クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

君の言うことにだって、耳を傾けたいものの

離婚して再婚して、母親の違う子供たちが何人も居て。考えてみればトランプ氏のライフスタイルは、今までの大統領像からはかけ離れてる。「国の顔」としては型破りながら、離婚も再婚も親の違う兄弟姉妹も珍しくない、典型的なアメリカンファミリーではあるような。

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ケネディ王朝のお姫様、キャロライン・ケネディ氏はその任を終え、イヴァンカさんが次のジャクリーン・ケネディになるのか、それともお姫様役か。

 

ウェイ系やオラオラ系にめっちゃウケがよさそうな、共和党悲願の王朝あるいはヒロインの誕生かも。かもかも。ファッション・リーダーになることだけは、間違いなし。

 

室内での動画視聴環境が、期間限定でたいへん良好な状態。お家でシネマ気分で、どれ普段は縁のない文芸作品でも見ますかねと、2時間超の大作を選んだところ、速やかに健やかにお昼寝タイムに突入。すぴー。

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(遠目から見ると、ナッツとベリー入りチョコのようにも見える地面)

緊張感と一緒じゃないと、文芸大作を鑑賞するのは難しい。

 

札幌に住むことが決まった時、手当たりしだいに北海道を舞台にした小説を読んだ。古くは『雪の断章』から、『探偵はBARにいる』のようなものまで。エンタメに登場する人物の目を通して、札幌の街の輪郭を掴んでいった。

 

文字情報から入るのは、単なる個人の趣味。

 

旅行ガイドのようなガイドブックだと、“生活”の匂いは薄いから、どのエリアがどのような来歴を持つのかがさっぱりわからない。ネットの情報は薄いものしか見つからなくて、やっぱりこちらも頼りにはならなかった。

 

その街で暮らしてる人の意見が一番参考になるけれど、その街で暮らしてる人は、グルメブログや何らかの趣味ブログに特化しちゃうんだな、大抵は。

 

その当時読んだ“札幌もの”の中に、西部邁の『友情』があった。今も持ってるはずだけど、本棚を探しても見当たらないので、以下うろ覚え。

友情

友情

 

 札幌南高校は、北海道どころか国内でも有数の進学校として知られているけれど、そこで西部が出会ったまったく違う境遇の友人との、生涯に渡る友情を描いたもの。

 

有数の進学校内でも“異端児”であったその友人は、浪人後に東大進学、思想家・評論家でアカデミックポストを得た西部とは、まったく対極にある人生を歩む。

 

ヤクザや裏稼業を選んだ人と、アカデミックポストにある人間と。階層で断絶されることなく続いた友情は、友人の自死で幕を閉じる。

 

本人にはどうしようもない環境要因も大きく作用して、そのまま裏稼業へと進んだ友人による、“こんな俺の言うことだって、聞いてくれたっていいだろう”という魂の叫びがひと際印象的だった。手許に現物がないので、セリフそのものはうろ覚え。ついでに、寒い寒い札幌で、真冬もコートが買えずに学ランだけで過ごしたとか。そりゃ寒かろう。

 

羅川真里茂の『僕から君へ』を思い出したものだけど、多分順序は逆で、『友情』があったから『僕から君へ』も生まれたと考えた方が自然。高校で出会った階層の違う友人との友情という設定が、よく似てる。

僕から君へ―羅川真里茂傑作集 (白泉社文庫)

僕から君へ―羅川真里茂傑作集 (白泉社文庫)

 

 アカデミックな評論を得意とする人が書いたものが、マンガに形を変え、多分今だったら、SNSでバズりやすい形に変わり、書き継がれていてもおかしくない。

 

時代に合わせてフォーマットは変わるけれど、フォーマットに載せてるものには、大きな違いはなし。“こんな俺・私の言うことだって、聞いてくれたっていいだろう”を、ただ俺・私も言いたいを優先させて言うのか、もっと広く伝えたいと時代に合わせて技巧を凝らして伝えるのか。

 

健やかにすぴーと眠りについた、今日見た文芸大作も、“こんな俺の言うことだって、聞いてくれたっていいだろう”系。

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言いたいこともうまく言えない人の方が、この手の作品には共感を寄せやすくて、口も筆も立つ人間揃いだと、粗さがしが始まってウケが悪くなるんだ。

 

暗っ!重っ!と斜に構えずに、ピュアな気持ちで鑑賞できる素直さを、できれば取り戻したいものだけど、道は険しい。。

 

お休みなさーい。