クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

身も蓋もない

その面(ツラ)を貸せ。あるいはその面(ツラ)を僕・私に使わせろとばかりに、面(ツラ)の皮が引っ張られてひきつるような感覚を覚えたら、どこかでアレルゲンに触ったかな?とまずは疑う。

 

自然豊かな場所を気ままにブーラブラの対価は、時に身体の不調を伴って高くつくもんだから。

 

誰もが知ってる食用の実。なのに鳥が啄んだ気配さえなかったら、ひょっとしたら街路樹用に品種改良済みで、生き物の食用には適さない鑑賞用の実しかならないものかと思ってしまう。

 

あるいは鳥にすれば他に美味しいものがいっぱいある恵まれた環境だから、街路樹用は避ける知恵でもつけたのかも。環境に適応すると、それまでとは違う行動パターンを取るものだから。

 

観光スポットにつきものの、もっともらしい来歴やエピソードを紹介した何らかのモニュメント。北海道でありがちかつ時々目にするもののひとつが、アイヌ物。本州から来た和人とアイヌっ娘の悲恋物。ワンパータンで、信頼できないことおびただしい。

 

言い伝えというよりも、後世の創作っぽさ満点。何しろ後世の和人(もしかしたら和人でさえないかも)の手によるものだから、和人はモテる設定になってるし、最後は涙振り絞っての悲しいお別れが待ってるんだけど。

 

そんな話、聞いたこともないし嘘に決まってる。と、常に悲しいお別れを押し付けられる側としては、文句つけたくなるような設定になっている。

 

そんな話、勝手にでっち上げんな嘘つくなと言いたいだけなのに、嘘じゃない話を知ってるなら知ってることを話せ。押し付けられた嘘に対し、闘ってあるいは抗って真実を取り戻せと言われそうな雰囲気満載で、いわば釣り。

 

それは違うと言いたいだけ。なのに闘いや争いがついてくるなら面倒くさ過ぎハードル高過ぎで、高いハードルを問題にもしない奴はいねぇかとファイターの一本釣りっぽくもある。

 

その闘いや争いは、一体誰のためなのさ???

 

ということをまずはよーく考えてからじゃないと、怒りや悲しみといったネガティブな感情をエンジンに、どこまでも高く遠くへ行きたいだけの輩の食い物にされる。

 

支配者と被支配者。マイノリティとマジョリティといった構図は、役割を押し付けやすいから便利に多用される。アイヌっ娘の恋が悲恋に終わるのも、その方がわかりやすいから。

 

和人のはずがすっかりアイヌの文化に馴染み、すすんで和人の文化、ひいては和人の妻や親族との縁を切ってローカルを選ばれたら和人の立場がない。だから和人の男性は、本州に戻ってくる設定が多用される。

 

被支配者の女性、つまり弱い立場から見た時には、とっとと消え失せやがれと塩蒔きたいような人物像にすると、せっかくの印象操作も台無しで、後任の人がやりにくくなるだけだから。