クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

上から見てまっすぐみて見た

国立公園に国定公園がいっぱいの北海道では、そもそも管理されていない大自然を見つける方が難しい。

 

千年の歴史を誇る土地ならともかく。本格的な開拓が始まってから100年150年ちょっとで見られること前提の風光明媚で管理された景色や景観を多数出現させた、グランドデザイン的なことを考えたとき。やっぱり手つかずで新しい場所の方が、グランドデザインは実現させやすい。

 

新しい観光地、白老(というよりウポポイ)にも近い倶多楽湖は地図で見ても上から見ても真ん丸で、すぐにそれとわかる。

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倶多楽湖から洞爺湖までは、感覚的にはすぐ。何度も遊びに行った洞爺湖は“海にも近い”と知ってたけれど、場所によっては本当に海のすぐそばなんだと上から見て知った。

 

上から見たら、本当に海のすぐそばという場所に今度は車で行ってみた。

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本当に洞爺湖のすぐそばだったから、海沿いの道から洞爺湖まではあっという間。自転車でもきっとあっという間で、歩こうと思ったら車や自転車と同じ道を歩くしかない。車や自転車と違う道を行こうとすると、きっと遠回り。

 

海で洞爺湖。何度も洞爺湖方面に遊びに行っている観光客目線だと、ウォーキングやサイクリングにもよさげで運動するのにちょうどいい。

 

だけど磯の香りもしっかりと漂い漁港があって(=産業がある)、湾から大洋へも抜けることのできる場所を経済安全保障や国防的目線から見たときに見るのはまた別のもの。

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そんな場所のほど近くに善光寺の名を冠した、有珠山善光寺(史跡善光寺跡)があった。境内にはイチョウの大木があり、紅葉の季節にはさぞ見事だろうと思った。

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イチョウの木が、そもそも北海道に自生していたのかどうか知らないけれど。そもそも江戸時代(文化元年~二年)に幕府が開いた蝦夷三官寺のひとつだったという来歴を考えたら、あってもおかしくない。

 

門から振り返ると小さな入り江が見えた。江戸の昔は知らないけれど、明治・大正に生まれて昭和を生きた、おじいさんおばあさん世代が見たら懐かしいと思いそうな景色がひろがっていた。


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北海道の海岸線、例えば日本海を北に向かうオロロンラインは外国のようで、本州とは地形や成り立ちからして違うとよくわかるけれど、湾内から見る景色はまた別で日本っぽい。

 

それが江戸でも明治でも平成でも。地図を見れば小さくても立派な交易ルートになり得ただろうと想像が膨らむのは、“江戸後期に特別な歴史的役割を果たした寺として重要”と、能書きが思わせぶりだから。

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北海道内で“江戸”を感じさせるものはそう多くない。

 

幕軍と戦って勝った新政府軍が、率先して開拓した土地が北海道で、最初期の開拓には政治犯が多く含まれていた(らしい)。

 

という来歴を考えたとき、江戸を感じさせるものが多くないのもわかる。とはいえ結局は、勝者と敗者がともに作ってきた場所なんだろうと、太平洋側から洞爺湖ルートをドライブ、時々ウォーキングしながら思った。

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