クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

札幌定点観測

平成最後の日。遷都に改元。気分を刷新するにはもってこいのイベントとはいえ、法整備が整った現代では、早々気分でできることじゃない。遷都よりも改元の方が、まだ手が付けやすかったと見るべきか。

 

梅と桜が一緒に咲く札幌では、梅よりも先に桜が盛りを迎えていて、北国の春は調子っぱずれ。桜の花びらが舞い散る中で嗅ぐ梅の香りは、季節感を狂わせる。

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今年もきれいに咲いた桜もあれば、去年よりはややすっきりさっぱりした趣の桜もあり。毎年咲いていても、その咲きぶりには微妙な変化が現れる。いつも見ている人ほど、その微妙な変化にも敏感さ。

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桜で盛り上がっているけれど、思えばもうあと二週間もすればライラックまつり。陽気につられてか、気の早いライラックの蕾もほころんできた。

 

そぞろ歩くには、ちょうどいい陽気。暑すぎず寒すぎずで、花粉もなし。何度繰り返しても言い足りないほど、花粉のない春は素晴らしい。

 

札幌よりも春が遅い地方で今ごろ見掛ける、地面に咲く黄色い花は水仙。季節が進むと、水仙からたんぽぽに変化するんだな、きっと。そういや福寿草も可愛らしい花を咲かせていて、やっぱり北国の春は季節感を狂わせる。福寿草といえば、お正月を思い出すものなんだけど。

 

白と茶色。殺風景な雪の季節のあとに見る、青空と淡いピンク色の取り合わせは、周囲も気持ちも明るくする。

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桜色のチューリップも見っけ。ワシントンDCかどこかの桜まつりでは、きれいな桜色の着物を外国人女性が着ていたけれど、華やかな桜色は花ではなく皮から。それも、桜が咲く直前の皮からしか取れないんだとか。

 

花びらから取り出したものでもないのにあの華やかさで、花びらだとああも華やかにはいかないという、いかにも桜らしい逸話。

 

スミレの一種にも見えるけれど、スミレに似た外来の園芸種かも。外来の園芸種に押されてか、固有種は駆逐されがち。

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極端から極端にポジションを変える、その人の正体は、保守でも革新でもなく保身。平成よりももっと遠くなる昭和でも、極端から極端に立場を変え、御身大事で保身がうまくいった人ほど、令和の時代も上手に生き延びる。

 

寿命が延びて百年生きたとしても、目にする顔触れは変わらず保身上手にばっかり囲まれていたら、大して面白いことなんてなさそ。

 

朝と夜とのあいだに気持ちは変わる。ばいばい、平成。

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