クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

よりごのみ

尋常じゃない手段で、普通じゃない場所にたどり着いた。あるいは、普通じゃない地位を得た人の“このくらい普通でしょ“という感覚は、尋常じゃない。

 

ソメイヨシノはあらかた散ったあとだけど、八重桜はまだまだ咲いている。ぽってりと重そうな花は、ソメイヨシノやあるいは蝦夷桜のような可憐と呼びたい花とはまた違ってデコラティブ。花びらがわっさわさで、遠目にみればバラのように見えなくもない華やかさ。

 

おまけに北国だから、虫がいない。

 

八重桜といえば毛虫とセットで記憶しているけれど、八重桜でもその他の桜でも寒冷地のせいか否か虫知らず。基本的に冷涼だから、花見中でも今のところ虫の心配は極小。

 

中心部になるほど桜の開花も早くなって、雪解けも早くなってきたのなら、中心部の気温も上がり気味なのも納得。集住のせいか、温暖化のせいかは知らんけどさ。今はただきれいね珍しいねと喜んでいる、道外からやってきたもの。

 

都市化がすすんで集住が進むほどに気温上昇にも拍車がかかり、毛虫も育ちやすくなって、そのうち桜といえばやっぱり毛虫よね。という景色も珍しいものではなくなる可能性も、なくはないかも。

 

最初は長所にだけ目が行きがちで、きれいね珍しいねと無邪気に喜んでいられるけれど、あらやだ虫がいっぱいつくのねと短所も目につくようになると、賛否あるいは好悪は分かれる。

 

最初からマイナス面も知ったうえで、受け入れてたのならともかく。プランターあるいは地面の花や植物なら移動も簡単だけど、木になるとそうもいかない。

 

冷涼な気候が幸いして虫知らずがこのまま続けば、いつまでものん気にきれいねとただ喜んでられるんだけどさ。

 

冬がとびきり長い代わりに春も初夏もごちゃまぜで、秋も駆け足。

 

バランスよく四季があるわけではないけれど、季節のコントラストはこれ以上ないほどはっきりしていてある意味わかりやすい。わかりやすいから、典型的な四季の景色が切り取りやすい。おまけに、季節の風物詩ももれなくついてくる。今だったらライラックまつりで、冬だったら雪まつり

 

モノよりコトでコト消費が先行してたから、容れ物が多少貧弱でも何とかなったあたりは、古都にして観光地の京都とある意味似てる。貧弱だった容れ物も、古都ではアップデートが激しいけどさ。

 

もともとその土地にはなかった珍しいものは、いいものも悪いものも両方運んでくる。いいものしかいりませんで突き返せるのは、やっぱり強者。