クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

設計図

信頼を失う行為にもいろいろあるけれど、子供に嘘を教えて恥じないと、信頼はたちまち失われる。ついでに嘘を教える子供を選んでいて、こんなものを有難がる子供には嘘で十分と特定の属性を持つ子供にだけおかしなことをわざと吹き込むようだと、もう救いようがない。

 

救いようがないから、もう救いは現れない。あとは、せいぜい自力で地獄の住み心地をよくするくらい。救いようがない系のひとたちが、えてして拝金主義に走りがちなのも納得で、地獄の沙汰はお金次第だもんね。

 

おかしなことをおかしいと感じる感受性さえ失った人たちには、近寄ると危険というよりもはや毒さ。

 

カメラや動画は、ありのままを映し出す強力な武器。ありのままを映し出された後に、なんとか上手く取り繕うと思ったら、ありのままを映し出した事実でさえほんとかな?と疑いたくなるように、言葉と表現力を駆使して事実を翻弄する。

 

9・11では、世界中の人たちがワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいく様子を目撃した。その時の映像は、繰り返し放送されたにも関わらず、しばらく、何年か経つとあれは本当にあったことじゃないと言い出す人たちが街頭で演説してた。

 

何のためにそんなことをしてたのか。真意はわからないけれど、全世界の目撃証拠があるにも関わらず、あれはなかったと言い出す人たちは一定数居て、彼らは事実を翻弄するのがお仕事あるいは務めと思ってやっている確信犯。おかしなことをおかしいと感じる感受性を失ったか持ち合わせてない人たちだから、遠巻きにするに限る。

 

産業革命は、長時間労働と低賃金労働をセットで運んできて、金融業者が栄えた時代。

 

という歴史に学び、時短と高収入労働を実現させ、金融業者は栄えないようにした人は負の歴史は繰り返したくない人。ヤッホー産業革命!ウェルカム長時間労働と低賃金!だった人は、工場の稼働率を極限まで高めて利益を総どりしてた。

 

システムや仕組みは、そこに込められた思想をよりくっきりはっきり映し出す。

 

悲しみに暮れる人の方がより多くなるシステムや仕組みを設計した人は、ハッピーな人は極小でいいと考えている。その反対に、ニコニコ笑顔の人がより多くなる仕組みを設計した人は、悲しみに暮れる人は極小でいいと考えている。

 

そんなにうまくいきっこないんだけどさ。

 

悲しみに暮れる人は極小ではあるけれど、辛酸をなめつくすかのように苛まれ、その辛酸に薄っすら気付いてる人からも笑顔が消え、全体が澱んでる状態だと、一体誰がどんな思惑で設計したものか設計し損ねたのか。

 

そもそもそこには思想なんてなかった。思想を持たないモノが設計したものだったとでも思うしかない。