クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ことだま

環境が悪化した地球に見切りをつけ、大富豪が宇宙めざして宇宙開発を進めた結果、地球はとり残された人々の星になるが現実化したら、まんまよくあるSFの後追い。

 

よくあるということはそれだけ言語化されてきたということで、思いを言葉にする人が増えたら荒唐無稽な夢物語も、やがて現実になってビジネスになる。ビジネスにしたいと願う、その気持ちの強さと大きさにこそ恐れ入る。恐れるべきは、言葉に託すしかなかったその気持ち。

 

夜遅くに女性がひとりで出歩いても安全な街も、環境が悪化した地球というフィルター越しになると見えなくなる。現実に人間が二本足で歩ける大地が此方にあり、彼方にあるのは人が二本足で歩けるかどうかも怪しい空間で、重装備になるのは当然後者。現実的なビジネスができるのは、人が二本足で歩ける大地の方。

 

役に立つかどうかも不明な装備を売りたい人にとって嬉しい環境も後者で、誰もが商品テストで有用かどうかをチェックできないのも後者。

 

手つかずの土地が魅力的なのは、何もかもイチから作るしかないところ。あれもないこれもないは、見方を変えればあれも作れるこれも作れるで、足りないものを足していける。どんな物であっても赤ちゃんが成人になるより早く完成するから、人より物の方が増えるのも早く、簡単に増えるものは希少性を保ちにくい。

 

希少性が保てるのは、今後はもう増えそうにないもの。だから希少性に価値基準を置く人は、一定数以上は増え過ぎないように制限する。

 

一対一なら10人の文明人だって倒せる野蛮人も、一度に10人あるいは100人の文明人に襲いかかられたらひとたまりもない。組織的に動けるのは組織された文明人の証で、文明人の見た目がいかにも文明人っぽいとは限らない。

 

視聴率の枠外での視聴の方が、年々増えているに違いないスーパーボウル

 

チームメンバーを見ていると、ならず者と呼びたくなるようなワイルドな風貌の人と、なんでもそつなくこなしそうな優等生タイプが混同してる。タイプの違う、文明人っぽい人と野蛮人っぽい人が、統一された指揮系統のもとで、同じ組織として組織プレイで戦う姿はやっぱり近代のもの。異なるタイプとの協働は、近代あるいは現代のものだから。

 

組織的に動ける組織された文明人が、いかにも文明人っぽいユニフォームや見た目とは限らず、ならず者っぽいワイルドな見た目をしていることもある。

 

異なるタイプの人との協働を拒み、文明人っぽい人とあるいは野蛮人っぽい人だけで固まると、近代から遠くなって前近代により近くなる。ひと握りの大富豪が大富豪だけでつるむようになると、出現する世界は王者が絶大な権力を握った古代世界により近くなり、絶対王者の気分に左右される世界になるかもね。かもかも。

 

絶対王者の命令でしか、異なるタイプとの協働が実現しないのならそれも一種のパラドックス絶対王者の指示のもと、人為的に作られた異なるタイプとの協働世界では、指示のない場所では前近代に戻りがちという致命的な欠陥も生まれがち。