クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

すったもんだでゴタゴタ

もともとは6つに分かれていたものがひとつになって、ひとつになった後にはまた分裂して7つに分かれた。

 

と聞けば、あ、揉めたんだなとすぐわかる。

 

手許にある一覧できる世界地図は、何しろ一覧できるくらいだから昔のもの。ひと昔とちょっと前の世界地図を眺めていると、国名がブランクのままの国が、複数まとまっているエリアを見つけた、あるいは気が付いた。

 

ユーゴスラヴィアボスニア・ヘルツェゴヴィナ。すったもんだのすえにひとつになった人造国家は、ひとつになった後にはゴタゴタが待っていて、ゴタゴタした後には人造国家そのものが崩壊した、かつては大揉めに揉めたエリア。

 

何しろ一覧できる世界地図は昔のものだから、最終的な決着が着くより前に作られたことは間違いない。最終的な決着はまだだから、ブランクのままにしておくという大らかかつ大雑把な態度は、揉め事が頻繁に起こるから身に着いた、現実的な処世術なのかも。どちらかの主張を容れて、そのたびに書き換えてたらコストが嵩んでしょうがない。

 

人造国家としてひとつにまとまる以前も、別に更地だったわけでも何でもなくその場所には人が住んでいた。

 

何しろギリシャも近いから、大昔から歴史にだって登場しなかったわけでもない。その時々に歴史に登場する民族名や国名を聞けば、メジャーではなくても聞いたことくらいはある。地理的にも歴史的にも。もっとメジャーになれそうでなれず、世界大戦後まで持ち越されたのは、そのつど着せられそうになった国名という近代国家ならではの衣装が気に入らなかったのか。

 

ひとつにまとまって、国名というみんなお揃いの衣装にすんなり馴染むことができなかったら、中央集権なんて進まない。中央集権が進まなかったら、民族単位や部族単位あるいは個人単位では強力でも、組織としては非力。

 

組織としては非力だから、組織として強力な、先に国としてひとつにまとまり中央集権化を進めた、組織的に強大かつ強力な相手には適わないし相手にもならない。相手にならないことがわかりきってるから、国として強力になろうとしてこなかった。そういう来歴を持つエリアを、ひとつにまとめて人造国家というお揃いの衣装を着せてみたところで強くならないし、次々にお揃いの衣装が脱ぎ捨てられていくだけ。

 

昔っから人が住んでいて生活が成り立っていた土地なら、その来歴に従った方が自然。来歴に逆らって、不自然に中央集権を進めようとしてもきっと無駄。

 

中央集権化を進めるということは、結局は組織的に戦うということで、中央集権を進めるための戦闘要員は、中央集権化が完成した平時には単なる失業者。ひとつになって不要になった戦闘員に、失業者という衣装を無理に着せようとしても嫌がってすぐに脱ぎ捨てるのと一緒で、その土地で時間をかけて育まれてきたアイデンティティーは、そう簡単には変わらないさ。

 

組織的に戦う必要がなかったのか、そもそも戦う必要なんてなく交易その他で生きてきたのなら、その来歴に従う方がきっと自然。