日本の神様は甘党なのか。
宮本常一の『塩の道』読んだ。講談社学術文庫の中の一章。他に“日本人と食べもの”、“暮らしの形と美”が収録されている。
宮本常一(みやもとつねいち)は、低―い目線から日本の生活を眺めてきた民族学者。1981年没と、昭和の時代にすでにお亡くなりになっている昔の人。昔の人ではあるけれど、現地を訪れ現地の人に取材するフィールドワークの手法は、むしろ日々SNSで発信されるオモシロネタを読みなれた今と親和性高いかも。かもかも。
遠い昔の歴史を紐解いてはいるんだけど、目のつけどころは生活者目線。
語って聞かせたい相手もアッパー層以下を想定しているためか、学者さんが書いたものとはいえ読みやすい。短編小説並みの短さでもあって読みやすさも二乗。なのに、脳内へぇボタンが連打される内容が豊富でお得感があった。
塩も工業製品化されることになって、それまでの手作業による製塩法が時代遅れになろうとしていた頃。“塩のお弔い”としてまとめられた『日本塩業大系』の、とっかかりになればと書かれた文章。
土俵入り前にザッパーと景気よくまかれたり、商家の軒先で盛り塩となったりお清めに使われたり。「穢れ」を払うっぽい使われ方をする塩だけど、実は「霊性」を持たないと解き明かされる。
塩がないと、排出や循環がうまくいかずに身体を害す。だから塩は必要であっても、塩そのものはエネルギーにならず、エネルギーにならないものは霊性を持たずに、神様への供物リストには載れなかった。
エネルギーになるものはだいたい神様への供物になっていたというエピソードに、脳内へぇボタンが連打されまくり。
甘味はエネルギーありまくりだから、神様への供物リストでもシード権獲得なんだな、と納得する。そして、神様への供物リストから外れた塩が向かう先は、生活者のいる場所。
岩塩があるヨーロッパや、井戸を掘れば採掘できる中国と違って、日本では塩は作るしかなかった。だから、塩を作るための道具や製法が順次編み出されていった。
海水を煮詰めて作る塩田方式ならイメージもしやすいけれど、山から木を川に流して海に至らせそこで塩を焼いた「塩木」方式もあり。塩を求めて海へと下る木、絵面を想像したらロマンでしょ。
ロマンではあっても不便であれば、その手法は進化して、木=薪と塩を交換する、交換経済に進化する。著者もその変遷を「たいへん面白い」と評してるけれど、読んでるこっちも相当面白い。
交換経済が生まれれば、商材を売り歩く人も生まれて、塩の道が誕生する。
神様への供物になるものであれば、大手を振って歩けるような大通りを行くものだけど、塩が行く道は、もっとしょっぱい。
山越え、谷越え、道ともいえないような道を行くのが塩の道。
そのお供となるのは牛で、野宿を余儀なくされてのしょっぱい旅。時に馬宿・牛宿と呼ばれる茅葺の家に泊まることもあって、その宿の規模からその地方の商圏や商規模さえ推し量れるから、遺跡や遺構の語るものは馬鹿にできない。
神様への供物リストに載らなかったものは、文献やまとまった研究にもならず、捨て置かれる。
捨て置かれていたとはいえ、そこにあるのは壮大な歴史。道具や製塩法の発展、製塩の規模が大きくなるとともに発展する交換経済の輪や、塩売りから毒消し売りに職業替えする人たちの暮らしまで織り込んで、最後はイザベラ・バードにまでたどり着くからびっくりさ。
われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形で揺れ動き、その上層に、記憶に残っている今日の歴史があるというわけです。(本文より引用)
記録されなかった記憶、消えてしまった道を辿るのは、大通りを行き交った、神様や天子様への供物がたどった道とは、違う道を掘り起こすこと。神様とも天子様とも違う暮らしを生きた人の暮らしを辿ること。
格差が大きくなって、神様や天子様にも等しい現代のビリオネアやミリオネアの暮らしにビタイチ興味も感心も持てない人も、記録さえされなかった人の暮らしになら興味が持てるかも。かもかも。
しかも現代では、神様や天子様にもなれない人の方が、数の上では圧倒的に多いのさ。塩の道を踏み分け歩んだ人に、シンパシーも感じやすい。面白かった。
そして、とっても生活者に近くなった現代の塩の道をおススメしてくるアマゾンさんも、いい仕事してるじゃんと満足。
お休みなさーい。