クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

設定あるいはデータ

2世紀・3世紀頃と12世紀頃と。成立した、あるいは舞台となった時代に軽―く千年の開きがあっても、広く流布してるのは舞台設定がより古い方。

 

何となくであっても忠臣蔵を知らないと、日本人としてもぐりっぽいように、アーサー王物語や円卓の騎士を知らないイギリス人や、三国志を知らない中国人は、もぐりっぽいと思う。

 

舞台設定がより太古のものであっても現代にまで伝わってるのは、フォーマル・インフォーマルを問わずに遭遇頻度が高く、その気になれば固有名詞だけでなくなっがーいお話も知ることができるから。

 

見て来たように何度も語り継がれるうちに、史実には登場しない人物がひょっこり紛れ込んでいたとしてもそこはご愛敬で、何より魔術がない。

 

アーサー王伝説は、伝説だけあって魔術的。マジカル成分多めだから、時代を経て見て来たように語るほどに、嘘っぽくなって怪しくなる。

 

ふっるーい太古の出来事を、見て来たように語り継いで特定民族や特定文化に紐付けたかったら、マジカル成分は薄ければ薄い方がいい。

 

それが時の試練に耐える、長大かつ強固な特定民族や特定文化に紐付いた伝説を作ろうとした時の知恵、あるいはお作法なんだと思う。

 

作法にのっとった時、史実は史実として残り、盛ると神話性が増すような、史実として眉唾なエピソードは演義とし、史実とは別モノとして残すようにすると、史実が史実として残りやすいのかも。

 

アーサー王伝説に実在のモデルがいたとしたら、同時代を生きた人にとってモデルは明らかで、明らかだから物語の最初からマジカル成分がふんだんで、ふんだんなマジカル成分が、実在したかもしれない人物の煙幕になっている。

 

時代が下がるほどに、実際にあった出来事も実在した人物も遠くなり、残ったのはマジカル成分ふんだんな伝説あるいは物語だけで、史実としては残らない、あるいは残せなくなる。

 

アーサー王伝説をざっくりまとめれば、剣と魔法の物語で、剣と魔法という骨子だけなら舞台や主人公を別モノに変えても成立する。何なら大胆に国を変えて、西洋から東洋に移し替えて、特定文化に強く紐付いたものにすることもできる。

 

特定文化に強く紐付いた何ものかを文化から切り離して、今度は特定民族に強く紐付けたかったら、設定も主人公も特定民族に紐付いたものに戻して、マジカル成分を抜けばいい。

 

古いものと新しいもの。よりどころあるいは忠誠心のようなものは古いものにありつつも、新しいものとの共存なくしては生き残れない。心ならずも新しいものに仕え、新しいものから解放されて古いものの元へと還る時には多大なる犠牲が必要で、生き残ったものはごくわずかだった。

 

という設定あるいはデータは、いくらでも改変が可能ですでにある種の普遍性を獲得してる。あと伝説に必要なものは、史実だけ。

 

ニワトリが先か卵が先かは些末なことで、この場合大事なことはできたかどうか。ただそれだけ。

 

事実はたっぷりあった。たっぷりあった事実という卵から、ニワトリがたくさん孵ったのなら出来が良くて、ちっともニワトリが孵らなかったのなら出来が悪い。やっぱりただそれだけのこと。