クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

恐らく世間は景気がいい

資産運用報告書を眺めていると、心に平穏が訪れる。

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並んでるデータがみごとに右肩上がりだと、絶景や名画や素晴らしい美術品を見た時と同じくらいかそれ以上の多幸感にも包まれる。よい買い物をしたと、自分で自分を褒めたくなる。

 

絶賛右肩下がりだと、そんな呑気な感想も出ないんだけどさ。

 

その種の報告書関係には、端的に言えば世間の一部が凝縮されていて、報道で知る細切れな業界や業種情報よりよっぽど読み応えがあって興味深い。

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 物知りかつわけ知りで、世間をいいように転がすことで対価を得ている人の言葉よりも、“こうありたい”と望む本人たちの言葉の方が、説得力もマシマシ。

 

お金出さないと手に入らない情報が、オープンな市場で誰でも売り買いできるんだから、市場は偉大。市場がなければ売り買いもされず、どんなにいいものであっても、人に知ってもらうこともない。

 

ゲームもギャンブルもやらないけれど、そのかわり「雰囲気で」、損しても痛くない範囲で遊んでる。たまにしか動かさないから、遊び。動きの鈍い中小小型株は、売りたい値段で売るのが難しいと知ってからは、あんまり手を出さないようにしてる。

 

クラウドファンディングや、手は出してないけどソーシャルレンディング

 

市場ができたから、世の中に知られるものも増えて、遊び感覚でそこに資金を突っ込んでいる層は確実にいる。勤労者からすると噴飯ものだけど、お金、あるところには勝手にたまって、出口を探してる。

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 以前『マネーの狂わせた世界 金融工学者の苦悩と挑戦』というドキュメンタリーを見たけれど、社会の最上辺にいる人たちは、悲しいほどにリーマンショックサブプライムショックも関係なかった。

 

仕組みを作った人たちは、また新たな仕組みを作る能力のある人たちだから、ダメージを負ったとしても回復も早くて、さほど傷つきもしてなかった。贖罪もしてたけどさ。仕組みの中にいる人たちやもらい事故で巻き込まれた人たちは、回復も鈍くて、悲しいほどに格差が凝縮されている番組だった。

 

一般的な株式市場で売り買いできるのは、上場した銘柄に限られるから、例えば地方都市住みローカル視点だと、地方都市への上場による経済波及効果は感じにくい。

 

どう考えたって、上場とか無理じゃん。という業界や業種が厳然としてあるから。ついでに“地方の雄“ともなれば、借りて下さいと金融機関の方から頭下げにくるくらいだから、資金調達にも困ることはなく、市場に頼ることもない。

 

クラウドファンディングも、いろんなプロジェクトが乱立するようになって、何らかのインパクトがないと、スポンサーも集まりにくい。

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特徴も特長も乏しいんだけど、事業やってます。という、もっとも多いクラスタの資金調達は、資金獲得手段が増えてもやっぱり厳しいまま。その場合、恐らくバルクでひとまとめになるのが正しそうではあるんだけどさ。

 

抜きんでた技術や何かがあればともかく、事業継続の肝は結局は取引先でスポンサーだから、取引先やスポンサーが見つけられるか、関係性を継続できるか否かがすべてで、それが出来なかったら先行きは厳しい。

 

世の中にはお金が余っているとはいうけれど、社会を変える人から順番に分配されていくものだから、さしてインパクトを与えない事業だと、後回し。あるいは、順番さえ回ってこない可能性もあり。

 

何が言いたいかというと、スポンサーは大事で、スポンサーの最小単位がファンだから、ファンより自分たちの方が大事な人は、多分商才に欠けている。

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商売してて、それあからさまにするのはナシね。

 

お休みなさーい。