1974年から現代まで。この五十年間でアメリカ大統領に就任したのは、9人。一方その間日本の総理大臣に就任したのは26人。
大統領にフォーカスした現代アメリカ(政治)史、『大統領たちの五〇年史 フォードからバイデンまで』を読んだ。
颯爽と登場し早世したJFKが山なら、ウォーターゲート事件で悪名を馳せたニクソンは谷。山と谷をへて半世紀も経てば、超大国の立ち位置も変わり、環境が変われば最高権力者として選ばれる人物も変わる。
本書はニクソンの辞任を受けて登場したフォード大統領から始まっているけれど、フォードって誰?状態。だったので、現代から遡っていく方が退屈せずにわかりやすく、第八章トランプ対バイデンー死闘から読み始めた。
各章は短く、それぞれの大統領についても個人像を掘り下げてはいない。最低限知っておくべき事柄について簡潔にまとまっている。簡潔だけど無味乾燥ではなくドラマチック。4年ないし8年が詰まっているから、どの章も読み応えたっぷりで社会派の映画やドラマ、エンタメを見るより実在の人物だから面白い。
アメリカ政治、あるいはアメリカの大統領について基本を押さえたい人向け。外交・財政・軍事。あるいは文化や芸術。もの足りないと思ったら各自で足せばいい。
まずはバイデン氏・トランプ氏にオバマ氏。公的な業績よりもリアリティー番組出身者、奥さんや娘さん、あるいはご子息、初の黒人大統領といったゴシップに分類されるような事柄により詳しい。
彼らはSNS普及後(普及期含む)に登場した大統領だから、よく知られているエピソードはSNSで拡散されたもの。接した情報やメディアが、親米的か親共和党的か親民主党的かで取り上げ方は変わり、受け取る側の印象も歪められて変わる。
メディアが権力に迎合的とは限らないから、ことさらバカっぽいエピソードが強調されがち。バカっぽいエピソードの消費期限が消えたあとに残るものが功績で業績なんだと思う。
権力に迎合的ではないメディアが、決して報じず報じられない部分にこそ各権力者の本当の姿があり、だからメディアの下馬評とは違う結果が選挙の結果として現れる。
来年2025年1月には、トランプ氏が二期目の大統領として登場する。彼が夫人や子供、孫を従えメディアの前に登場する姿は、(内心は嫌々、渋々でも)メディアがどう報じようと彼らは子供や孫にいたるまで表舞台に登場するし勢揃いできることを示している。
3億超の人口の代表、人口のなかにはその出自、共和党員で白人という属性ゆえに反感を持つ、友好的ではない人も含んで時には中傷される。国の代表として、アメリカ万歳・白人万歳ばかりではない全世界の人の目にも晒される。
公職者として最高の権力を持つ代わりに、プライベートは最大のリスクに晒される。
フォード大統領って誰?ではあっても、カーター氏以降の大統領については外交面や財政面、あるいは軍事面から見た正当あるいは妥当な評価には疎くても、とりあえず名前だけは知っている。
大統領だけでなく、時には議長や司法長官、FRB議長など政権の要職にある人の名前を知っている。それも、同盟国とはいえ外国の。という状況は考えてみれば奇妙で、例えばイギリスやフランスの首相や大統領。代表についてはともかく、政権関係者についてはより疎い。
疎くて、当たり前。知ろうとしてなくても情報として接しているならそれはロビー活動の一担で、アメリカのロビー費は莫大で巨額でその活動は広範囲に及んでいるということだったんだと思う。
そして日本のような同盟国でロビー活動が活発なのは、半世紀前から継続的にアメリカが戦争や紛争を対外的に行っているからで説明がつくはず。
厭戦気分や好戦気分は、共有する人数が多いほど高揚感も増す。アメリカが何らかのポジティブキャンペーンに使いたいときはポジティブなネタが投下され、ネガティブキャンペーンに使いたいときにはネガティブなネタがより多く投下される。
そういう構図から意識して距離を置かないと、対象に対して第三者ではいられない。
各々の4年ないし8年間には多分に選挙が含まれていて、大統領は選ばれるものと強調される。
リベラルな判断が時に嫌われるのも、選ぶ側にはリベラルでない人も多数含まれるから。だから、スペックだけ見ればより魅力的に映る候補者が現れたとしても、結果としてその時代のアメリカ代表に選ばれたのは、フォード(選挙で選ばれてはいないけど)・カーター・レーガン・パパブッシュ・クリントン・ブッシュ・オバマ・トランプ・バイデンの9人。
大統領選は美人コンテストやオリンピックのように、最も優秀な人や最も魅力的な人を選ぶ場ではないから、選ばれた大統領をみればその4年ないし8年の、選んだ人たちの空気や気分がより濃厚。流動性を伴った移民大国の、ある時期がピン留めされてるとも言える。
個人としてどれほど優秀で有能であっても、団体戦で勝てるメンバーを揃えて動かせないと結果は出ない。そして個人としても有能で優秀、勝てるメンバーも揃えられる候補者が、時として手段を選ばない想定外の悪意によって引き摺り下ろされることもあるのが、”選ばれる”というシステム。
悪辣な手段もためらわない。その種の悪意に対しても邪悪になれず、正攻法で立ち向かうしか術がない方は無力。だけど、そもそも善良で正しい行いに事欠かない。それゆえに敬意のようなお金では買えないものを得ていると、無力に見えても無力ではなくなり、敬意という盾に守られる。
だから、同盟国とはいえ政治制度が異なる日本にまで死後であってもその名が伝わってくる。
50年間で9人の最高権力者に対して日本は26人だから、それぞれの権力は小粒で本当のキーパーソンが誰なのかわかりにくい。
一方、フランスの大統領は任期が異なって長いとはいえジスカールデスタンから数えれば、たったの6人。対USドルの為替を考えた場合、ユーロ > USドル > 日本円なのも、長期で安定したものに人は安心感を感じるからだと肌感覚でわかる。
選ばれるなら、よい集団の代表に選ばれたい。選ぶなら、よい集団のなかから選びたい。その心理が流動性を加速させ、アメリカでは今も人口増が続いているんだとも思った。
ロックフェラーセンターのクリスマスツリーに明かりが灯るセレモニーは、クリスマスの風物詩。目の前で実物を見たことはないけどそういうものだと聞き知っている。
(テレビ塔も、見ようによってはクリスマスツリーに見えるクリスマスシーズン)
流動性が加速し、新しくて経済力のある層に配慮したポリティカルコレクトネスに配慮するようになると、伝統であってもこの種の行事は大々的にとはいかなくなる。札幌も、いつからかは知らないけれど、クリスマスにはクリスマスマーケットが開かれる。
それがこの街の歴史で、人でもものでもとかく長いものに人は巻かれやすい。クリスマス前は雪が少なくて、どうなることかと思ったけれど雪が降ってホワイトクリスマスに。クリスマスシーズンだけを見れば変わってないという印象になるけど、ほんとは変わってる。