クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

歴史から消えた、稀有なもの

権力の空白地帯でもない場所、権力がきっちり目を光らせているお膝元に出現する、巨大あるいは広大な建築物は、権威や権力の証。

 

そもそも権力と分かちがたく結びついているから、巨大あるいは広大な建築物ができあがる。

 

Googleさんに何気なく、特にテクニックを駆使するでもなく聞いてみた検索ワード。検索結果が、いちぶの隙もないほど“クリーン“な検索結果に埋め尽くされていると、あぁこのワードは”権威の監視下“にあるのねとすぐわかる。ネガティブな情報は、テクニックを駆使しない限り、きっと見つからない。

 

今となっては権力と分かちがたく結びついているようには見えないのに、権力のお膝元に出現する巨大な建築物は、かつては権力と分かちがたく結びついていた証拠。例えば、テンプル騎士団

 

日本人でも知ってるパリのマレ地区(オシャレなお店が多いエリアとしてよく紹介されてる)からも徒歩圏。今ではカルチャーセンターと広場くらいしか残ってない地下鉄タンプル駅のすぐそばには、テンプル騎士団のパリ支部が置かれ、かつてはパリで一番目立つ建物だったとか。

 

12世紀頃、中世ヨーロッパのお話で、その頃の日本と言えば平安時代末期で鎌倉幕府が成立する前。国に対する民衆の意識や、国そのもののあり方が現在とは大いに異なっていた頃のお話。国よりも、宗教的権威が強かった。

 

聖ヨハネ騎士団に引き継がれ、その後も所有者を変えたテンプル騎士団パリ支部だった建物は、結局1853年ペリーの黒船来航の年、ナポレオン3世の治世下でパリ万博開催前に取り壊される。

 

テンプル騎士団といえば今では“とんでも系のキワモノっぽい”扱いで、歴史に果たした役割よりも、その滅亡後に生まれた埋蔵金伝説やあるいは秘密結社の源流のような扱われ方の方が名高い。

 

伝説や風説が生まれるのは、その名に利用価値があるから。

 

徳川埋蔵金伝説が生まれたのも、あれほどの権威や権力を誇った政権だったら、埋蔵金のひとつやふたつを残していてもおかしくないという無邪気な願望の裏返し。徳川幕府の最後がよく知られているように、テンプル騎士団の最後も記録に残ってる。その遺産がどこに譲られたのかも明らかで、明らかなのに伝説が生まれるのは、事実については知る人ぞ知るだから。

 

では、テンプル騎士団の事実って一体何さ???と、テンプル騎士団について書かれたものを読むと、浮かび上がるのは国境を超えて活動する、金融資本家という姿。

 

実体は金融資本家で実業家、看板は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦士たち」で、看板違いもはなはだしい。聖地奪還をめざして設立された騎士団が、時代の要請に応えているうちにその実体を変え、国家を超える超国家的存在としてヨーロッパに君臨して滅んだ。というより滅ぼされた。あら、ドラマチック。

 

滅ぼし弾圧したのはフランスの“端麗王”フィリップ4世で、世界史的にはアヴィニョンの捕囚で知られている。アヴィニョンの捕囚が世界史的トピックスなのは、以後ローマ教皇という宗教的権威が、フランス王の支配下に置かれたから。つまり、宗教的権威より国家が上位に立ったから。

 

聖地奪還をめざし、宗教的権威が各国国家を動かし出兵させた栄光も、今は昔。世界史を動かすキーマンの変更だから世界史的トピックスで、金融家あるいは実業家として黒子の存在だったテンプル騎士団は、悲しいことに華々しく世界史的トピックスを飾ることはなかった。

 

誰それにお金貸した。あるいはどこそこに所領を持っていた。あるいは所属した騎士名や、その組織については記録があるから伝わってるんだけどさ。

 

クレジットカードのない時代。王侯貴族が王侯貴族らしい旅、つまりみすぼらしく変装することもなく、生活水準を落とさず国境を超えて旅をしようとすると、馬鹿げたお金がかかった。

 

データでもデジタルでもないお金は、何しろ重くてかさばり、その保管にも気を遣う。途中で盗賊にでも襲われたら、ひとたまりもない。なのに向かうのは紛争地帯だった十字軍の時代に、重くてかさばるお金を融通してくれるテンプル騎士団の存在は便利だった。

 

現地通貨との交換比率は公明正大で、納得のいく手数料しか取らず、取引を重ねるほどに相手の懐具合や返済能力にも詳しくなり、時には融資を見送ることもあったと聞けば、これはもう金融機関以外のなにものでもない。

 

東インド会社のように、需要があるのに誰もそこには手を出せなかった分野の先にはブルーオーシャンテンプル騎士団がその存在感を増したのは、十字軍遠征という未開の地での戦争という条件があってこそ。未開の地での戦費調達、それも損をさせずに公明正大という分野には商機があり、現代の暗号通貨にも通じてる。

 

知る人しか知らないウエスタン・ユニオンも、結局はその分野での勝ち組。

 

移動もしない、安定した生活では見えてこない十字軍遠征という市場をテンプル騎士団が押さえ、市場がシュリンクするとともにその役割を終えた。

 

十字軍遠征のメリットのひとつが、東方からの進んだ技術や稀覯品の収集で、進んだ技術や持ち込んだ贅沢品のおかげでイギリスやフランスはより豊かになり、国としての体裁を整える原資となった。国としての体裁が整ったから、ローマ教皇庁にもNOを突き付けられた。

 

イギリスにフランス。戦費調達という黒子役として時には彼らを支えたテンプル騎士団が、持ちつ持たれつだったフランスによって、結局は消滅させられその財産も没収された。

 

フィリップ4世が、濡れ衣あるいはいいがかりをつけてテンプル騎士団員主要メンバーの逮捕に踏み切り、騎士団のパリ本部に踏み込んだ際に証文も破った。というエピソードは、世界史を動かすのは徹頭徹尾お金だったという事実を補強するのにも、とってもお役立ち。

 

そもそもが封建軍には真似できない、機動性の高い常備軍を備えたことで軍功をあげ、あげた軍功がお金を呼んでお金が舞い込み金融家あるいは実業家への道を歩み始めた。と考えれば、彼らテンプル騎士団は、強くならないと見えない世界を徹頭徹尾攻めたとも言える。

 

稼ぐ力のある人は、狙われる。お金は使えばなくなってしまうけれど、稼ぐ力のある人は常に金の卵を生み続ける。金の卵を産む場所は、どこでもいい。

 

主義に殉じたり国に殉じたりする人は、殉じることでお金を稼いできた人。火刑に処されたテンプル騎士団最後の総長ジャック・ドゥ・モレーともう一人は、彼らを解散に追い込んだ教皇クレメンス五世とフランス王フィリップ4世を呪う。

 

呪いが成就するかのように、教皇もフランス王もほどなくして亡くなってしまうけれど、国を豊かにできない統治者が永らえることはできなかったと考えれば納得さ。

 

稼ぐ力のあったテンプル騎士団員は、主義にも国にも殉じず、各地に散った。

 

ちょっと想像力をたくましくすれば、持てるネットワークを武力や資金源に変え、大きくなってきたテンプル騎士団が、自分達に対する迫害や弾圧に気付かなかったはずがない。主義にも国にも殉じる必要がない騎士団の心臓は、目立たないように先に逃したと考える方が、与太話としてはよりロマンチック。

 

お金に殉じる人はお金に殉じ、騎士道に殉じる人は騎士道に殉じた。

 

人道を支える黒子役で、超国家的な支援組織という理念は、殉じさせるわけにはいかないから未来に残した。と、考えたがる人が多いから、形を変えて彼らが生き残ったという陰謀論や我こそは後継なりという偽物も出現する。

 

白い背景に赤い十字というテンプル騎士団の紋章は、赤十字にそっくりね。

 

テンプル騎士団は形あるものは何も残さなかったけれど、その組織のあり方や理念は、そうありたいと願った組織や人にDNAとして受け継がれ、DNAとして受け継がれたあとは、敢えて今さらその名を出す必要もない。

 

かつては確かに存在した、稀有で大きな存在を名乗り、語り騙りたがる人は偽物さ。