クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

真似したがり

知ってることの方が多い。その反対側には、知らないことの方が多いがある。その状態が、情報の非対称性。

 

だから、知ってることの方が多い側に立つと、何が隠されてるのかもよくわかる。

 

一見すると同じ地平に立っていても、そもそも持ってる情報量が全然違う。だったらと、同じ地平に立った時に見えた景色を知らないことの方が多い側に伝えることは、情報の非対称性をならす作業で、情報の非対称性という垣根がなくなると、そもそも数の多い方が有利になる。

 

必要に応じて情報の非対称性を駆使し、数の多い方の目を時に欺くのも戦術のひとつ。自在に情報の非対称性を操れる側とは、互角の勝負に持ち込むことさえ難しい。

 

時と場合に応じて、隠すのも露出するのも自由自在な相手とは、そもそも互角の勝負にならない。そもそも互角の勝負にさえならない相手とあくまで物量、数で勝ろうとしても補給が途絶えたらやっぱり苦しい。

 

そもそも互角の勝負にさえならない相手と、勝負しようとするなというメッセージを敢えて、あるいはわざと発するのはだから、どっちかっていうと親切なんだと思う。

 

社会の目立つ場所で、敢えて情報の非対称性を最大限に利用したアトラクションを仕掛け、アトラクションの肝まであからさまにするのは、模倣なんてできるもんじゃないから。

 

数を頼みにしている側が、情報の非対称性を利用しようとしてもひとつになれない。ひとつになれないから数の多さがメリットにならず、むしろ伝言ゲームのように情報の非対称性は深まるばかり。

 

目立つ場所に、情報の非対称性を利用した模倣なんてできるもんじゃないアトラクションをわざわざ用意するのは、だからすぐに真似したがる相手の心理を先読みしてのことかも。