クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

好きなように使う

三日と言わず、最高気温が日々10℃単位で上げ下げする。変わり身の早い温度変化を表すぴったりなフレーズ、あったら便利。

 

キラキラネームや外国人にも発音しやすい名前が増えたおかげで、変わった名前は以前ほど目立たなくなった。親が子供に非凡な名前を与える理由は、きっといろいろ。平凡な人生に倦んだ親が、非凡な人生を子供に望んで非凡な名前を与えることもありそうだけど、その逆もありそう。

 

俺・私のこどもに生まれてしまった君には、残念だけど平凡な人生は望むべくもないから、非凡な名前に負けずに非凡な人生を歩んでね。

 

という理由で非凡な人生を歩んだ親が、非凡な人生を子供に望んで非凡な名前を人生最初の贈り物として与えるケースもあるかもね。

 

世界中の誰もが知っている、アジア中の誰もが知っている、あるいは日本中の誰もが知っている。そういう親の子供に生まれてしまったら、よくも悪くも親の名前を背負って生きていくことになる。

 

勝手に期待されて失望されて、本人は何もしてなくても親を嫌う人や敵対する人からは嫌われ妬まれて、手が出せない親の代わりに危害さえ加えられる可能性さえある。平凡な親のもとに生まれた子供とは、スタート地点からしてすでに平凡からは遠い。平凡な人生を歩む方がハードモードだったら、非凡な人生を望む方がより現実路線。

 

知名度が高いばっかりに、平凡な人よりも百倍も千倍もイヤな目にあった人なら、知名度の高さがもたらす負の面にも敏感。親と同様に非凡な人生を歩むようなら、非凡な人生を歩んだ先人として親がよきアドバイザーにもなれるけれど、子供が平凡な人生を望んだら逆にお手上げ。

 

親とは別人格で、子供は親とはまったく異なる違う人生を歩んでいるんだと訴えてみたところで、勝手に親と紐付け非凡な親、あるいは平凡な人生を歩む子供の足を引っ張る人はきっと出てくる。

 

数が増えれば、それまでの秩序も崩れて目立たなくなる。

 

数を増やすのは、数が少ないばっかりに攻撃に晒されてきた人たちを新たなる攻撃から守るため。

 

江戸の敵を長崎で討つように、筋違いなことで仕返しをするような人は、蛙ではなかった子供を蛙にし、蛙の子は蛙と言いたいためだけに、事実さえ曲げてなーんの関係もない親子ともども蛙にしようとしたりする。

 

一面識もなければ、びたいち興味も関心もない。プロフィールを読んだだけで削除するような人間にフォローされたくなければ、登録してるSNSアカウントにログインして日々怪しいアカウントにフォローされていないか確認しろ。さもなくばアカウントを削除しろと言わんばかりのイヤガラセに明け暮れてるような人は、最初から常軌を逸している。

 

なーんでイヤガラセに明け暮れてるような人の、言う通りにしなくちゃなんないのさ。公序良俗に反しない範囲内で、好きなように使うさ。