クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

こき下ろされてた方が、元気いっぱい

20年も経てば、当時は大きな話題となった金融事件であっても風化する。30年40年も経てば、その傾向は一層顕著になる。

 

というのも、真実の一面ではきっとある。その反面、ちょっとボケちゃったおじいちゃんおばあちゃんが、昔のことほど鮮明に思い出すこともある。だから、何らかのキッカケさえあれば案外、風化したはずの事件の当事者が忘れてしまったはずの記憶を取り戻し、風化したはずの事件の知られざる一面が明らかになることもあるのかも。かもかも。

 

意思の力で閉じた重い口も、風化という過程を経れば軽くなる。もう誰も覚えてる人なんていない、最後のホニャララになると、逆説的に“語らねば”という気持ちも生まれてきやすくなる。なんたって最後のホニャララだから、もう文句言ってくる奴もいない。

 

当時は才媛と持て囃され、どっちかっていうと毒舌で社会派がウリだった女流作家が、その著作のなかでこき下ろしていた人物は、現在でも元気いっぱい。

 

才媛にはそりゃ嫌われるさ。

 

という出自だったから、東洋の真珠と欧米ではチヤホヤされていても実態はうんちゃらかんちゃらと、対象の人物をひどくこき下ろしてた。同族嫌悪みたいなもので、今から思えばこき下ろしてる方も、男性が多い日本の業界で日本の男性と同じようなことをして、日本の男性からチヤホヤされていた。

 

こき下ろしてた方が、国際的にも著名だったかどうかは知らね。こき下ろされてた方も、本当に国際的に著名だったかどうかはわからないけれど、国際派だったことは間違いない。

 

現在でも元気いっぱいなのはこき下ろされてた方で、現在でもこき下ろされてた名の方が、こき下ろしてた方より一般には著名。

 

なぜ???と考えると、あんまり愉快ではない結論にたどり着いてしまうんだけどさ。

 

口が達者で毒舌で可愛げのない日本人女性よりも、愛嬌があってひと昔前の蝶々さんや芸者のイメージそのまんまの日本人女性の方が国際的には通りがよく、国際的に通りがいいから、日本よりも日本以外に活躍(ほんとに活躍してたかどうかは、また別さ)の場があり、結果的に賞味期限も長くなった。のかも。

 

ついでに、ひと昔前の蝶々さんや芸者のイメージそのまんまの日本人女性がいて、国際的にも国内的にも活躍している限り、いつまで経っても日本のイメージもアップグレードされないまま。

 

したいよりしてあげたいで、アップグレードされないままの日本人女性のイメージを体現してくれれば、援助あるいは支援する。という神輿に件の人物が乗っていた、あるいは乗せられていたとしたら、賞味期限が異常に長続きしたのにも納得する。

 

やった方は忘れても、やられた方は忘れない。してあげたいには、ネガティブな願望を叶えてくれるならという、ネガティブ由来のものもある。

 

アップグレードされないままのイメージをまき散らすのは、どっちかっていうまでもなくネガティブ。ネガティブを願うなら、ポジティブになるあるいはなられることを忌避する気持ちがしっかり透けて見える。

 

男性が多い業界で、男性と同じようなことをする。

 

そういう女性にうんざりあるいは脅かされていたら、そりゃまぁポジティブに応援する気持ちなんて、生まれてこない。ポジティブに応援する気持ちなんて生まれてこないからネガティブと結びついて、ネガティブな願望を叶えてくれるものを応援するようになるもの。

 

その種の他聞を憚るようなネガティブに関与した出来事も、最後のホニャララになれば懺悔の気持ちも込めて赤裸々にポロっとこぼすようになるかも知れず、ポロポロあるいはボロボロこぼれてくるようになれば堤防が決壊するようなもの。

 

意外な人物が失脚して想定外の人物が出世するのは堤防が決壊したからで、堤防が決壊すると、風化していた事件の裏面史が今さらながら明らかになって歴史も塗り替わるのかもね。かもかも。

 

100歳まで生きたいと長寿を願うような人は、語りたいけど語れない。でも、語っておきたい何かを抱えているからこそ、尋常でない長寿を願うものなのかも。今日は、“かも”をいっぱい使ったな。