クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ドライフルーツとナッツとごまめ

伝統的なおせち料理では定番のごまめ。自分で作るようになってからは、ごまめにはナッツ(くるみ、カシューナッツ、ピーナッツなど)を入れている。

 

ナッツ入りのごまめを初めて食べたのは、のどかな田園風景がのぞめるおしゃれなカフェでランチの副菜として出会った。へぇごまめにはこんなアレンジがあるんだと珍しく思い、美味しかったので自分でも作るようになった。

 

そしておせちに入れるには斬新すぎるドライフルーツとナッツ入りのごまめも、作ってみるとやっぱり美味しかった。

 

ナッツとドライフルーツの相性はGood。ならば、ナッツとドライフルーツとごまめの相性もGoodで、おしるこを食べた後の塩こぶが美味しく感じるようなもので、甘いけど甘過ぎない小腹しのぎにちょうどいいおやつになった。

 

おやつにごまめを食べていると、カルシウムたっぷりという感じで精神的にいい。

 

そもそも栄養価が高くて美味しいもの、美味しくなるものは使いやすい。おせちやおやつ以外の使い道もあれば使いやすさもさらに増し、普段使いとハレの日との差別化もしやすければ普段から流通させておこうとなって、ハレの日にも登場させやすい。

 

ハレの日のごちそうとして定番のものは、つまりそういう理屈と仕組みで定番として残ってきた。その理屈と仕組みをハレの日とは真逆、非常時のストックを用意する目的に応用すると、日常でも非日常でもとりあえず食べるものには困らないという一定の安心が得られそう。

 

きっとくるであろう非常時に備えて普段使わないものを備えるのではなく、普段から日常使いしているものを備えていれば、日常と非日常がシームレス。

 

食べ物に限れば、大きな災害に見舞われた直後はそもそも食欲などわかない。

 

それでも水分補給はせねばならないし、食欲などなくても食べないと動けなくなる。火は使えなくても普段から食べているおやつがあれば、とりあえずの栄養補給にはなる。ついでに普段から食べているくだもの、りんごや柑橘類などの日持ちのするフルーツがあれば栄養補給の選択肢は拡がる。

 

電気やガスは使えなくても火が使えれば、キャンプやバーベキュー気分でしのぐことができる。

 

非日常は不快なことの連続で、不快に対する耐性が低いとの自覚があれば不快に対する耐性を鍛えるか、不快からいかに早く脱出するか考えるようになる。

 

すぐに脱出が難しければ、一週間~10日はしのげる分だけ非常時に備えるようにする。どう考えても一か月以上はかかると思えばもっと多く。備える側が備えに対する準備を手厚くすればするほど非日常の色合いが濃くなって、非日常を厭う側は非日常からの脱出を急ぐようになる。

 

強権をわかりやすく発動すると、かえって反発が大きくなって物事が進まなくなる民主的な社会では、自発性に委ねるのが最適解。

 

何かしらゲンが悪い。あるいは寝覚めが悪い。そこは別に危なくないしいいところだよという評判しか聞こえてこないのに、感じるのは別のものだったらそこはやっぱりそういうところ。

 

ここに生きた人達は、きっと安らかな死を迎えられなかったんだろう。という場所、過去例えば維新の時にでも内戦状態に陥ったことのある場所は、結局最後は大規模開発でもするしかなく、過去の来歴などすっかり洗われて、過去そのものをしのぶ手掛かりさえ失われてしまうものなのかも。

 

新旧が混在している。古くて立派な家があれば、新しくて立派な家もある。という場所は、逆に言えば大規模開発の必要などなく、各々が各々の家なりに幸せな人生をおくったんだろうという結果から生まれた景色なのかもしれない。

 

ごまめに入れるドライフルーツは何がいいのか。色々考えたあげく、手に入りやすいパウンドケーキやヨーグルトに入れる、ドライフルーツセットに落ち着いた。

 

ドライフルーツに凝れば、その土地でしか手に入らないフルーツが入って郷土色的な色合いが濃くなる。お雑煮が元々は郷土色豊かだったのは、郷土色や各家庭の味を出しやすかったからで、郷土色を出しやすい料理が他にも増えれば郷土色豊かなおせち=ハレの日の食文化が出来上がる。


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郷土色は、残そうとしないと残らない。ローカルなきローカルな地は、その代わりグローバルにより近くなる。そういうものなんだろう。