クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

二回見てようやくその良さがわかったような気がする『バベットの晩餐会』

シアターキノにてデジタルリマスター版を鑑賞。“空腹時のご鑑賞にはお気をつけください”との注意書きつき。美食、贅を尽した料理の数々が、かたくなになったココロもとろかし、束の間の心の平穏を取り戻す。ご馳走の効用を、イヤというほど教えてくれる。

バベットの晩餐会 HDニューマスター [DVD]

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19世紀後半、デンマークの小さな漁村で牧師だった父の遺志を継ぎ慎ましく生きる初老の姉妹。ある日、彼女たちのもとにひとりのフランス人女性がやってくる。パリ市の動乱(パリ・コミューン)で家族を失ったバベット。彼女はメイドとして姉妹に仕えるが、ある日偶然買った宝くじで大金を手にする。かつてパリのレストランの名シェフだったバベットは、賞金を使って豪華なディナーを計画するが……。(フライヤーより引用)

美食のある人生か、美食と縁のなき人生か

ヒロインとなるバベットは途中から登場。まずは、バベットの雇い主となる姉妹と、彼女たちが生きる土地の説明から映画は始まる。

 

『年収は「住むところ」で決まる』なんて本もあったけれど、住む場所によって常識も異なれば、思想も左右される。

 

干した魚が主食となり、カチカチに乾燥したパンさえスープになる。パリから遠く離れた北欧の寒村は、客観的に見ればとにかく貧しい。貧しい村で、卑屈にならずに過ごすためのキーワードは“清貧”や“清廉”。清く正しく美しく生きることを規範とした小さな村のミューズがバベットの雇い主である姉妹。若い頃はそりゃもう美人でした。

 

姉妹は暇な時間のほとんどを善行に費やし、そのことに疑問も持たない。牧師である父親がある宗派の創始者でもあったので、姉妹も敬虔なクリスチャンに育っているから。小さな村では善行を施す人と施されるメンバーは固定していて、イヤになって都会に逃げ出しても良さそうなところ、自らの意思で村にとどまり続けた。

 

美人だったので、それぞれ玉の輿に乗って“大きな世界“に飛び出すチャンスもあったのに、棒に振っている。ただし、その時の縁が後々きいてくるので、人生なにが幸いするかわからない。

 

姉妹のもとにバベットが身を寄せたのも、かつての玉の輿がらみ。そこから、パリの革命で家族を失い身ひとつで寒村にやってきたバベットと姉妹との共同生活が始まる。

 

バベットは、小さな村の食生活をレベルアップさせる

よそもののバベットは、デンマークの伝統的な料理も知らない人。よそものながら、少しづつ小さな村の景色の一部として認知されてゆき、景色として馴染む頃にはすっかり料理の腕も上がっていた。

 

清貧と清廉を絵に描いたような老姉妹のキッチンが、バベットのキッチンになるにつれてハーブや調理道具などが充実していく。老姉妹による村人への善行は続いていて、村人はバベットが作った料理の差入れを心待ちにするようになる。美味しいから。

 

乏しい食材であっても美味しいスープを作り出すバベットに、転機が訪れるのはそんな時。宝くじに当たったバベットは、姉妹の父親である牧師兼宗派の創始者の生誕100周年を祝う晩餐会で、ディナーを作らせて欲しいと姉妹に願い出る。費用はバベット持ち。

 

バベットによる豪華絢爛ディナーの噂は村中を駆け巡り、質素倹約に慣れた村人を混乱に陥れる。ここがもうおかしい。ご馳走!わーい(*´▽`*)とならない姿は滑稽で、ちょっと哀れ。豪華絢爛ディナーを食すのは、罰当たりとでもいわんばかり。食べ慣れないものを前にした時、人はただ混乱に陥るのさ。

 

乾燥したパンのスープに慣れた人には、“ウミガメのスープ“は途方もなさ過ぎて途方に暮れてしまうんだから、質素倹約の呪縛恐るべし。

 

質素倹約の呪縛から解き放たれ、美食は美食として楽しめるようになった頃には、頑なで怒りっぽくなりがちだった村人たちも、すっかりほがらかに。

 

小さな村で、暇な時間のすべてを善行に施すようなストイックな生き方を続けていれば、息が詰まる。人間関係を筆頭に、あらゆるものが硬直してくる。

 

新しいメンバーも入ってこない、硬直した村社会では些細なことでもいがみ合うようになる。心が湧きたつようなスバラシイ経験も、そう滅多に起こらない環境で、凝り固まった“いがみ虫”を鎮めるのは、途方もない美酒と美食だった。美食を知る前と後では、人生が変わる。美食には、人生を肯定的なものに変える魔力あり。

ウズラのパイに、南国のフルーツに、年代もののワインに。美酒と美食で滑らかになった口からは、もう憎まれ口も出てこない。美味しいものに囲まれた現代ニッポンは、機嫌よく日々を過ごすチャンスに満ち満ちている。

 

気前のいいバベットの心境やいかに?

バベットの気前のいい振る舞いで、凝り固まり頑なになった村人のココロも解きほぐされ、村には平穏が訪れたけど、さてバベットには何が残ったのか。

 

空腹は最上のソースで、飢えた人を前に存分に腕を振るうのは、料理人冥利につきる。

 

バベットは、パリの一流店でその名を馳せた名料理人だった人。望めばパリに帰れなくもないのに、バベットが選んだのは別の道。料理人が求めるのは、存分に腕をふるえる場所と美味しいと喜んでくれる人がいるところ。

 

「芸術家は貧乏ではない」というセリフがとっても意味深。貧乏の反対は豊かであること。そして、豊かであることには金銭的に豊かであることと、気持ち、精神的に豊かであることのふた通りある。

 

バベットは、パリに行けば金銭的には豊かになれる。でもパリは、彼女から家族を奪った場所でもあり、彼女にもいつまた危害を加えるかわからない場所。自分の大切なものを害した場所や何かを前に、猜疑心を抱えたまま腕をふるうくらいなら、無心になれる別の場所でと考えても不思議はない。

 

気持ち、精神が健やかで穏やかに過ごせる場所や環境を選ぶことも、人を豊かにしてくれる。逆説的に言えば、金銭的にも精神的にも貧しいままの人は、芸術家でも何でもないのかも。

 

この映画は、バブル真っただ中の80年代後半に公開された。十代の頃にレンタルで見て、当時は退屈で良さがちっともわからなかった(静かな映画なので、今見ても退屈な人にはきっと退屈)。同じように美食に彩られた映画でも、同時期に見た『赤い薔薇ソースの伝説』の方がぶっ飛んでるストーリーで好き。

 とはいうものの。豊かさや幸せなんてものは、人によって違う。ある人にとっての幸せの形が、別の人にとっては耐えがたい苦痛になることだってフツーにある。バベットや村人たち、あるいは老婦人の奇妙な生き方も、それはそれでアリ。数が多い生き方が、万人にとっての幸せではないと知るくらいには、大人ですから。

 

真ん中にバラの花、周囲にチェリーやアプリコットを散らしたクグロフっぽいお菓子に目が釘付け。素朴なバターケーキ風だけど、とっても美味しそうだった。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

 

(原作もあり。)

お休みなさーい。