クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

古代と近代

鳴くよウグイス平安京で、ホーホケキョ。

 

今でもそんな風に、年号を記憶するのかどうかは知らんけどさ。京都に都が開かれた、その前の飛鳥・奈良時代の都といえば奈良。途中で遷都したりもしたけれど。奈良に都があった頃やそれ以前は上代、昔々扱いで、鎌倉幕府が開かれてようやく中世となる。現代、遠いな。

 

その間の平安時代は「中古」と呼ぶと、これはその昔に日本文学史で習ったもの。政治法制上や、社会経済上ではまた別の呼び方があり、同時代なのに複数の呼び方があることにさして違和感も感じない心境は、思えばこの辺に遠因があるのかも。

 

すべて「ひとつ」にまとまっていれば、そりゃ便利。とはいえ「ひとつ」になれない側には「ひとつ」になれないだけの理由もある。

 

文学・政治・経済。それぞれの専門家の立場から時代を区切ってきたのは、文学・政治・経済の専門家が政権の交代とともにすべて入れ替わる、二大政党制でありがちなことは、昔に遡るほどあり得なかったからともいえる。

 

権力を握りたかったら、権力者を斃せばいいだけ。権力を手にしたあとは、もとからいる文学・政治・経済の各専門家の力を借りて、政権を運営すればいいだけという状態は、言ってみれば居抜き物件に引っ越すようなもの。

 

前の権力者を倒したという武力が背景にあり、専門家の側にも時の権力者に仕えるものという意識が染み込んでいれば、“居抜き物件の主(あるじ)交代“はわりとスムーズ。

 

逆に、権力者の交代によって文学・政治・経済などすべての専門家が入れ替わるのなら、新しい権力者には新しい権力者お抱えの専門家集団が揃っているということ。専門家集団を従えた権力の交代は、交代というより奪取、侵略の方がよりしっくりくる。

 

ある時点を境にすべての人材が入れ替わった過去の出来事といえば、明治維新に敗戦。どちらも、それまでの政権交代ではあり得ないほど外国の力を借りている。外国の力を大いに借りると、それまでの社会とは大いに異なる社会が出来上がるのは、過去が証明してる。

 

現代だって、外国とのお付き合いが深まるほどに、日本古来の風習は薄れていく。ただし日本古来の風習が、逆に商機になるようなケースはのぞく。

 

お花見に端午の節句に雛祭り。少子化社会でシックスポケットを持つ子供の節目を寿ぐお祝いは、派手でゴージャス。派手にゴージャスに日本古来の風習に親しむ必要のない人は、もっとカジュアルに食べ物とか食べ物とか食べ物で、カジュアルに古来の風習を取り入れる。

 

ちなみに、年号を覚える時にホーホケキョなんて言うわけないけど、うぐいすの鳴き声さえ知らない聞いたこともないという本邦在住者は、きっとひと昔前より増えた。

 

梅の花を愛でながら、出席者各人が歌を詠み合うという風流かつ唐様かもしれない催し。唐様かもしれない催しを、日本語、大和言葉で日本人オンリーで、当時の都ではなく都から遠く離れた大宰府で開催したという故事の方が、個人的には食いつきポイント。

 

都からは遠く、筑紫歌壇とも呼ばれたそこは、中央集権国家の中枢とはまた別の場所。山上憶良大伴旅人歌人としてどちらも有名だけど、権勢を極めた権力者とは言い難い。遣唐使として当時の最先端国家である唐にも留学経験のある山上憶良は、社会性のある歌も残した人。

 

学識豊かで当時の最先端国家の国情にも通じていた人は、やっぱり現実を見る目も厳しくリアリスト。

 

季節や景色の美しさ、あるいは情愛といった美点よりも、欠点の方に先に気が付き欠点がより気になるのは現実によりこだわりのある人。現実によりこだわりがある人を現実から切り離し、浮世に遊べといってもうまくいくわけないのは、今も昔も変わりない。

 

浮世と親和性が高いとより古代に近くなり、現実と親和性が高いとより近代に近くなる。近代的視点を持った学識豊かな人を辺境に遊ばせたのは、余裕の裏返しかそれともイヤガラセか。

 

外国とのお付き合い。例えば遣隋使に遣唐使とのお付き合いが深まるほどに、日本古来の風習が薄れてゆくのは、氏族社会と決別したい律令国家にとっても福音だった反面、進み過ぎた近代的思考が煙たがられるのも、やっぱり今も昔もそう変わらない景色かも。

 

辺境の軍事的緊張が、中央には必ずしも正確に伝わらないのと一緒でさ。