クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

似たような景色は似たような来歴から

同じような来歴から出来上がるのは、似たり寄ったりの景色。

 

初めて来た場所のはずなのに、既視感を覚えるのは似たような来歴の場所を知っているから。例えばかつては水運で栄えたような土地は、水路やあるいはかつて水運に使われた船といった、何らかのモニュメントが大体共通しているから、すぐにそうだとわかる。

 

もちろん同じような来歴を持ちながら、まったく違う景色となっている場合もあって、違う景色となった原因を探っていくと、土地ごと投機に巻き込まれた来歴に行き着くこともあるんだとか。

 

ホニャララ相場に手を出して、大損した。あるいは身を持ち崩したというエピソードは、警告の意味も込めてかかつてはわりとよく耳にした。一攫千金という甘い餌に弱い人はいつの時代も一定数はいるもので、一定数いるはずなのに最近その種のエピソードを聞かなくなったのは、制度設計が変わったからだと勝手に思ってる。

 

全国各地で一斉にある産業が栄えた時。

 

今では想像もつかないけど、生産量その他でかつては世界一、あるいは世界級だったと言われてもまったくピンとこない。かつての栄光をしのばせるようなモニュメントなんてなーんにもなく、きれいさっぱり富が投機に呑み込まれて消えていっただけ。

 

というエピソードは、争いは同じレベルでしか生まれないと思えば、これ以上ないほど納得する。

 

一攫千金という、同じような投機の熱に浮かれている同じような人たちの間では、簡単に競争が過熱する。“同じ”場所から生まれた同質性の強い集団は、投機のような過当競争には弱くて勝手に自滅していく。

 

“同じ“場所から生まれても、そもそも同じじゃない。

 

強力なリーダーシップを発揮する誰かや、同質性なんておよびじゃないほど強固なヒエラルキーがあれば、みんな一緒で同じになれない代わりに同じではないからそもそも過当競争にも陥らない。

 

過当競争に対するストッパーが働くと、投機による過当競争の罠には嵌らず競争によって得た富の分配や蓄積もうまく回って、後世にまで残るようなモニュメントが生まれたり豊かさを感じさせる景色が残るのかも。

 

ある産業が栄えたとき。栄えた産業に合わせて投機の市場が出来上がり、産業とは直接関係のないところで勝手に投機熱が盛り上がり、盛り上がった投機熱が、世界で闘えるほど栄えたある産業を台無しにしてしまう現象は、現代の金融商品にも当て嵌まりそう。

 

投機も一攫千金も結局は博奕で、博奕のネタになったものから射幸性を取り除いて安心設計にして、投資に変えるのは博奕打ちにはできないお仕事で、できないお仕事だからただ博奕をやりたいだけの一攫千金狙いに、やらせるはずがない。