クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

先月食べたもののふりかえり

ホニャララしたかったと、ホニャララしてあげたかった。

 

どっちも未練っちゃ未練で欲望っちゃ欲望。どちらの欲望がより強いのか。あるいは、より大きく世の中を回すのか。大きな壁や何らかの障害にぶつかった時の突破力の強さが、物語ってそう。

 

記憶が定着するのは、振り返るから。

 

振り返ることもなくなると、記憶そのものも薄れていく。というわけで、先月食べたものを振り返ってみる。

 

カレーと言えば手抜きの一環という位置付けだけど、シュリンプカレーはちょっと面倒で、面倒だから作り甲斐があった。甘めに仕上げると、トロピカルっぽさも増し増し。サフランライスにすると、いうほど手間がかかってるわけでもないけど非日常感も増して、ハレの日っぽい食べ物になった。フツーの日に食べてたけどさ。

 

ひとりご飯の定番といえば、カレーにミートソース。飽きてきたので、餃子も加えてみた。タネの分量を間違えると、包んでも包んでも使い切れない地獄が待っていた。水餃子でも、焼き餃子でも。ご飯は添えず、餃子だけでお腹いっぱい。

 

作り置きしておいた豚肉のプルコギ風には、枝豆入りポテトサラダにキャベツと塩こぶのあえものを添えて。塩こぶの塩気がアクセントになって、野菜だけだと物足りない時の副菜にちょうどよし。

 

サフランライスの黄色い色が食欲をそそり、より美味しそうに見えたアサリ入りカレーピラフには牡蠣とホウレン草のグラタンにキャロット・ラペを添えて。グラタンには、硬くなったバゲットをパン粉代わりにすりおろす。サクサクした食感がチーズのとろみに加わって、なおよし。

 

牛肉とミニトマト炒めに添えるのは、きのことニラ入りの焼きそばで、冷蔵庫のお掃除も兼ねる。

 

張り切って泡立てた卵白を使ったポテトスフレは、焼き過ぎて硬くなって、見た目は単なる玉子焼きに。チリコンカンナチョスにパルメザンチーズをたっぷり摺り下ろしたクレソンと油揚げのサラダで、家飲みメニュー。

 

シーズン中に一度は食べたいはらこ飯には、蕪のからし醤油あえを添えて。キャベツと豚肉の和風蒸し煮には、切り干し大根とルッコラのサラダとかぼちゃの煮ものを添えて。ルッコラのちょっとクセのある風味が淡白な切り干し大根にあって、代わりはちょっと思いつけない。

 

大根でチンジャオロースを作ると、よくあるメニューでも目先が変わる。豆腐代わりに、麻婆豆腐にも使うけどさ。添えたのは、かぶの甘酢と味噌汁。

 

肉が食べたいとのリクエストに応えて作ったのは、牛ステーキマリネ。見た目はゴージャスでご馳走っぽくなったけど、マリネードして冷たくなったステーキ肉は油っぽくなるという教訓も得た。カマンベールチーズで作るココットカマンにも色んなレパートリーがあるけれど、りんごの甘煮とくるみを添えたものが一番しっくりくる。キャベツのコールスロー風サラダも一緒。

 

大根とひき肉のみそそぼろは、優しい味。きのことごぼうのスープからはいい出汁が出て、かぼちゃの煮物にしいたけのあえもので油抜きを心掛ける。揚げジャガイモのそぼろあえにすると、カロリー過多になるので、水菜入りの白和えで中和する。

 

鯛の中華風サラダは、熱したゴマ油をドレッシングにする。なすの南蛮に、大根とこんにゃくちくわの煮物でちょっとおでん風。

 

二回目となったシュリンプカレーには、れんこんとごぼうのピクルスを添えて。天かすとしょうがご飯には、さんまの煮付けと大根とこんにゃくちくわの煮物と野菜のちゃんぽん汁を合わせる。

 

残ったシュリンプカレーは焼きチーズカレーにして、ゆで卵をトッピング。れんこんとごぼうのピクルスに水菜のサラダで野菜摂取。高菜のお漬物を見つけたので、高菜と鰹節で和風パスタを作る。サイドディッシュには大根と帆立のサラダ。

 

なすとツナの味噌炒めに、ズッキーニのナムル。大根と帆立のサラダにごぼうとれんこんのピクルスと、作り置きが重宝する。

 

ボルシチにはサワークリームで、サワークリームなきボルシチはかなり物足りない。たっぷりのボルシチに蕪と芽キャベツのアンチョビサラダでさっぱりと。

 

銀ムツの味噌漬けにれんこんとにんじんのきんぴら、オクラと湯葉のあえものに味噌汁を添えて、正統派和定食気分。

 

使い回しのボルシチには、パンとキャロット・ラペ。具材を豪華にすればハレの日っぽいけど、何気にちらし寿司は手抜きの一環で、雛祭り前に食べてしまったので雛祭り当日は別のもの。オクラと湯葉のあえものに合わせようとしたら、そうなった。

 

作り過ぎたちらし寿司は翌日にも登場し、前日に食べるはずだったブリの照り焼きと卵豆腐を添えた。

 

いろいろ食べたけど、本当に久しぶりに食べた三色団子は、素朴な味でやっぱり美味しかった。

 

してあげたかったあるいはしてあげたいは、大抵の場合高クオリティー。だから、してあげたかったあるいはしてあげたいを抱えた人が、ねばならないに捕まりそうになってたら、逃げて―と教えるべし。便利に使い捨てられるだけだからさ。