クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

近代化への橋渡し

インド全土に高速ブロードバンド網が整備されると、インドも先進国の仲間入り。もう新興国とは呼べなくなるかも。

 

インドの主要産業についての知見なんて持ち合わせてないけれど、IT人材を筆頭に高度知的労働者は外貨を稼いでインドに新しい富をもたらした。外貨稼いでるのは、彼らに限ったことじゃないけどさ。欧米あるいはアジア。外に出た人材が、新しい知識や産業その他を持ち帰って故国をアップロードして。

 

近代国家は、近代国家単体として成長したわけではなく、その過程で例えばインドならインド以外の地域があったからこそ近代国家になれた。ということを、「東インド会社」をサンプルに歴史を振り返った『東インド会社とアジアの海』をやっと読み終えた。

f:id:waltham70:20180624001939j:plain

オランダにイギリスにフランスに。東インド会社という商社、あるいはグローバル企業のさきがけのような組織の興亡を、ヨーロッパからアジアまで広範囲に追っかけた内容なもんで、なにしろ読了するのに苦労した。

 

同業他社3社分の歴史と言えば、それだけでもちょっとした読み物。それぞれ違った背景や社風を持ち、それぞれ違った理由で衰退した。彼らが時に国家に匹敵する武力と財力を持つに至った、アジアの海の歴史や事情も詳述されているから、もう内容てんこ盛り。

 

アジアとヨーロッパの歴史を横断しないと、東インド会社の全貌は掴めないとはいえ、西に東にとあちこちに飛ぶ。

 

香辛料に織物にお茶。ヨーロッパで珍重されるアジアの特産品を求め、船団を組んで海を越えた東インド会社は、海賊よりももっと実入りのいい、正規交易商人として活躍した。会社名に、オランダやイギリスあるいはフランスと国名を冠した彼らは、時に国家の代理人のような立場となり、交易地に商館を構えた。

 

商館設置に際しても、アジア各国のお国柄が出ていて面白い。日本のように厳しく制限された国もあれば、陸路での交易に慣れた国の場合は比較的寛容で、現地の寛容さにつけいって私的交易で財を成したり武力を蓄えたり、ちゃっかりしてる。

 

船団を組んで未知の国へと乗り込んだリスクと引き換えに、アジア貿易における独占的地位を占め、巨万の富を手にした各東インド会社がなぜ衰退したのか。

 

興味の関心は、ほぼそこにしかなかったけれど、もちろんコレという理由が大きくあるわけじゃない。とはいえ世界の一体化とともに、存在意義を失っていったという説には、納得しかない。

 

船団を組むという技術面や安全性がネックとなって、陸路での交易ほど万人には開かれていなかった海上貿易。万人には開かれていなかったから、陸路の交易に熱心な国ほど見逃してくれた。あるいは捨て置かれた。

 

交易の規模が大きくなるほどに、当初は私的なものだった会社が国益あるいは国策と一体化し、最終的には国益あるいは国策に取り込まれて衰退していくさまは、現代の日本でもおなじみだった。

 

最初期に現地商館を開設し、商館でしかなかったものが、国の出先機関のように扱われていくさま。それゆえに現地との交易を独占する古い企業だと、18世紀も末になると勃興してきた新興の産業資本と対立するさまとか。

 

大雑把にとらえれば、いずこも同じ。

 

成功の保証もなく、危険と隣り合わせ。とはいえ成功した暁には名誉や名声だけでなく、巨万の富といった実利もしっかり用意されていたあたり、単なる冒険よりもきっと挑戦者個々人のドラマは多かったはず。

 

個人に関する記述は極小で、東洋と西洋、海路と陸路と歴史を俯瞰することに徹したスタイルは、読むのに苦労したけれど苦労した甲斐のある内容だった。

 

お休みなさーい。