今はどうなっているのか知らないけれど。鴨川に座って憩う、カップルとカップルの間は等間隔だった。
あの距離は、パーソナルスペースにはどれくらいの距離が必要かを示していて、イベントなどで人が増えるとギッチギチでギュウギュウだった。
ギッチギチでギュウギュウなのは、非日常。だから、日常の景色では等間隔にパーソナルスペースが保たれていた。
日常では今もこれからもパーソナルスペースは等間隔でそれなりに保たれるのか。それとも喉元過ぎれば何とやらで、非日常が日常となって、ギッチギチでギュウギュウの頻度は増えていくのかが気になるところ。
定住人口に大きな変動はなくても、不定期にやってくる非定住人口が増えると、街の景色はきっと変わる。
非定住だったはずの人たちの訪問が頻繁になって、不定期ではなく定期的になり、結局は定住するようになった時も街の景色はまた変わる。
ギッチギチでギュウギュウだった場所が適度に間引かれて、スカスカとは言わないまでもスペースにゆとりを取り戻す。
逆に、スカスカで余裕たっぷりだった場所がいつの間にかギッチギチでギュウギュウになっていたら、パーソナルスペースの取り方や捉え方が変わったんだといえる。主に、住んでる人によって。
3分や1分でお手軽に調理できる食品が増えたのは、調理が億劫になった層と、広い調理スペースが確保できない層がともに増えたせいだと勝手に思ってる。
長期的に考えた時、自炊は食費という固定コストの節約で圧縮にお役立ち。そのうえ、趣味的に料理するのはいい気分転換にもなって、考えようによっては安上がりな趣味。凝り出すと、安上がりではないんだけど。
調理が億劫になった層と、広い調理スペースが欲しくても確保できない層。双方のいる場所が入れ替わるとパーソナルスペースが変わって、変わったスペースに合わせ、必要とされるようになった何かが新しく動き出す。
隙間さえあれば、見つけた隙間に素早く潜り込む技と、ギッチギチでギュウギュウなスペースから必要なものだけ残して間引く技は、また別のもの。
パーソナルスペースに対してそもそも捉え方が違うんだから、混ぜるなキケンで分けておくと何かと安心。
ギッチギチでギュウギュウなパーソナルスペースは、非日常だとイベント感覚で楽しめないこともない。ラッシュ時の満員電車みたいなもので、日常になると窮屈で鬱陶しいだけ。
窮屈で鬱陶しいはずのものと、上手に長年付き合ってきた。その間に培われたストレス耐性の高さは、使いどころを間違えない限りギッチギチでギュウギュウな局面では常にお役立ち。という気がしてならない。