クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ヴィンテージマンション

経年変化が逆に、風格という他にはない魅力となっているのがヴィンテージマンション。

 

一戸建てが主流だった時代のマンションは、もともとの語源に近い意味でのマンション、大邸宅で、諸事余裕があった時代に余裕のある人のために建てられたもの。そのせいか、後世の目から見ると立地もよければ内外装にも凝っていて、時として目を楽しませてくれる。ただ 年輪を重ねただけのマンションとは別。

 

ただそんなヴィンテージマンションも、『小さな家』のように周囲の環境が変わって最新の高層ビルやマンションが立ち並ぶなかに残されると、周囲との不協和が目立つばかりでちぐはぐな印象を与えるようになる。本来価値が台無し。

 

古民家なら、明治村のような場所へのお引越しも比較的容易ではあるけれど、由緒あるとはいえ集合住宅ごとのお引越しはかなわない。

 

現実的なのは現代に合わせて手を加えることで、例えば一番目立つエントランスをちょっと改装するだけで、見違えるほど立派になる。それもこれも、最初から立地その他に余裕があるから出来ること。最初から余裕がないか、途中から余裕が失われるとできないわざ。

 

外装に手を加えることはできても内部はどうしようもないから、防音や設備その他が現代の生活に合ってないこともままあるので、そういう意味でも住む人を選ぶ。

 

とはいうものの。

 

最先端とは相性が悪い人にとっては、ある時点で進化を止め、機能をしぼった製品の方が使いやすいように、住むところも最先端だから住みやすいとは限らない。

 

多くは望まない。必要なものは何でもアウトソーシングするから、アウトソーシングに最適な入れ物としてその場所が欲しい、あるいはいい。という理由で住まいを求める人も、いるかもね。

 

その態度のどの辺に余裕があるのかよくわからないけれど、必要なものは何でもアウトソーシングできる人でもままならないのは、時間。待つことができない人には、待てないだけの理由がきっとある。

 

ふと思いついて、昔、例えば昭和50年代頃の住宅ローン金利を調べてみると、5%台だった。今では住宅金融支援機構と名前を変えた、住宅ローン専門の政府系金融機関住宅金融公庫のものだから、民間銀行の住宅ローンはもっと高い。

 

住宅ローンだけでなく、すべての金利が今よりも高かった。ローンを組んだ人が払う金利も相当なものだったけど、金融機関に入る金利収入も相当なものだった。消えた金利収入は、別の手数料収入で補ってきたように見えるけれど、それさえ風前の灯だったら次はどうすんでしょ。

 

金貸しは嫌われてなんぼとはいえ、お金を貸す先に困ってる今は、案外好かれる金貸しの方がうまくいくのかもね。みんなで一緒に再建プランを考える今どきでは、人と人を繋げられる人の方が、破綻処理もうまくいく。とはいえ、お金をばら撒くだけの人は、今も昔も銀行家とは別のもの。

 

一夜にして白銀の世界。自然との闘いが現在進行形で続く街では、ある時点で進化を止めるわけにもいかないのが、悩ましいところ。進化を止めたら、自然に呑み込まれてしまう。