クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

スッキリさっぱり

年末年始にかけて、食べ物でいっぱいだった冷蔵庫内も小正月前にはスッキリさっぱりして見通しがよくなった。

 

三が日まではおせちという名の作り置きやストックで楽しようと多めに仕込んだあれやこれやのおかげで、七草どころか小正月まで楽が続き、12月に散財した甲斐があったと満足してる。

 

おまけに、満足したけれど適正量を心掛けたせいで膨満感からは遠く、ドカッと降る雪のせいでただ歩くだけでも平時より消費カロリーが増しているような気がして、体も軽い。

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今年もいろいろ作ったけれど、紅白なますときずし(のマリネ)だったらいくらでも食が進むと思うあたり、山海の珍味を味わうよりも包丁休めで日持ちする酸っぱいものが重宝した。

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冬期には新鮮な野菜が手に入りにくくなるヨーロッパの北の方では、冬が来る前に各種の野菜で大量のピクルスやその類を作ってストックしたという。今は昔の伝統はやっぱり気候風土に合っていて、厳寒でも凍りにくく保存しやすいという点でも重宝されたんだろうと勝手に推測する。

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ホリデーシーズンと厳冬期で、流通が天候に左右されやすい時期に新鮮野菜が途切れずいつでもどっさり手に入るなんて、ひと昔前だったら夢のようで、夢のようなできごとが現実に続くのなら豊かになったってこと。

 

食品スーパーの品揃えは地域差が大きく、日本の場合は特に生鮮食品へのこだわりが強いのが特徴なんだとこの前読んだ本にも書いてあった。

 

ロスが大きく利幅が薄いと利益は出し難い。利益が出し難いという参入障壁を越えていこうとするから革命になって、生活に近い場所の景色が変わっていく。

 

おせちに飽きた頃に食べる“栗きんとん“トーストが密かな楽しみで、今年はスコーンに合わせてみたけれど要するにさつまいもジャム。

 

栗きんとんをきれいに発色させるためには梔子の味を使うけれど、トマトやじゃがいものように品種改良が進んだ近頃のさつまいもだと、梔子の実なしでもすでにそれなりにきれいな色味が出せそう。梔子の実を探すよりも、そのうちきれいに発色しやすいさつまいもを探す方が楽になりそうで、そういう変化も豊かになって変わる食生活の一環かもしれない。