クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ココロ静まり返っても、穏やかでなし

サケ・イクラ泥棒、捕まえてみたら暴力団員だったというニュースには、今という時代がギュギュっと濃縮されてるようで興味深かった。お正月で需要は増えるというのに、不漁でサケもイクラも高騰中。だったら盗んでしまえという発想が、まったくもって反射的で反社的。ピチピチした生身の人間よりも、ピチピチした鮮魚の方が、利幅も大きいのかも。

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防滑シューズで滑り止め対策はバッチリのはずなんだけど、ツルッツルに凍ったスケートリンクのような路面上では、どうにもこうにも滑るしかない。小雪、舞って欲しい。ある程度は滑り止めになるから。

 

少し前に大きな火事を出して燃え続けた場所は、コインパーキングへと衣替え中だった。狸小路商店街に面した新しいマンションの隣には、雀荘&パチンコ屋さんその他が建設中で、そんな話は聞いてないと、悔しがる人も居るかも。

 

投資の基本は、安く買って高く売ること。高過ぎて手が出せなかったら、瑕疵を探すか代替を探すこと。

 

ビットコインに今さら手を出さないのは、明らかに高値掴みになるからで、始めるならもっと早く、サトシ・ナカモトの名前を聞いた時にすぐに始めるべきだった。

 

出口のないお金、余ってるところには余ってるから、行き場のないお金が出口を求めてさまよっている。という脳内イメージが勝手に膨らんでいく。

 

例え大きな損を出したとしても、そもそも桁違いの日銭が転がり込んでくる仕組み(配当その他の権利収入などなど)をすでに持っている人なら、回復するのもあっという間。

 

出口のないお金は適宜吐き出しておかないと、なんてったって経済を回す血液でもあるから、一旦逆流でもすると大惨事になってしまう。

 

後世に残るような大邸宅でも道楽で持てればともかく、明治の元勲の時代でもないから、そんな土地もなければ、職人さんの確保も難しい。ずっーと出物が出るのを待ってる人、居るよね、きっと。

 

現代を見ていると、世知辛いニュースや事件が多くて心も荒むから、ずっと昔、しかも秘境を踏破した人の記録でも読んでタイムスリップすると、ココロも静まり返っていい。

 

今から60年ほど前、昭和30年代初頭の秘境と言えば、だいたいは平家の落人集落っぽい。

 

交通の要所だったり、宿場だったり、城下町だったり、宗教都市だったり。昔っから人が住む場所は、水利や交通の便に恵まれていて街道沿いだったりするけれど、条件に恵まれていない土地にも昔っから人は住み着いていて、なぜかというと彼らは敗者だったから。

 

敗者だったから、条件のいい場所に住むことは許されず、とはいえそもそも支配階級でもあったから、条件の悪い土地でもそれなりに住み着いて生活を再建することができた。細々と語り継がれてきた、敗者、あるいは主流になれなかった人が脈々と紡いできた歴史とも言えて、へぇと思うような知見がときおり散りばめられていた。

 

決して表舞台に出ることは許されなかった、敗者たちの記録。でもあって。

 

記録というのは結局のところ「読まれてナンボ」でもあるから、細々と語り継がれてきた敗者、あるいは主流になれなかった人たちの記録、読む人さえ居なくなるのがイヤなんでしょ。わがままだね。

 

読まれなくなったら記録する意味もなくなるから、記録の形も変えていくしかない。

 

歴史は勝者が紡ぐものだから、勝った方が都合よく改変するのなら、敗者だってどこかで都合よく改変を加えてくるのかも。勝者が手を出しにくい分野で。

 

電子化されているということは、「現代から見た目」で一度検閲が入ってるかもしれず、できることなら発刊当時の原書という形で、読んで確かめたいもの。

 

アナログからデジタルへの改変期は、絶好の史実改変期でもあるよな。。と時折苦い気持ちになりながら、それでもそれなりに面白く、読むという行為は鎮魂でもあると思いつつ読んでいる。

 

荒ぶることはもう許されないんだから、ちっとは魂鎮めれば。と、誰かさんに思うこれはレクイエムがわりさ。

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

 

お休みなさーい。