クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

少し不思議

いつ頃だったか、もう思い出せないほどの昔。多分インターネットも普及してなかった頃に、街でお金をバラ撒いた人が出たというニュースがあった。

 

新聞だったかテレビだったか。どちらかで見たのか双方で見たのか。その辺もハッキリとしないながら、どっちかっていうと若い男の人が、ビルの上から花咲か爺さんのようにお札、札束をバラ撒いているイメージだけが今も残ってる。

 

なぜお札をバラ撒いたのか。続報は出なかったか、見なかったからわからない。ただ思うのは、その人にとってそのお金は要らないものだったってこと。

 

欲しかったものや、失くしたくなかったものの代わりに手に入ったものだったら、ちっとも嬉しくないし有難くもない。そんなお金要らない。要らないから、バラ撒いた。ただ面白いことがしたかっただけかもしれないけどさ。

 

その人にとっては要らないお金に群がる人を見て、お金をバラ撒いたその人は、こんなものでも欲しがる人がいるのかと、案外不思議に思ったかも。

 

お金は、使う人と受け取る人が居るからお金になれる。

 

ある人から受け取ったお金は、受け取っても嬉しくない。あるいは、支払いたくないある人に渡るのなら支払いたくないと、色のついたお金を使う人と受け取る人の双方が厭うようになったら、それはもうお金にならない。交換できないならお金にならず、交換できないものが市中に出回ったら、たちまち経済が回らなくなる。

 

お金は経済を回す血液で、血液が流れなくなった人体はポックリ逝くように、経済もストップする。いくらヘリコプターで景気よくお金をバラ撒いても、バラ撒いたお金に“色”がついていて万人にとってのお金になり得なかったら、底の開いたバケツに水貯めるようなもの。

 

お金から“色”を抜かない限り、回るはずのものも回らない。

 

紛争地帯や内戦地帯では往々にして経済が停滞するのも、きっとお金に“色”がつき過ぎてるから。忌避される“色”のついたお金の流通量が増えると、買える物も買えなくなって、物流が滞って流通が混乱する。

 

単なる交換手段のはずのお金に、こちらでは500円プレミアム。あるいは500円デラックスと、本来価値以上のプレミアムがついて、本来は同じ500円均一のはずなのに、交換できるものの量が変わってくるのが、混乱した状態。

 

500円の陰に見え隠れする、誰かの影響で価値が増えたり減ったりするから、混乱する。陰に見え隠れする“色”をすっかり落とし、500円はやっぱり単なる500円以上でも以下でもない状態にならない限り、混乱は収まらない。

 

価値が増えたり減ったりすることがわかっていたら、損したくない気持ちが勝って買い控えのような状態も招くから、やっぱり経済は滞ったまま。

 

プレミアムを左右しているのは、陰に見え隠れする何かの“色“。だから”色“がすっかり消えて、すっかり消えたねと使う人と受け取る人の双方に周知されてすっきりしない限り、もらっても嬉しくも有難くもないものは、価値が定まらないままですっきりしないまま。

 

あなたからのお金は頂けません。と、何らかの色つきのお金にキッパリはっきりNOをつきつけた途端に経済が回らなくなった場合は、今までどんだけ色つきのお金が回してたんだ。。と驚き慄くところ。