クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

銭の箱がしんどくなったら

アレは何だったっけ???という、疑問が解けるとスッキリ。

 

余裕で10年どころか15年は経っていて、その当時は古臭いと言われていたものが、今では古臭いという形容詞もなしに受け入れられてるっぽい様子を見ると、印象を左右しているものが何だったのか。今だったらわかるような気がする。

 

今となっては、ソレを古臭い呼ばわりするなんてとんでもない。そういうイメージと雰囲気によってアップデートされた印象が、古いままの印象を上回ると、その種の逆転現象が起きるのかも。かもかも。

 

人でもモノでも。銭の箱となったものには、有象無象にいろーんな思惑を持った人が近付いてくるようになる。

 

寄ってきて欲しい、人やモノから来なくなる。

寄って来なくてもいい、人やモノばかり来るようになる。

 

それが銭の箱。

 

銭の箱としての役割が重くなったとき、いちばんいいのは銭の箱を降りること。

 

アレではもう、銭の箱として使い物になんかならない。そういう状態になれば、寄って来なくてもいい人やモノも来なくなる。

 

とはいえ個人的な好みや趣向としては、寄って来なくてもいい人やモノばかり寄ってくるのが銭の箱の宿命で、宿命を乗り越えない限り長持ちする銭の箱にはならない。次々に壊れる銭の箱ばかり作っても、コストが嵩むばっかりでしょうがない。

 

だからものすごーく長持ちする銭の箱は、寄って来なくてもいい、人やモノばかり寄ってくる試練を乗り越えた人やモノ。だから、丈夫で長持ち。

 

世界を見渡した時、集金装置や集客装置として抜群の知名度と実績を誇る銭の箱なんて、いくつもない。それはやっぱり世界級になると、寄って来なくてもいい人やモノも世界級となって、数ややることなすことでモノを言わせて試練となるから。だから世界級の銭の箱は、今のところ数が少ないまま。

 

丈夫で長持ちする銭の箱をめざしているのに、銭の箱としての役割が重すぎて潰れそうになった時、参考になるのはやっぱり先人で、丈夫で長持ちした先人のいる場所をめざせば、何某かの解が得られるのかも。

 

古いもの、長く続いているものには続くだけの理由があって、長続きする理由がわかっているから、先回りして長続きする秘訣を抑えにかかると、長続きする銭の箱も独占できる。

 

誰よりも、何よりも丈夫で長持ちな銭の箱ひとつに頼り過ぎると、突然銭の箱がなくなった時が恐ろしいから、とりあえず数を増やして順番に試練を与え、様子見してるのが今ココ、現在地点なのかも。かもかも。

 

銭の箱として、もうすでに使い物にならない。

 

それでも自ら銭の箱を降りることのない、あくまで銭の箱であろうとする、かつては誰よりも丈夫で長持ちだった銭の箱を、銭の箱役から降ろすのに苦労した。そういう記憶が鮮明なうちに、こっそりひっそり流布して生まれるのが都市伝説なんですよ。という、根も葉もないけど納得感だけは人一倍ある誰得なことが書けるフォーマット。

 

いまはどのくらい残っているのか。すでに数えられるほどしか無さげ。