クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

明るい方へ

女の子は、ひと足先に大人になる。永遠の小学生男児を置き去りにして。

 

だから、上手に大人になれないなれなくてもいい、永遠の小学生男児のような男性の集団に女性を混ぜると、上手にあるいは急速に集団そのものが大人になっていくのかも。上手に大人になれたら、まだいいんだけどという副作用付きで。

 

急速に大人になった場合は、なにしろ急で拙速だったもんだから、見かけは大人でも中身は子どものまま。大人のふりだけ上手になって、最終的には本当の大人に泣きついて面倒みてもらってたりして。

 

例えば、中抜きを効率と言い換えていいとこどりしていても、中抜きしかできなかったら、やがてはどん詰まる。中抜きされないようシステムが変わったらお手上げで、お手上げになった時に手を動かせる人がいなかったら、どうしようもない。

 

どん詰まりが見えてる時にも、どん詰まりという未来を予感してひと足先に大人になるのもいつだって女性の方が早く、だから女性をひと足先に未来へ送るようにしておくと、どん詰まって行き止まりになることもないのかも。

 

飢えることもみっともないのもイヤ。ついでに、可愛いあるいはいたいけな何かがウルウルと涙いっぱいになっていると、良心が痛むような母性の持ち合わせがあれば、なおさら何とかなった。その種の経験則があれば、ひと足先に女性を未来へと送ることにも前のめり。

 

一見すると、レディーファースト。でも実際は、どん詰まりのその先を切り開くという難題にチャレンジ、場合によっては無理やりチャレンジさせているわけだから、ご褒美というよりは罰っぽい。

 

北海道開拓は、最初は政治犯、次に屯田兵がやって来て最後に市民だった。という歴史を持つくらいだから、未開の大地をそれも無理やり切り開くには何らかの強制力が必要で、強制的に難題にチャレンジさせようと思ったら、やっぱり罰になる。

 

その一方で。上手に扱えない、うまく取り回しができない相手の手には取り回しの難しいものは渡さないから、お先にどうぞと未来を託された人の前には未来もやって来る。

 

突き抜けた楽天性でもないと、そもそもやってない。その種の行為は、楽観という意思を故意に挫かれたら、突き抜けた楽天性とともに失われて崩れてしまう。

 

それまでお呼びじゃなかったのに女性を呼びに来た時は、どん詰まりの一歩手前のサイン。

 

がっつり稼げる分野は、僕・私たちにまかしとけ。

 

今はがっつり稼いでるけど、そのうちどん詰まるのはわかってるから、先に未来に送っとくので開拓という難事業は任せた!という、目の前の現実しか見ないノープランでノーフューチャーな輩をまずは未来から駆逐すると、未来の見通しもより一層明るくなりそう。