クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

スナックのママごと河岸(かし)を変える酒場の勇者

スナックのママごと河岸(かし)を変える酒場の勇者

 

あら?彼らウヨってなかった???あるいはサヨってなかった???と思う、極端な主張で衆目を集めていた集団が、担ぐ神輿ごと立ち位置を変え、以前とは真逆の立場から相も変わらず極端な主張を繰り返すさま。

 

2014年頃から立ち位置の移動が頻繁に見られ、一時隆盛を極めたかのような活性を見せた。しかしその実、右に左に中道にと、たびたび立ち位置を変えながらの極端な主張により、時間と資金を投じて周到に用意された大衆宣伝網が綻び機能しなくなるにつれ、疎まれるようになっていた。

 

実効性ある大衆宣伝網の再構築にともなう再編および一体化により、彼ら「スナックのママごと河岸を変える酒場の勇者」による刺激的な感情論は、封じ込めをもって大衆の目につかない場所に誘導されるようになる。彼らの過激な主張は、居場所あるいは持ち場をひとつ失うごとに過激化し、怪気炎に拍車がかかるそのさまは、断末魔の叫びのようであったと記憶されている。2018年の末に観測された断末魔が、最後のものと見られる。

 

なお、面が割れているにもかかわらず面子(メンツ)の立たないことをしたスナックのママの面は、面子(メンツ)が立たなくなったために立ち位置を変えざるをえなかったペナルティとして、すげ変えるケースもまま見られた。その際すげ変えられた面は、主にちぃママであったため、やっぱりマネジメント意識が低い奴にやらせちゃダメねと、マネジメント意識の涵養に力が注がれた。

 

が、皮肉にもマネジメント意識が浸透するにつれ、彼らの持ち味であった他者の不快を増長させる刺激的な感情論からは刺激が失われ、凡庸なものとなっていき、衆目を飽きさせる一因ともなった。

 

また、面が割れているにもかかわらず面子(メンツ)の立たないことをしたスナックのママの中には、悪行が過ぎたためにすげかえる先さえ見つからず、インターネットの闇に消えていった面もある。その行方は誰も知らない。