お菓子や何かを作ろうとしたとき、卵1/2個分というレシピに出会うと残りの半分はどうすんのさ?とイラっとする。
最近は、卵(=卵液)が余るのなら玉子焼きを作ろうとか。余りが出るなら余りを使って何かを作る心積もりでいると、イラつくこともなくなった。
料理用に赤ワインと白ワインを常備しているけれど、赤ワインは余りがち。白ワインを3本消費するあいだにようやく1本使い切るかどうかというペースで、白ワインの消費に対するペースは1/3で3倍遅い。
毎回赤ワイン煮込みに化けさせるのも芸がない。と思っていたら、アルコール分を煮切って飛ばした赤ワインに砂糖を足して、スパイスで風味付けした赤ワインシロップというレシピに出会った。
アルコール分を煮切って甘くしたものといえば“みりん”で、要するにこれはみりんだと思うとソースにも使えて何かと使い勝手がいい。酒・みりんにしょうゆに+αの組合せで、味付けのバリエーションは無限。
ホリデーシーズンには赤ワインシロップを炭酸水で割って、フルーツやスパイスを加えれば、アルコールが不得手な人向けの飲み物にもなる。キレイに発色するので、フルーツのコンポートやシャーベットにムースのようなものを作るときにもちょうどいい。
“余った赤ワイン”が出たときに作っておけば、やっぱり余りそうなフルーツや生クリームあるいはヨーグルトのような日持ちしないものも余すことなく使い切れるようになる。
そして、余すことなく使えるはずのコンポートやシャーベットのようなデザートまで、冷凍しようが冷蔵しようが余るのならそもそも作り過ぎなんだということになって、生産量そのものを見直す時季なんだということになる。
おじーさんやおばーさん、あるいはひいおじーさんやひいおばーさんから受け継いだ(=相続)した広い庭付きの立派なお屋敷で、やっぱりひいおばーさんやおばーさんから受け継いだ着物や装身具を身に着けて結婚式を挙げた。
という由緒正しいお家のライフスタイルは、衣食住のうち生鮮食品以外はすべて受け継いだもので当座をしのげるということで、持てるものほどお金を使う局面が少なくなるんだという極端な例でもあるんだと思った。
(交通の便もいい、誰にでもわかりやすい場所に今さら日本庭園を新たに作ろうとすると、きっと大変。)
由緒正しいの根拠が受け継いだものの多さで示されるようなときは、受け継いだものは手離しにくくなって買い替えまでのサイクルも長くなる。消費が捗らないんだから景気も停滞し、先進国が時に英国病のような踊り場に直面するのはだから先進国の宿痾のようなもので、持てるものが増えた先進国の証し。
美術館や博物館の類がたくさんある街は、歴史が長く続いた街。受け継いだものの簡単に処分もできないような“由緒正しい”ものも、預ける場所があると思うと美術的価値や骨董的価値のあるものも揃えたくなって、古いものだけでなく新しい美術品も動くようになる。
歴史を重ねた開発余地に乏しい街で、今も昔ももっとも価値があるのはスペース。
収納する場所、収納余地があると思うからどんなものでもコレクションがはかどって何らかのコレクターによってお金も動くけれど、そもそも収納する場所がないと手元に置くのは処分しやすい”消えもの”になっていく。
”消えもの”の消費ばかりはかどるその場所には、もうスペースがない。
形あるもの、年々歳々大きくなっていくか数が増えるものの消費が増えるその場所はまだスペースに余裕がある。
余りがちなものを余すことなく使い切ろうとして初めて、生産量そのものに目が向くようになって“適正な量”について真面目に考えるのかも。かもかも。
赤ワインシロップにしょうゆ・バルサミコ酢で作ったステーキソースはマッシュポテトとの相性もよく、ハレの日の一品が簡単にできて大満足した。