クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

有限と無限

有限は無限を包摂できないのは考えたら当たり前のことで、限り、限界が見えたらその形も変わって当然。

 

香港あるいはシンガポール。限りある土地はどこも都市化されて高層化され、あの国あるいはあのエリアで、平屋建てあるいは低層でゴルフ場のように広大な庭を持つ大邸宅は、歴史的建造物、あるいは公権力の象徴でもないともはや許されそうもない感じ。

 

日本でも、想像を絶する私的な大豪邸を大都市に新たに作るのはもはや暴挙に近いから、小さいけれどべらぼうに高価なものや、形もないのに高価なものへとマネーが動いてるような気がしてしょうがない。

 

日本の都市、特に東京あたりを上から俯瞰した写真を見ると、大都会なのにむしろ高層ビルの少なさに驚く。地震が多いという地理的事情によって、香港あるいはシンガポールみたいに、見渡す限りビルだらけという景色になるのを免れてるのかも。

 

それでもひと昔前に比べれば、局所的には見渡す限りビルだらけな景色に近付いてはいるんだろうけどさ。限りある土地では横に広がれないから、上へと伸びていく。無限に流入し続ける新規人口を包摂しようと思ったらそうなって、上へと伸び続けたら当分の間はキャパだけは余裕ができるけれど、キャパ以外の余裕はそりゃなくなっていくわな。

 

人が増えたら、あらゆるエネルギーが今まで以上に必要となる。

 

今見ても惚れ惚れする、ひと昔前に自然エネルギーを取り込んで快適さを追求して建てられた建物は、どれも立地に余裕がある。余裕があるから、日が差して風が抜ける。余裕がないと自然の恩恵からも遠くなって、人為的なエネルギーフル稼働で何とかするしかない。

 

低層あるいは平屋建てで広大な庭を持つ大邸宅は、今の都市では贅沢品で、かといって人里離れた場所に建てれば、今度はセキュリティ面が心配になりそう。

 

圧倒的収入格差を誇示した大邸宅がポツンと一軒、粗末な建物が建ち並ぶなかに現れたら、圧倒的マイノリティだからそりゃ目立つ。そしてマイノリティに対してマジョリティが時にひどく横柄かつ横暴に振る舞うことを知ってる人は、マイノリティ同士で固まるようになる。

 

資産家が集まる高層住宅は、見方を変えればマイノリティの巣窟。数では持たざる人に負けるから。ついでに、持たざる人は世界的に見れば増え続けていてマジョリティだから。

 

マイノリティはマイノリティ同士で共感しやすいから同種でつるむのも納得で、つるむための巣窟ができて、マイノリティのための権利擁護にも熱心になるのかも。かもかも。

 

国土が広くてバラけることができたら、個々のマイノリティも目立たずにすむかもしれないけれど、生憎国土が狭くて居住に適した土地も圧倒的に少なかったら、嫌でも集住が進んで、ひとかたまりになっていく。

 

半世紀にはちょっと足りないくらいの昔に、秘境を訪ね歩いた紀行文を読むと、北海道のまちがいくつかランクインしていた。今となっては秘境と言われたら違和感を覚える場所と、今でも秘境の雰囲気濃厚な土地と。何が違うのかと考えたら、近郊で集住が進んだかどうかの違いかも。

 

集住で膨張した街が近くにあれば、ついでに秘境も秘境でなくなっていく。だから上へと伸びさせずに横へと広がるようにすれば、香港やシンガポールのように高層ビルだらけにもならずにすみ、その価値があるとは思えない物件に、高値がつくこともなくなりそう。

 

ついでに自然エネルギーを利用できたら、人為的なエネルギーに頼ることも少なくなりそうなんだけどさ。

 

古い紀行文には札幌の郊外は泥炭地でできていて、客土で土地改良したなんてサラッと書かれていた。その土地の来歴がある日突然途切れると、思いがけない悲劇が起こるもんだと感慨も深い。来歴は、判断しやすくしたデータに含まれてるのか否か。判断の妨げになる攪乱要素は、だいたい効率重視の場所からは疎外されるから、独立したデータになるんだよな。