クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

レモンティーケーキと『八十日間世界一周』と蜂蜜と

レモンティーのティーバッグで作ったから、レモンティーケーキ。

f:id:waltham70:20170222214136j:plain

15㎝スクエア型のケーキに、ティーバッグ4パック+αを使ってる。それでもレシピの半分で、紅茶使用量は控えめ。飲み物はコーヒーを合わせるべきか紅茶を合わせるべきか。どっちでもいいんだけどさ。

 

「今日すべし」と予定していた事柄をサクサクと消化し、非常に満足した気分で迎えた夕方に、大惨事発生。キッチンの床に大量の蜂蜜がこぼれだし、床がねちょねちょに。蜂蜜の妖精の怒りでもかったかな?という勢いで、ねちょねちょネットリ。

 

蜂蜜好きなもので、買い置きしていたのは2キロはあるかという大量の蜂蜜。その過半が流れ出し、拭っても拭いてもねちょねちょ。最後はお風呂掃除用のバスマジックリン(スプレー式洗剤が、それしかなかった)の助けを借りて、どうにかした。化学合成洗剤、スバラシイ。

 

家に籠っている時、以前はラジオをよく聴いていたけれど、近頃は録画した紀行番組を環境用BGMがわりに流してる。音声はごく控えめ。人生で一度は経験したかった白夜を経験してからは、世界のどこに対しても表面的な興味しか持てなくて、紀行番組を見ながらどうしても見たい・行きたくなる景色を探してる。

 

どうしても見たくなるような景色はたいていアドベンチャー系で、険しい山の中だったり、現地の人でさえ足を踏み入れるのが難しそうな秘境系だったりで、ちょいと行ってきましょうかな景色は、なかなか見つからない。

 

文字情報も映像も溢れてるから、何を見ても「どこかで見たよう」な気になってばっかり。知らない街のことこそ知りたいと思ったとき、思い出したのが『八十日間世界一周』。ジュール・ベルヌが、1872年に発表したユーモア小説。

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

 

 

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

 

 日本では明治がはじまったばかりの頃。「世界一周は80日間で可能」なことを、証明するためだけに世界旅行に挑戦する、イギリス紳士のお話。イギリス紳士の原型イメージは、『八十日間世界一周』とネビル・シュートの『パイド・パイパー』から出来上がってる。

 

寡黙で、名誉と信義を重んじる。いつも背筋をしゃんと伸ばし、愚痴っぽいことは決して口にしない。そんなイメージ。本物のイギリス紳士なんて一人も知らないし、本物のイギリス紳士じゃない人は、泣き言言いたい時には、グチグチ愚痴っても一向に構やしない。

 

寡黙なイギリス人紳士フォッグ氏と旅するのは、陽気なフランス人下僕パスパルトゥーで、正反対なふたりによるバディものとしての楽しさもある。

 

折悪く起こった銀行強盗と勘違いされ、フォッグ氏を逮捕しようとつきまとう、フィックス刑事も交えての世界一周の旅。その当時の人から見たエキゾチックな街の景色や風習、旅の苦労や当時最新あるいは現地ならでは旅の乗り物も追体験できて、すごーく趣向の変わった旅番組でも見てるような気になった。

 

世界のどこに行ってもスタバやマクドナルドがある現在からすると、エキゾチックさ満点で、そこでしか経験できなさそうなイベントにあふれてるから行ってみたさも湧いてくる。

 

日本人どころかアジア系でさえひとりもおらず、それでいて身の危険は感じなかった外国の地下鉄が精一杯で、そもそもアドベンチャーにまったく向いてないんだけどさ。

 

どんなトラブルに直面しても、フォッグ氏はすべてお金の力で解決しようとする。言い換えれば、お金さえあれば思想信条を問わず、外国人だろうと何とかなる世界を旅してるってことで、現代に比べて国境のハードルは飛び切り低い。セレブであっても入国禁止を食らうこともある、現代の方が国境のハードルは高いかも。かもかも。

 

世界旅行する人、西洋から東洋への個人旅行がとびきりマイノリティーだった時代だからこその読み物で、日本も登場。ところどころ間違ってるけれど。

 

イザベラ・バードが『日本奥地紀行』のもととなる、日本旅行をするより前に書かれた『八十日間世界一周』で、ジュール・ベルヌが日本を描くのに参考にしたのはやっぱりアーネスト・サトウあたりになるのか。

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

 

 

  ジュール・ベルヌ自身の体験をもとにしたというよりは、資料を読み込んで書かれたもの。資料が豊富だったと思われるエリアの描写は細かくて、そうでない場所はそれなりなところにも、当時の世界観が垣間見える。

 

子ども向けの読みもので出逢ったのが最初だけど、大人向けになると脚注による補足事項も豊富で、間違いは間違いとして正してあるところがいい。現在価値に換算すると、本当に馬鹿げた大金を投じていて、呆れ返れる。酔狂な賭けに本気で挑む、暇もお金も持て余した人のべらぼうさは、大人になった今の方がよくわかる。

 

暇もお金も持て余した人が賭けに夢中になるのは、今も昔も大して変わらない。大博打に成功したら、また法外なお金が転がり込んできて、またまた退屈な日々に戻りそうなところ、そうではないラストを持ってきてるところもいい。

 

冒険のあとに日常に戻ること。指輪物語でもひとつのテーマだったけれど、古今東西を問わないテーマで、それだけ成し難いんだな、きっと。

f:id:waltham70:20170222214129j:plain

お休みなさーい。