クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

完治が難しい病

病膏肓に入るとか言うけれど、「正義で飯食いたい病」も完治が相当難しい病。

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これは梅シロップ用の梅。

今日もどこかで誰かが、それぞれの正義を語ってる。一方的に語るツールにはこと欠かないけれど、正義を語ってメシ食うハードルは高くなるばっかり。フェイクニュースの氾濫を許した反省と思えば、喜ばしい。

 

それは一体誰の正義なんすかね。

 

私怨を晴らしたいだけ。あるいは、しでかした悪事がバレないための偽装行為は、正義の執行じゃなくて、それ単に好き嫌いの表明だから。

 

私怨を晴らしたい → あいつ許せねぇ

悪事がばれないための偽装工作の妨害→ 邪魔するあいつは悪い奴

 

と、簡単に好悪に変換可能な正義には、公平を重んじる人ほどそう簡単には乗ってくれない。

 

もともと正義を判断するのはそう簡単なことではなくて、簡単なことではないから、頭のいい人がやる仕事と見做されていた。

 

あいつ許せねぇ。あるいは嫌いとみなした相手を「嫌い」という共感の輪で包囲して、多数で押し切るのは正義の執行じゃなくて、行き過ぎた悪意の表出。みんなで手を繋いで人工的に盛り上げた悪意は、ある日突然暴落する。

 

悪意を剥き出しにした姿は、一歩も二歩も離れて見ると、どこまでいってもみっともない。みっともない姿を見せても「どってことない」相手だから、遠慮なくみっともなくなれる。ホラ、その姿はもう、全身で「あんた嫌い」と告げている。

 

好悪の表出に大勢を巻き込んでも平気な人に、正義は語れない。語っても、そこに正義はないと見抜かれてる人の言葉は軽くて、「べし」とか「べき」を多用するばっかりで、自動的に“檄文”に近付いていく。

 

多くの人が“檄文”をスルーするのは、経験的にそこにあるのは好悪の表出だと知っているからで、好悪に同意できるとは限らないからスルーする。と、思ってるんだけどさ。

 

耳障りで暴力的な騒音は、一時的に人の足を止めさせる。でも、うるさい。

 

心地いいメロディーに乗せてしまうと、よく聞いたらうっすらヘイトを表出していても、より多くの人に届いてしまう。

 

ほんとに恐ろしいのは、心地いいメロディーに乗せて運んだ、うっすらヘイトの方。うっすらヘイトも積み重なると、そりゃもう大きな山となって、ちょっとやそっとでは動かせない。

 

誰かを死ねよがしの目に遭わせて生死の境をさ迷わせ、いよいよ死にそう。。となった時に、呼ばれて飛び出た死神から死ぬ間際の願いを聞いてやろう。と、持ちかけられ「セカイヘイワ」を願うのは、最高級のイヤガラセ。

 

近過去を振り返った時、世界で紛争のなかった日なんてあったでしょうか?きっとないと思う。つまり、いまだかつて実現したことがないことを願ってるってことで、これ以上のイヤガラセはない。

 

ついでに、誰もが飢えないですむ世界プリーズとか、誰もが凍えることも夜露に濡れることもない世界プリーズというリクエストも、相当なイヤガラセ。局地的にエリア限定なら、それもあり。

 

死の鎌を振り下ろす死神サイドに、どれほどの資産があるかのか知らないけどさ。

 

いまだかつて実現したことがない望みを叶えるための予算は、天井知らず。それだったら個人の幸福、お金持ちになりたいや、今だったら正社員になりたいといった些細な望みの方が叶えやすい。だから、死神サイドも「個人の幸福は、金があったら何でも買えるんやで?」と、唆しにかかる。

 

欲しいものはもう何でも持ってる、あるいはもう欲しいものは何にもない人が願うことほどセカイ系。個人の幸福が、世の中に直結しがちだから。それは決して悪いことではなくて、どっちかって言うと成熟に近付いた証しで、豊かな人が増えるとより豊かな世界に近付くはずなんだけど。

 

平成最後のお金持ちがいきなり増えるチャンス。いい方に転べばいいと、願うばかり。

 

お休みなさーい。