かれやすいのかもね。かもかも。

 

雨模様という、当初の予報はどこへ行ったのか。

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好天に恵まれた一週間。ホテルでは宿泊キャンセルが相次いだとか言うもんだから、チャーンスと物色するも、行ってみたかった評価の高いホテルの週末や連休の予約は相変わらずいっぱい。機動力の高い人たちによって、早々に押さえられたのかもしれないし、そもそも“マーケットが違う”のかもしれないけどさ。

 

観光客が絶えないはずの場所も、ほんの一瞬観光客の姿が消えたけれど、その代わりに普段はあまり見掛けない“お客様“を見掛けた。

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真っ白でもなく真っ黒でもなくブルーグレーの体色だから、これはやっぱりアオサギか?剥製なら見たことあるけど、本物のアオサギをこの場所で見掛けたのは初めて。鴨が我が物顔で泳ぎ回る場所かと思ってた。

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ぼっちの鳩と、避難するかのように大群となって木にとまる鳩。こちらも、なかなかに珍しい光景。

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スーパーやコンビニの商品棚は、いつも通りからはまだちょっと遠く、ここではあったものがあちらでは不足中といったナゾナゾが続行中。一旦止まった、あるいは傷ついた物流網を立て直すのは楽じゃないのは、やっぱり立地の問題かそれともなのか。

 

誰もが納得する、もっとも美しいカタチでナゾナゾを解いた人に、大きな贈り物があるのかもねと想像するのは楽し。

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札幌の歴史には疎いもので、てくてく街を歩いているとどちら様ですか?と思うような人物を顕彰した銅像その他に時々遭遇し、始めて偉人だったと認識する。小学校あたりに地元史を習ったことがあればともかく。そうした機会がないと、とことん来歴には無頓着になる。

 

現在のような都市の、かげも形もなかった時代にこうあれかしと願って礎を築いた人たちの目に映る現在の姿は、願った通りなのかそれともなのか。街は生き物だから、そもそも生き物に命を授けた人たちの息吹みたいなものは、やっぱり現在まで残ってるもんだと感心する。

 

一見伝統的なものがこの地では伝統ではなく、他の場所では新しいとされるものの方が伝統に基づいていたりと、個性的。

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個性は差別化につながるものだから、本来はブランド化もしやすいはずなんだけどどうなんでしょ。ブランド名だけでは乗り越えられない、ぶ厚く手ごわい国際物流網の壁。とか考えるのも楽し。やっぱり楽観は意思のたまもので、意思があるところに道は開けてその先まで続いていくと考えると、納得感もあり。

 

お休みなさーい。

忘れる前に

地震よりも、長引く停電により驚いたし困惑した。電気が消えた時は驚いたけれど、どうせすぐに明るくなるさと、甘く見てた。

 

9月6日の3時頃に地震が起こって、しばらくしたら停電した。電気が復活したのは9月7日の未明で、停電していたのはだいたい24時間。たったの24時間あまりなんだけど、長かった。

 

プラプラ街中のようすを偵察していた時。駅前の金融機関には次の日、9月7日には朝から営業との張り紙があったので、きっとそれまでに市内中心部の電気は何とかなるんだろうとは思っていたけれど、それでも長く感じたんだから、堪え性がない。

 

発電所の復旧計画とその進捗が明らかで(テキスト情報かつ目立つ場所に掲示という親切設計)、それでも自宅の電気がつくまではイライラするんだから、我慢が効かない。

 

知床のように自然豊かな場所に旅行した時でさえ、丁寧に淹れたコーヒーや紅茶と手を掛けて作ったケーキが恋しくなる人だもの。そういうことが、当たり前になった時が日常さ。都市を都市たらしめているものは、その種のなくてもいいけどないと味気ない諸々のもの。

 

非常時との折り合いをどうつけるのかが、節電目標と実際の数字に反映されてる気がしたね。

 

晴耕雨読自然エネルギーに頼ると、電気の使用量も抑えられるってもんで。風が抜け、光が入る建物だったら、フルパワーの電力に頼ることもなし。たまーにだったら階段の昇り降りも苦にならず、いい運動と慰めることもできるけれど、それが当たり前になったら配送業の人や高齢者はたまらんでしょ。

 

そもそもお日様の光がたっぷりと降りそそぎ、風が抜けるから乾燥機もエアコン使用量も極小で済む一戸建てが建ち並ぶエリアと、限られた土地の高度利用めざして上へ上へと伸びていくしかないエリアと。

 

エリアやブロックごとの特性に合わせ、細かく設定を変えられるシステムには柔軟性を。その反対に、硬直したシステムに合わせられない、自助努力で何とかできる人たちならどこまでも自助努力でがんばりなと放り出すシステムには、怠慢を感じる。

 

二階建て以上の建物といえば、公的機関か病院しかなさげな札幌以外の都市や札幌市郊外から豊平川を越えて中央区に入ると、いきなり高層マンションが立ち並ぶから面食らう。

 

職住分離で住まいと職場が離れたライフスタイルは、近代のものなんだってさ。

 

通勤や通学で、ある地点を越えたらいきなり景色が変わることを体感してる人なら、普段から二つのライフスタイルを行き来しながら生活しているようなもの。反対に、職住近接で普段から生活と仕事が密着し、人間関係や交友関係にも入り込んだライフスタイルの人とは、違う世界を見ている。

 

電気が復活したあと、家電製品の時刻表示を入力し直すことに面倒くささを感じたけれど、電波時計内蔵型にでもなったのか。意外と手間もかからずにラクチンだった。東日本大震災時を思うと、地味なところで進化してる。

 

余震が来るかもしれない状況でも、プラプラ街中まで出歩いてヘーキなのも、アスファルト舗装された道路が大蛇のようにうねり電柱がグラグラ揺れるなかを、自宅までテクテク歩いて帰ってきた経験があるから。

 

それでも昨日は寝る前にあった地震のせいで、しばらく寝付けなかった。慣れるものと、どうしたって慣れないものと。そこはもう、どうしようもない。

 

信号が消えて、ライトで交差点進入を知ることができる夜間ならともかく、日中はどうなるのかと思ったら、交通量の多い場所にはちゃんと交通整理の人が居た。コンビニを筆頭に、開店しているお店が多かったのも、意外。店内は薄暗いままだったりしたけれど。

 

スマホという強力な武器が充電切れで役立たずになって、右も左も言葉もわからない場所で、非常時ながら開店していた場所で食べた、温かい出来立ての食べ物は、きっと強く印象に残る。

 

大変だったねと誰かに話を振られても、そうなんだけど、あの時食べた「ほにゃらら」は旨かったと拡散してくれる可能性のある人たちになら、そりゃ張り切って親切にもするさ。彼らは単なる行き場を失った旅行客ではなくて、熱烈かつロイヤリティの高いファンでアンバサダーになってくれる可能性がより高い人たちなんだから。

 

商魂のたくましさがほんのり、あるいはがっつり垣間見える非常時ならではの光景は、微笑ましいを通り越して、ファルスっぽくもあった。

 

その一方で、非常時用のマニュアルがあり、末端であってもきっちりマニュアル通り動ける人を揃えている組織が見せてくれる、非常時の動きは美しかった。マスゲームにもつながる美しさだから、あんまり褒めるのも何だけどさ。

 

非常時に、非常事態となった場所に人を派遣するのは、何よりも自分たちのため。そこで見聞きしたことをマニュアルに落とし込んでリスクに備え、いつでも余裕が発揮できるようなサイクルが循環する限り、余裕が途切れることはなし。使い果たした余裕を取り戻すために、ファルスを演じることもなし。   

 

本日休業の張り紙も、手書きのものと印刷したものと二種類あって、似たような規模のお店でも余裕のありなしを勝手にそこに見ながらプラプラしてた。

 

非常時であっても煌々と灯りがともった営業中の金融機関もあったけれど、真新しいビルで他のテナントが閉店中だからできたことでもあって、真逆の条件で同じことはやれない。

 

ついでに顧客層を考えたら、現金の出入りに備えてのことにも見えるし、非常時であってももしかして小切手や手形を持ち込む人でもいるのかも。「非常時だから大丈夫」という甘言に煮え湯をのまされた経験でもあれば、期日を守ったのはこちらと何が何でも証拠残したくなるでしょ。

 

多勢に無勢で理がある方がバカを見たのなら、同じ轍は踏むもんかと意固地にもなる。

 

アナログなテクノロジーで非常時を乗り切れるのは、新旧取り混ぜて人材が豊富な証拠で、新あるいは古い方にしか舵を切れないのは、人材に偏りがある証拠。非常時に張り切ってオールドテクノロジーを披露してくれる人がいる組織は、お金よりも人手が欲しい時の強い味方。

 

今ある食材がダメになるかも知れず、次の入荷はいつになるかわからないとなったら、使い切って売り切りたくなるのが人情ってもので。個人経営で替えが効かないのなら、休める時に休むのも戦術のうちよな。

 

非常時に無理くり店開けて、大勢のお客さんを迎え入れるお店は、いってみれば地域のストックヤードで、食料その他日用品がその地域に流れてくるいっちゃん太いルート。いっちゃん太いルートがあるから、その他のあってもなくてもいいものが流れてくる細いルートも生まれるわけで。

 

そもそも流れてくるものがあるから、分岐が生まれるもの。流れてくるものさえなくなったら、どうなるのか。ということを考えながら、非常時に街中プラプラしてた。寝る場所も居場所もない観光客を許容量以上に抱えると非常時の負担が勝るけれど、観光客が居る景色と落とすお金を当たり前にしたかったら、どう受け入れていけばいいのか。

 

光都市として生き残りたい他の都市も、サンプルを元にじっくり考えてるかもね。かもかも。可哀そうと口に出すのはいちばん簡単で、可哀そうをなくそうと労力使う方が大変さ。

 

お休みなさーい。

白鳥大橋と地球岬と電気と

3日後あるいは一週間後。1ヶ月または半年一年先の未来の姿が見えないのは、余裕がない人。

 

とびきり余裕のある人だけが、百年先の未来のことだって考えられる。明治維新後に作られた、今に残る近代化遺産の数々は、百年先の未来を考える余裕と権力のあった人が残したものでもあると、つくづく実感することよ。

 

時間と労力をかけて作った立派な橋も、壊れる時は一瞬で、「往時の姿」をそのまま残そうと思ったら、時間を止めた方が長持ち。ローマ時代に作られたアーチ橋が、現代にまで伝わっている理由のひとつには、現代では実用に供さないからというのはきっとある。

 

使わなきゃ壊れないし、「遺産」だったら非常時に保護される可能性も高くなる。

 

ちょっと前に東日本最大の吊り橋、白鳥(はくちょう)大橋を見て来た。見て来たのは、白鳥大橋だけでもないんだけどさ。白鳥大橋のある室蘭は、自然豊かな北海道では珍しくインダストリアルな景色が見られるところ。

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工業都市が珍しくも何ともない人にとっては新鮮味に欠けるかもしれないけれど、雄大な自然を見慣れた目にはむしろ、インダストリアルな光景こそが新鮮だった。

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天気悪かったのよ。。

自然豊かな景色求めて有珠山とその界隈をめざしたけれど、あいにくの天気で「フットパスをてくてく歩く」という当初の目的はまったく果たせず。地獄谷っぽい景色を見て、活火山すげーと感動したかったんだけどさ。帰路に立ち寄った室蘭で、白鳥大橋地球岬を見て来た。ずっと見たかったんだ、特に白鳥大橋

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瀬戸内しまなみ海道のように、自転車が通れるわけではなく自動車専用道路。渡る時はあっという間。途中停車しての記念撮影その他の行為は禁止されているけれど、車を停めて、じっくりその姿を鑑賞したくなる美しさ。工業地帯という、どっちかっていうと殺風景な景色の中で、できた当初は本当に白鳥のようにきれいだったんだろうと予想。

 

ちょっと小高い場所にある展望台から、白鳥大橋の全景を望む。

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謎モニュメント。

苫東厚真火力発電所一ヶ所で、全道の約半分の電力を賄っていたときいて驚いたけれど、この地に足を運べばわかる。自然豊かな北海道で、ここまでインダストリアルな光景が広がる場所は、他になし。電力を大量に必要とする工業集積地の近くに、大規模火力発電所があるのも納得。大量消費するユーザーの近くだと、電力需給の調整もしやすかったんじゃないの、オールドテクノロジーでもさ。

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地味に風力発電もがんばってた。

 

クロユリが咲くという島。

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クロユリと聞くとおどろおどろしく感じるのは、美内すずえのせいです。清潔や可憐という雰囲気ぴったりのササユリと比べると、その姿からどうしても腹黒く感じてしまう。すまんな。

 

白鳥大橋を離れ、最近話題の地球岬へ。多分、最近の北海道は地球岬推し。新千歳空港にも写真出てるくらいだから、定番の観光スポットに育てたいんでしょ。

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太平洋を一望できる、気持ちのいい景色が広がってる。海青―い、風涼しーとポジティブに捉えられるのは、ここに来るまで車だったからです。

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観光バスや車で乗りつけて見る景色だから、無邪気に喜べる。ローカル線を乗り継ぎ、ふもとの小さな駅からえっちらおっちら坂道のぼってきて見る景色としては、どうなんでしょ。経験者からは、また別の感想が出そう。

 

やっぱりこの辺りも、もともとは自然豊かな土地だったのねぇと実感する景色が、地球岬の周囲には広がってる。

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何にもない場所だったからこそ、道内一の工業地帯にまで成長できたとも言えるわけで。古くからのしがらみに縛られてたら、いくら新天地でもそうそう好き勝手に改造、特に魔改造はできんわな。

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太平洋は広いねぇ。

一大工業地帯だったのも今は昔。日本の産業がシュリンクすると、大規模な発電・送電能力を持つ施設とエリアはどうなるんでしょと思ったのも、ついこの間のこと。

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大規模発電・送電能力をそのまま生かそうと思ったら、やっぱり大量に電力を必要とする産業を誘致するのが妥当ってもんで。この地からそう遠くない場所が、インバウンド観光客を大量に受け入れて繁盛している大規模観光ホテルやリゾート施設で賑わってるのも、決して偶然とは思えない。

 

オロロンラインに代表される北海道の日本海側は、風光明媚で観光にはもってこいだけど、悲しいかな大規模な観光ホテルが少ない。人手の問題もあるけれど、それより大きいのは実は電力の問題で、スマートシティは要するに電力が豊富にないと実現できないもの。だから金持ちわがままリッチマンでも満足するような、すてきリゾート施設建設にもっとも足りないのは、実は電力じゃないのと思った、この夏の思い出。欲しいものは、何でも作る人なら、きっとその通りにする。

 

作られたマニュアルを順守して、大量に効率よく大量生産や大量の何かを捌くことが習慣化して上手な人は、何を商っていても大規模な組織でこそその地力も生かされる。

 

わがままで規格外の個別オーダーに応じるのとはまた別の才能が必要だから、適材適所で配置。とか考えるのは、百年先の未来を考えられるほどとびきり余裕のある、神様の遊びっぽいやね。

 

100%他人のためにしか時間を使わないなら、「自分」なんてなくてもいいじゃん。自分のために時間を使うから、「自分」が必要なんでしょ。

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台風で落ちたのか、それとも地震の揺れによるものか。例年より早い銀杏。

天気のいい日に自然豊かな場所を、てくてく散歩できるのはいつになることか。できるだけ速やかに、そうなりたいものさ。

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あんまり見ない、時刻表示の消えたテレビ塔

中世のような街並みは今でもきれいと感じるけれど、あれは街全体がその時点で歩みを止めた、テクノロジーを止めた姿でもあるからきれいなのであって。中世のような街に現代人が住もうと思うと、電気が足りなくてきっとイライラする。

 

見た目の美しさを優先して、進化の歩みを止めるのか。それとも、イライラの解消めざして進化を選ぶのか。イライラが不幸の源になるのなら、多分もう答えは出てる。