クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

子どものおやつの延長線

時々無性に食べたくなる、“日本一食べにくい”という異名を持つジャムでベタベタしたお菓子。

 

ジャムでベトベトという、洗練とは真逆な家庭のお菓子の延長線上にある、子どものおやつっぽいところが気に入ってる。

 

素朴なロールケーキタイプの焼き菓子もジャムも、家庭で作れるもの。

 

それなりの素材と機器を使えば、もしかすると家庭のお菓子という範疇を越えたものだってもうすでに作れるのかもしれないけど、それでもコース料理の最後を飾る宝石のようなスイーツとは別物。

 

子どものおやつの上級編として、あるいは最上位だと思うから宝石のようなスイーツにも特別感を抱くもの。

 

その気になれば、いつでも進化させて洗練させることができる。そういう状態で、洗練とは真逆の方向に向かうのは逆張りではなく順張りで、多数の方を見ているからそうなるんだと思う。

 

視覚に訴える、激しい競争のもとでは見た目が優先されて、ビジュアル的に優れたものがまずは目立つ。だけどビジュアル的に優れたものは、往々にしてバランスよく均整がとれていて、バランスよく均整がとれたものを並べると無個性に近付いて、どれも同じになりかねない。

 

選ぶため、あるいは選ばれるための競争だったはずなのに、結局はどれも同じで無個性なものしか残ってなかったら、何も選べず競争する意味がない。

 

絶世の美男美女は、一人ひとりは際立った容姿であっても並べると兄弟姉妹のようで案外見分けがつかない。みたいなもので、凡庸ななかにあると際立った容姿は目立つけれど、際立った容姿しか残らなかったものの中から目立つものを見つけようとすると個性がものを言って、“バランスの悪いもの”が逆に目立つ。

 

カジュアルな手土産にちょうどいいご当地菓子は百花繚乱で、次々に新しいお菓子が生まれてくるけれど、新しいものほど定着しにくいのはきっと、固有のストーリーみたいな個性に乏しいから。

 

今の時代の気分といえば“持続可能”で、持続可能という個性を体現していると、ご当地菓子という過当競争の場にまずは上がってこられる。そして、持続可能という時代の気分に新たな付加価値(=ストーリー)を足していくことができたら、アラ意外と長く売場に並んでるじゃんこれとなって、いつの間にか古株になっていくのかも。

 

フレッシュな顔を見に行くときは、同時に古くからあるものも探してる。フレッシュな顔ばかりになって、どこを探しても古くからあるものが見つからなくなった競争の場は、以前とは違う原理で動いている場だとわかるから。