平成初頭にはじけたバブルでもっと呆れたエピソードは、証券会社をはじめとした金融関係者(おもに営業)が、料亭経営のオバサンのお告げに従って、株式市場を動かしていたというもの。
金融知識なんて皆無だったらしいオバサンによる、特定株が上がる下がるというご託宣に従って株価が動くなら、専門家なんていらない。なんて前近代的なんだと呆れ返ると同時に、その種の出来事からは遠そうな、欧米金融市場が眩しく見えた。
でもねぇ。たった一人の発言を、聞き漏らしてなるものかと大勢の専門家がSNSに張り付き、特定のたった一人の一言一句に左右されて市場が動いてるなら、現象としてはバブルの末期症状とあんまり変わらない。劇場が、日本の料亭から海外のSNSに移っただけ。
何か事件が起こって表面化したら、沈静化のために誰かの首を差し出し、「もう終わった」ことなんだという印象を与えないといけない。料亭のオバサンは収監され、巨額詐欺事件にも罪名はついたけど、システムそのものは生き残って現在も絶賛稼働中だったら、ひとりの首とってもあんまり意味ないよねと思う。
SNSとすっかりご無沙汰なのは、そこが劇場だから。
劇場だから、満員になるほど効果も上がる。観客という名の共犯者にはなりたくないから、平時にはSNSも必要ない。そもそも、劣化コピーの模倣犯も見たくない。
舞台が立派、あるいは派手になるほどにリアルな現実の傷も深まっていく行為に没頭するのは、自壊や自滅というワードがピッタリくる。止めたくても止められない。壊したくても壊れない。著しい不一致が発生した時だけ、大損害を伴って休止する。そういう万人を不幸にしがちで司令塔を失ってもただ稼働し続けるシステムがもしあったとすれば、最初にシステムを起ち上げた人は、一体何を考えて何がしたかったんだと思うだけ。