クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

積み重ねて、薄くなる

歴史が積み重なってゆくにつれて、記述する内容は本来増えていくはずで、増えた内容に合わせてぶ厚くなっていくのが、ツラの皮とボリューム。

 

歴史を積み重ねても、ボリュームもツラの皮も変わらず特にぶ厚くなっていなかったら、ワザと。あるいは努力の賜物。

 

スペースが有限だったら、残すものも限られるから適度に間隔を開ける。

 

適度に間隔を開けたものは、本来あるべきところとはまた別のところに置くというより隠し、あるべきところとの一体性や同一性もわからないようにすると、わかる人にしかわからないようになる。

 

歴史を積み重ねて内容が増えても、ボリュームは変えない。

 

層の厚みは常に一定に保つようにし、規定量に達した時点で別の場所に移し替える。という作業を繰り返していくと、もともとは一つだったものが各所に散らばっていく。

 

移った場所でも同じように歴史を積み重ねていき、層の厚みが一定に達したらまた別の場所に移す。歴史を積み重ねていっても厚みが一定量に達しないようだったら、移し替えた別の何かと糾合して厚みを補う。

 

という作業が必要になるのは、そもそも持ってる歴史の厚さが違うから。

 

歴史、重ねたはずなのにうっすー。

 

という何かを見掛けた時は、隠していることの方がずっーと多く、隠された何かは誤用や悪用を恐れてわざと隠されている。という理解でいいんだと思う。

 

誤用や悪用を前提にすると、世の中に出回る情報の総量はより少なく薄くなっていき、隠された情報の価値も高くなる。のかもね。情報の非対称性は好きじゃないけれど、誤用や悪用が増えると隠さないとしょうがなくなり、隠されるのなら誤用や悪用が多い状況を反映してる。

 

誤用も悪用もできない環境が整わないと、情報の非対称性は解消されず、誤用や悪用もできない環境が整っていくほどに、また世の中に出回る情報の総量も濃く豊かになっていき、最終的には適正価格と適正なボリュームに落ち着いていくのかも。かもかも。

 

うっすーいものばかり量産したいわけでは全然なくても、環境由来でうっすーくならざるを得なかった人のフラストレーションがたまりにたまって爆発すると、劇的に環境も変わるものなのねぇなのが、イマココ。