人は集団になると、悪いことも平気でできるようになる。だから、悪い集団となるな。よき集団をめざせと、昔々の恩師に言われたことがありまして。
よき集団であろうと努力されていた教師陣が揃っていたので、今では昔の面影はすっかりなくなっちゃったけど、当時はいい学校だった。春ともなると、着任した新任の教師が口々に、「この学校に勤務できて光栄です」と、お世辞でもなさそうな熱心さで語っていた。
同時期の他校の様子を思えば、向上心のある生徒の熱意には、ちゃんと応えてくれるいい学校だったおかげで、塾などのお世話になることも極小で済んだ。
進路補習という名の無償奉仕のおかげで、予備校の模擬テストで予期せぬ好成績を取った時は、わがことのように喜んでくれた。
(赤い花はモナルダ。またの名は、ハーブでおなじみベルガモット。)
私が学生だったふた昔前は、伝統校がゴロゴロいる中での比較的新設校で、新設校ならではの「いい学校になったるで」という意欲が、まだ枯れてなかった頃。おかげで大人になった今でも、よき教師に恵まれたと感謝しかない。
メディアは嘘をつきやすくて、頭のよさや優秀さよりも、集客力だとか使い勝手のよさだとか。別のベクトルで選ばれた人の意見が場合によっては目につきやすいから、油断ならねぇ。
分厚い札束でぶっ叩けばいろんなものがひっくり返って、どれが本当かわからなくなるけれど、目の前で見た上から数えて何番目の人のことは、やっぱり信用してる。目の前で見た、上から数えて何番目の人が、褒めた人のことも信用してる。
立場はいろんなものを重くするから、その人たちはもう、軽々しいことは言わなくなったし、言えなくなった。
ペラペラ色んなことを赤裸々に話せるのは、立場のない人間だけ。
人は集団になると悪いことも平気になると知ってる人は、集団から距離を置く。早い遅いにかかわらず、とにかく遠くへ行きたかったら、結局はひとりの方がいいんじゃないの。
遠くに行った後で、みんなと離れてひとりになりたくなったら、どう縁切りするのさ。金の切れ目は縁の切れ目で、気前よく手切れ金を払えば払うほど、縁もきれいさっぱり切れるのか???
物理的にひとりになることは難しくて土地に縛りつけられていても、精神的にひとりになろうと思えば、技術が解決してくれる。情報収集を目的に使ってるツールに割り込んでくる人がいれば、遠慮なくブロックしたりミュートにぶち込んでる。
勝手にステマの踏み台っぽく使われたり、ひとりでいると弊害もあるけれど、だからと言って目的が違う人とはつるめない。
めざすもの、追及したいのはただひとつ。脳内がパカパーンと花開く瞬間だけさ。究極の選択で、エログロナンセンスからどれか一つを選べと言われたら、迷いなく「ナンセンス」を選ぶ。究極の選択だから、ナンセンスしか選ばない。
お休みなさーい。