クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

弓が二つ並ぶと、湯気

弓が二つ並ぶと湯気を表して、湯気がお米をサンドイッチにすると、粥になる。変な字と思いながら辞書を引くと、そうなっていた。わかったようでわからない、会意文字。

 

日本で最も日本古来の伝統からは遠い土地であっても、七草粥は取り入れやすいし真似しやすいから、ちゃんと七草セットが売っている。北海道産を謳われると植生が全然違うから、後天的に栽培や繁殖させたものかと逆に心配にもなる。固有種じゃないもの、そんなに簡単に増やしていいの?と。

 

伝統がしっかり生きて現代にも伝わってる地域だと、お馬さんパカパカな神事でもやってるのかもしれないけど、生き物使う系は取り入れやすくも真似しやすくもないから、伝統を残していくのも大変そ。

 

今回のお節は、初めて田作りを自分で作ってみた。

 

個人的には、お節の中でもお煮しめと並んで箸が伸びない系の筆頭で、大して好きじゃなかった。でも、初心者向けレシピでレシピに忠実に作ってみたらたいそう美味しくて、特に出来たてはサクサクパリパリで、何度もつまみ食いで手が伸びたほど。

 

出来立て、こんなに美味しいんだとびっくりした。

 

コツあるいは美味しくできた勝因は、焦がさないこと。フライパンにクッキングシートを敷いて、根気よく20分は煎りつけてカリッカリにしてから飴をからめると、焦げずにサックサクに仕上がった。

 

だから、市販の田作りが大して美味しくないのもわかった。たいていは、焦げてるから苦い。

 

お節でも何でも。家族のなかにまめに手作りする人がいるあいだは、手作りの味に舌が馴染んで市販品には見向きもしない。馴染んだ味とは違うから、手作りしてくれる人がいなくなったあとはやっぱり市販品には馴染めず、お節やその他、日常のお惣菜系そのものから遠ざかる。

 

ということは、あるのかもしれない。

 

三が日のあいだに寄ったファストフードのお店では、ちびっこや未成年らしきお子様を連れたご家族連れも多くて賑わっていた。三世代あるいは四世代同居や近居で、おもに炊事を担ってきた人が変わったり居なくなると伝統の味も途絶えて、伝統には背を向けるようになるのかも。消去法的であっても。

 

美味しいものは、舌が覚えてる。記憶にある美味しいものとは違う、大して美味しくないものに大枚はたくのもどうよ?となって、新しいお正月の形が始まってる。そう思えば納得する、車で寄れるカジュアルな郊外型飲食店はどこも、三が日であっても賑わってた。

 

お餅にお米に干し柿に、多分昆布。お餅のてっぺんに飾るのは橙という、記憶にある鏡餅の姿は、そもそも床の間がないと再現しようもなし。

 

住まいの形は制約でもあるから、床の間なし住居の普及が始まった時から、伝統なんて形無しになって形骸化する未来は、すでに既定路線だったのかも。畳屋さんを見つけるのにも苦労するとわかっていたら、和室は作れない。

 

高価であっても海外なら普及してるものと、さして高価ではないけど海外では入手不可能で、国内にしかないものと。希少性に勝るのはどっちかなんて、希少性マニアならきっと知ってる。