クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

共通項

北海道に来た最初の年は、6月頃までニットのセーターが手放せなかった。

 

いつもではないけれど、暦の上ではもう初夏とは思えないほど時々むちゃくちゃ寒くなったから。暖かさを第一に選んだ家の中は大体いつも暖かくて、だからこそ寒暖差が体に堪えた。

 

暦の上では初夏、暦の上では春であってもここはやっぱり北方の地。春らしく、ヒラヒラと薄着できれいな色の服が来たくなるけれど、北には北の時間で季節が流れているから、ムリしてもう桜が満開を迎えた場所とお揃いにしなくてもいい。

 

土地が違えば気候が違う。気候が違うから気候を出発点に考えられたあらゆるものが違って見えるからエキゾチック。

 

エキゾチックという個性を長所と捉えると、エキゾチックさを構成するものも好ましくみえるし肯定的。短所と捉えると、エキゾチックさを構成するものは好ましくみえないし否定しがち。

 

個性を捨てて無個性に走ると、気候を出発点に考えられた雪や寒さから身を、場合によっては土地を守る仕組みも弱体化して、雪や寒気に直にさらされることになってただ過ごしにくくなる。

 

備えがないか薄いと、過ごしにくさだけが募る。

 

だから流動性が激しくて、昔は人も定着しなかった。ということも、あったのかもしれない。

 

四方から人が寄ってくる場所や街は大体つぎはぎで、不連続な印象が強くなる。つぎはぎで不連続だった印象に、なにか一環したものが追加されて不連続ではなく連続した印象が強くなった時、過ごしにくさは緩和され実は過ごしやすくなっているんだと思う。

 

過ごしにくくて定着しにくい場所だったから、流動性が高くて参入障壁も低かったけれど、過ごしやすくなって流動性も乏しくなると、参入障壁も相応に高くなってハードルの低い場所なんて本当にもう限られていく。

 

都市化とか都市の発展とかいうものは、誰の目にも見えるようになったときには既に終わってる。

 

発展途上というのは大体落ち着かなくて居心地が悪いもので、居心地の悪さや落ち着かなさとセットだから途中で抜ける人は抜けていき、都市化して発展した場所に残っているのは抜けなかった人やモノ。

 

居心地の悪さや落ち着かなさも、エキゾチックさを構成する要素のひとつ。

 

エキゾチックさは否定する。だけど、居心地の悪さもエキゾチックさも払拭されてキレイになった場所にはいきなり飛び込みたい。そうしようとすると法外な値が付くのが、四方から人が寄ってくる場所共通の姿なんだと思った。