クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

思い出のポークチャップ

せまい。ツールが足りない。条件が悪いと食事作りは手抜きになりがち。

 

簡単にできるものと既製品を使う時の手間と費用を考えた時、既製品を使う方が合理的なのは最初から既製品への導線が引かれているから。そういう条件下で周囲を見回せば、そういう場所には既製品があふれているはず。

 

環境を変えるのが難しかったら悪条件を克服するしかなく、悪条件でも手を抜きたくないようにすると、どこかにしまい込んだ何かを引っ張り出すことになる。低温調理とかそのエッセンス。

 

蒸すと素材が柔らかく仕上がって、使い慣れない機種のレンジでレンチンするよりも思い通りになりやすい。ということを学習した、”用事”で出掛けた先で作ったのはポークチャップ。

 

豚のかたまり肉を好きな厚さにスライスし、耐熱性のビニール袋に入れてフライパンや鍋で茹でるだけ。チャック式の某ジップロックよりも、口で縛るタイプのビニール袋の方が持ち手が長くて扱いやすい。

 

塩コショウもなし。ただ好みの固さになるまで蒸しただけの豚肉を、油(なくても可)で炒めた玉ねぎ・ピーマン・マッシュルームなどのきのこ類にトマトケチャップ、ウスターソース、しょうゆで煮込んだソース(酢豚から酢を抜いてトマト感を出したもの)にからめて出来上がり。

 

ちょっと濃いかな?と思うポークチャップソースに豚肉の茹で汁を合わせるとマイルドに。炒めた野菜類からでるうまみも調味料だから、基本のポークチャップソースは濃い口になりすぎないように、いろいろ足したいところを我慢する。

 

以前旅先で食べたポークチャップの味とはちょっと違うけど、(きっと各種ソース類の味が違う)それはそれで白いご飯によく合う味になった。

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調理後のビニール袋には冷えると油が白く固まって残り、油分の多い食べ物を調理したあとの調理ツールをきれいにするための労力を考えると、ポイッと捨ててしまえるところもいい。

 

それを言い出すと、水を汚さないためには油分の多いものは控えるのが好ましいとなるから、手間のかかるものはたまでよし。たまにだったらごちそう感もあって、ごちそうだったら手間と釣り合うようになる。

 

食生活をありし日のように後退させるキーワードはヘルシー。お米を炊くのに必要なのは水だけ。昔あるいは伝統的な和食は油は使っても大して使わず、食後の後片付けでも汚れが大して気にならないものだった。

 

日頃の食生活がヘルシーかつローカロリーだったら、たまーに高カロリーかつこってりを食べても気にならない。

 

ハレとケでバランスが取れていた。食生活そのものをひと昔前ふた昔前に戻すことは難しくても、ハレとケでバランスが取れていた。そういう状態に戻す方が簡単かも。

 

オーブンがないと難しい、骨付きラム肉のローストも蒸した状態でいったん保存(冷凍or冷蔵)しておいて、仕上げに軽く焼き色だけを付けると適度に油が抜けて、柔らかく美味しく食べられた。油が落ちて、食材が柔らかくなる。蒸すという作業あるいは工程はステキねーと再認識した。

 

札幌にはまだ雪が残っていた頃、用事で出掛けた先では桜も梅もすでに咲いていた。桜は早咲きの品種だったけど。


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日本は南北に長くて、今でも地域差はやっぱりある。


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だから、ある場所では合わなくても別の場所でなら合う。ということはきっとある。