クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

見通し

冷蔵庫や冷凍庫の中は、こまめに料理をする人ほど空っぽになりにくい。

 

こまめに料理はしないから、入ってるものといえばわずかな調味料と飲み物だけ。みたいな家庭の冷蔵庫や冷凍庫だったら、いつでもスッキリ見通しよさげ。こまめに料理をするようになると、冷蔵庫や冷凍庫の中はゴチャゴチャしがちで見通しも悪くなり、使わないまま冷蔵庫や冷凍庫の主となって、オヤ?どれくらい???と、なりがち。

 

1ヵ月に1回程度は冷蔵庫や冷凍庫を空っぽにする習慣をつけると、いやでもあるもので何とかする料理の腕は磨かれて、在庫が積み上がったままになることもなし。

 

買ったはいいんだけど、使わないんだ。。というものは、食べ物を粗末にするなと刷り込まれていると潔く捨てることもできずに、在庫として貯まりがち。一般家庭ならそれでもいいんだけどさ。

 

賞味期限という目に見える形で捨て時がはっきりしていたら、企業のような組織になるほど在庫は抱え込みにくくなり、捨てなきゃならなくなる。

 

だから家庭的な個人商店っぽい形態になると、家庭ではないのに家庭っぽく捨て時が来たものも抱え込みがちになって、一見するとゴチャゴチャと見通しも悪いままになるのかも。その辺りに人となりが如実に表れて、人となりを如実に表してるにもかかわらず、イエローカードやレッドカードを一方的に振りかざすのはどう考えても悪手。

 

悪手だから、最初から握手なんてするつもりもきっとなし。握手するつもりなんてなく悪手ばかりを繰り出してくるなら、最初からやりたいのは握手以外のことやもの。

 

蝶よ花よとチヤホヤされ慣れてきたか否かがよくわかるのは、こんな時。

 

蝶よ花よとチヤホヤされてきて、事実として蝶や花、キレイなものを見たり触れたりするのを好んでいたら、わざわざ“泥沼の”と形容詞がつきそうな場面や場所、あるいは物騒なものには好んで近寄らない。好んで近寄らないはずのタイプが、泥沼や物騒な場所の近くに出没していたら、罰ゲーム的なものなのかも。

 

泥沼や物騒な場所で待ち受けているのは、いつもいつも、握手するつもりなんてなく悪手だけを繰り出してくるタイプだったら、本当のところはどうであっても第三者から見たらそう見える。

 

どう見てもやらなさそうなタイプにばかり目を付けて、次から次へと握手なんてするつもりなく悪手ばかりを繰り出してくる相手のもとに送り込むのは、一体どういう遊びなんだか。

 

自然豊かな場所で、どっちに行こうか迷った時。自然豊かな場所ながらも生活の痕跡、人の気配がわずかでもしたら、そっちを選ぶ。自然豊かな場所で人の気配もせず、生活の痕跡も薄い方で待ってるのは、どう考えても人より人ならぬものである可能性が高いから。

 

一見すると自然豊かに見える場所でも、人が安心して出歩けるのは人の手が入っているから。自然が勝っていると、とてもじゃないけど無防備にブーラブラなんてできっこない。