クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

不機嫌とご機嫌とお片付け

面白きこともなき世を面白く。と、考えがちな人が真っ先に思いつくようなことは、特に面白いことがなくても無問題で生きていける、大多数の人にとっては単なる不愉快でノイズ。

 

いわゆる面白いことがなくても無問題で生きていける人が考える面白いと、面白いことが起こらないと生きていけない人の面白いが、そもそも同じ状態を指しているとは限らない。だから快と不快がすれ違って、不快指数だけが高まるようにできてるのかもね、かもかも。

 

今ではすっかり廃れた不快指数というワードは、思えば不特定多数の人にとっての不快ではなく、特定の誰かにとってピンポイントで不快なことやものを言い表してるだけだったから、廃れたのかも。

 

不愉快な状態は、言い換えればストレスが高まってる状態で、ストレスが高まった時にどのような行動に出るのか。すっかり読まれていたら、トラップにも引っ掛けやすいし引っ掛かりやすい。

 

ストレスを解消する時は、ストレスを消費すると手っ取り早く解消できる。消費には何らかのエネルギーの放出がセットだから、買い物で散財するとお金が減る。運動すると、ストレスが順調に減った結果としてお腹が減る。運動するとご飯がより美味しく食べられるから、食も進みがち。食が進むということは、何らかの形で食に対して散財してる。

 

ストレス解消のために、お財布が軽くなって食べ過ぎの危険性も高まるから体重も増えるなんて、理不尽極まりない。

 

と、深く考える余裕があるほど四六時中ストレスに悩まされがちで、もう習い性といっていいほどストレスと仲良しだったら、買い物や運動よりも掃除や整理整頓といった省エネ型の消費の方が向いてる。

 

シーツやその他、大きな布ものをすっかり洗濯すると、気持ちも晴れ晴れ。お洗濯そのものは洗濯機が活躍するから、大して労力もかからず運動エネルギーの消費は極小。

 

普段念入りに掃除しないところを、ピンポイントで掃除する。あるいは、クローゼットやその他の整理整頓。なんてのでもよくて、部屋の片づけが普段から行き届いていたら、きっと感情のお片付けも上手なんだろうと勝手に推測する。

 

過剰に散財して消費に溺れることもない。過剰に運動し過ぎてかえって身体を痛めることにもならない。掃除や整理整頓は、何しろ省エネだから経済を大きく回すとは限らない。ストレスというトラップを仕掛け、狙った方やあるいは売りたい方へと誘導したい側にとってはきっと有り難くない。

 

有難くないけどさ。幼年期を終え、新たなストレスの種が次から次へと湧き出てくる、習い性といっていいほどストレス源やストレスの種とつかずはなたずで共生せざるを得ない成熟した社会に暮らしていたら、いちいちストレスに真正面からぶつかっていったりしない。

 

経済を大きく上手に回すエンジンとして、ストレスを重宝する幼年期にある社会と違って、ストレスを上手に回避する術を身に着けた成熟した社会では、ストレスに晒された時に売れるものも歓迎されるものもまったく別のモノ。

 

処方するなら別のモノ。と、すっかりわかっているから成熟社会では別のモノに切り替わったのに、いつまでたっても同じものを処方し続けているのなら、他に処方する術がないか知らないかのどっちか。いずれにしても、幼年期にあるってことさ。