クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お茶粥食べたい

今年度の目標、太りたくない。来年度の目標も太りたくない。そして、再来年度の目標も太りたくないで向こう三年間の目標は揺るぎない。だが、甘いものは好きだ。

 

という葛藤(大して葛藤もしてないけど)の解は、よく運動すること。

 

運動量が2倍3倍になれば、たまーに2倍3倍と食べ過ぎても無問題。のはず。何より、縦のものを横にもせずただ習慣で規則正しく三食食べるよりも、存分に運動した後は食べた時の感動も大きくなる。

 

食べ盛り育ち盛りを過ぎれば代謝も落ちて、お腹ペコペコ状態に持っていく方が難しい。なのでせっせと運動するけれど、お高いものからお手頃なものまで美味しいものがあふれている都市ではお腹ペコペコになる方が難しく、連休や祭日など”ハレの日”にはつい食べ過ぎることが喫緊の課題。

 

という時に食べたくなる(作りたくなる)のが、茶粥。ローカロリーのお茶粥の後なら、ハイカロリーのスイーツを食べてもギルティフリー。


f:id:waltham70:20240504151709j:image

f:id:waltham70:20240504151712j:image

副菜たっぷりの茶粥は、食べ終わった瞬間はお腹いっぱいになるけれど、そもそもお粥で水分だから割とすみやかにお腹が空く。

 

丁寧に作って各素材にも凝ればご馳走っぽくもなるけれど、手抜きすればより簡単に出来上がる。という辺りも、手軽にハレの日っぽさを演出したい時には重宝する。

 

初めてお茶粥を食べたのは、非日常の場所、非日常な状況でのことだったから、お茶粥=ハレの日っぽい位置付けとして刷り込まれている。それくらい、初めて食べた時のお茶粥は美味だった。

 

そもそもがお粥で、平均的な日本人だったら誰でも一度は食べたことがある食べ物ではあるけれど。美味しく、ましてやご馳走として特別な一品に仕上げるのは誰にでもはできない。

 

ということで、京都南禅寺の瓢亭で出す朝粥が人気で、わざわざ食べに行きたくなるものだったのもよくわかる。

 

前夜にご馳走を食べ過ぎた胃にももたれず、重くない。水分たっぷりだから、お酒を飲み過ぎた翌日でも喉を通りそう。

 

朝から存分に運動した後なら、バイキングやモーニングブッフェでたらふく食べようという気分にもなるけれど。年齢相応に代謝が落ちて歩き回る機会も減ってしまうと、胃にもたれず重過ぎない。重過ぎないけれど非日常感があって、食事する場所込みでご馳走感もある。そういうものに目が向くようになるのかも。

 

非日常的な空間で頂いた、非日常的な食べ物は、振り返れば一見質素だったけれど、コーラにピザやハンバーガーという食事とは食材の調達方法も含めて対極にあるようなもので、だからやっぱりいつまでもおぼえている。

 

修学旅行で訪れた場所、大人になって再訪した時にも修学旅行の大人数で団体旅行の時と同じ食事で満足できるかというと、ちょっと違う。そもそもが少数精鋭、たっぷり費用もかかった学生生活で修学旅行だったならともかく。

 

18歳受験生の数がいっちゃん多かった世代は、このまま日本人の人口が減っていくとしても、日本史上最多であることに変わりない。今では日本人ではない人が居たとしても。

 

修学旅行の行先は、各々が育った場所できっと違うけれど。大人数の団体客が特定の場所を集中して訪れるのは、見方を変えれば開拓っぽい。

 

大勢で特定の場所を何度も訪れることで、道ができて泊まる場所ができてゲストを迎えるための各種の施設or建物ができる。規模はともかく。原形さえできていればしばらく使わなくなっても無問題で、使いたくなった時にまた使える。

 

という営みを飽きずに繰り返していくと、移動する場所には困らなくなる。人の気配、人が生活した気配がまったくない場所に移動して一から始めるよりも、何をするにしても立ち上がりは早くなる。

 

今年は桜が咲くのも早かっただけに、散るのも例年になく早かった。これから見頃を迎える桜の品種もあるけれど。


f:id:waltham70:20240504152130j:image

f:id:waltham70:20240504152127j:image