クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お洗濯

特に美術好きじゃなくてもその名をよく知っている、超がつく有名な画家の絵は時に盗まれる。例えばフェルメール

 

盗まれたあと、美術館の展示スペースはそのままポッカリ空いていて、返せ返せと声高に返還を訴えるよりも痛々しかった。盗まれてしまった哀しみとか、今はもう見ることができない無念さとか。抗議の声は静かなんだけど、静かな怒りの方が深く長く尾を引きがち。

 

見るからにアレな感じの人が、ちょっと変わったことをアレな感じで訴えていても、見た目のインパクトほどには主張は伝わらないし、響かない。

 

見た目にインパクトがあっても、主張している内容そのものは新鮮味に欠けている。そんな場合は主張する側も新鮮味に欠けていることを承知しているから、見た目勝負でアレな感じで振る舞って、アレな感じで訴えるもんなんだと思ってる。

 

逆に、どこからどう見ても普通でありふれた人が、ものすごくインパクトのある内容なのに形式を整えて、どこからも文句の出ない形で主張する方が怖い。

 

インパクトのあるラディカルな主張が、普通でありふれた人から人へと静かに伝わるうちに、どこからも文句のつけようのない人も同じようにラディカルでインパクトのある主張をし始めると、もっと怖い。

 

誰もが知る超有名な画家が描いた絵は、盗まれたところで簡単には換金できない。簡単に換金できないにも関わらず、結構な数の名画が盗難にあってるんだとか。マニアなコレクターが手許に置いて、こっそり楽しんででもいるのか。手に入れた珍しいものや高価なものを、見て見てと見せびらかす人の方が、どう考えても御しやすい。

 

不法な手段さえ厭わず手に入れ我が物にした、珍しいものや高価なものを、気が済むまで手許に置いてこっそり楽しむような人ほど、きっと手出しもできずに御しがたい。

 

誰もが知る超有名な画家の手による盗まれた名画は、最終的には結構な確率で再び世に出てくるんだとか。しばらくどこかで寝かされたあと、実行犯に直に繋がるような胡散臭い人物やグループを経て、後ろ暗いところある人物やグループを経由し、最後はどこからも文句の付けようのない人物やグループの元から発見されるようになってるらしい。

 

誰もが知る超有名なホニャララによる作品であれば、何だってどんなものだって。値段がついて取引されるようになると、名画と同じように盗まれロンダリングされて、再び世に出てくるようになるのかも。

 

それがそもそも物言わぬモノならともかく。感情もあれば、感情のままに行動する肉体を持った生身の人間で、生身の人間なのに値札が付いて商品のように取引され、本人の意思や意図とは別に人から人の手に渡されるようになっても自身の商品価値を磨き続けるようだったら、立派な商品になれる。

 

商品になったあと、どうやってもう一度人間に戻るのか知らんけどさ。

 

代わりの商品見つけてくるまで、お前ずっと商品で人間には戻れねーし。という重要事項は、貴重で希少な高額商品の取り扱い時にはこっそり忍ばせたくなるもので、契約を結ばせる方には、ちゃんと説明したくないもの。

 

モノのように取引も売り買いもされたくないから、商品価値なんて磨かないし磨くわけない。という方が、すべてが売買の対象になるかも知れない世界では、もっともかつ何よりも人間らしくなるのかも。