和食は油汚れが出ない、あるいは出にくい。
年末におせち料理を作ると実感する。昔ながらのおせちといえば、炒る(田作り)・煮る(黒豆、お煮しめ、きんとん、昆布巻き)・和える(なます、数の子、たたきごぼう)で、それだけだと物足りないから肉や魚に火を通したものが入る。
懐石料理を思い浮かべても、油をたっぷり使った揚げ物があるけれど、全体としてはあっさりで油っこくない。
懐石料理といえば料亭だけど、料亭で食事する楽しみには日本庭園が含まれていて、手入れされた庭園美・山紫水明まで込みだと考えると、油汚れが出ないか出にくいのも納得する。
山紫水明の庭園美が付加価値だとすると、付加価値を自ら損ねにいけば損をする。
料理と付加価値が別モノになると、油汚れが出にくいあるいは出ないのが和食なんだということもつい忘れそうになるんだけど。
白いご飯に佃煮、それにお味噌汁でもあれば、自分一人だと十分お腹は膨れるし何よりローカロリーで洗い物も楽チン。とはいえそれだけだと、体力を使うようなことはできないから体力を使わない人向けで、体力が必要な人にはもっとボリュームのあるものがいる。
おせちに食べるようなものが日常だった昔から考えると、体力のある若年層向けに日本食が洋食化していって、いつのまにか油たっぷりの料理にも慣れてしまったけれど。
体力を使う人向け、油たっぷりでボリュームのある食事をさほど体力を必要としない人が摂取し続けると、カロリーオーバーになりがちで、運動量が足りなくなる。
足りない運動を増やさずローカロリー食に切り換え、摂取カロリーを減らす方向に舵を切ると、カロリー過多な食事もカロリー消費のための運動もそもそも余剰となって、余剰だから余裕の産物化する。
現代では美食と運動はワンセットで、美味しく食べようと思ったら運動は欠かせないし、運動したらお腹が空く。美食と運動のどちらかが過剰でアンバランスなありようは、だから余裕のなさを現していることになるから、足りないものを足すと余裕が増える。
レジャーとして体を動かし、心地よく汗をかいた後に美食を楽しむ姿はどこからどう見ても豊かで、真に豊かな場所だったらその両方が揃っているはず。
ということくらい、わざわざ遊びに出掛ける時には無意識にチェックしてるんだけどさ。
冬になると毎年雪が降る。
新幹線が走るより先に高速道路網を作り上げ、美食と運動という余裕を最果ての地まで届けようとした時のコストは莫大で、多大な先行投資を都合よく忘れてくれるようなお人好しなんて、いくら聖人と持ち上げたところで滅多にいるもんじゃなし。
こういう景色は、その季節が来ないとなかなか思い出さない。思い出しもしないになりがち。