クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

フランス版細雪だと思って『最高の花婿』見た

アットホームではない、ホーム(=家庭)を舞台にしたホームドラマ『最高の花婿』を見た。

 

フランスの地方都市で豊かに暮らす夫婦が、家庭内では移民問題に直面して右往左往する。アットホームではない家族をドラスティックかつドラマティックに描いてた。

 

日本人から見れば、ホテルかと思うような大きくて立派な邸宅広大なお庭付きで、使用人もいる。順風だった人生を象徴するかのような住まいを構えながら、その住まいに集ってくる新しく家族となった婿達は、夫婦からすれば不満の種。

 

フランスらしく、個性と感性豊かで美しい四姉妹が選んだ婿はやっぱり個性的で、出自がバラバラ。ようやく末娘がフランス人と婚約したものの、フランスといってもヨーロッパ大陸ではないフランス出身で、肌の色も違う。だけど、紛れもなくクリスチャンでカトリック教徒で、宗教という核は一緒。

 

母親同士は肌の色の違いを乗り越え宗教という核、共通する文化のおかげで意気投合するけれど、問題は父親たち。

 

末娘とその婚約者。どちらの父親も、それぞれのホームでは名士で成功者。かたやフランス、かたやフランスの海外県。同じフランスといってもその中身はだーいぶ違う。

 

例えば日本の食糧庫、北海道は十勝とリゾート地で基地のある沖縄の石垣島では同じ日本といっても文化や風習がだいぶ違うように、背負っているものや背負ってきたものが違う。

 

背負っているものや背負ってきたものが違う両者が、果たして家族として融合できるのかどうかが見せ場でテーマ。

 

同じ土地、同じフランス文化圏の中だと問題にもならない話題が、いちいち問題となって婿達からクレームがつく。婿という立場は同じでも、婿は婿で血で繋がった姉妹ほど結束してはいない。終始家庭内の諍いをユーモアたっぷりに描きながら、地方都市の美しさは少しも損なわれない。

 

美しい地方都市の景色や景観、宗教や美食をベースとしたフランス文化は損なわれてはいないけれど、その代わり家庭内はグローバリズムという嵐、あるいは乱気流に見舞われ夫婦は高ストレスに晒される。

 

クリスマスにお正月。伝統的に家族がともに過ごすこととされてきたイベントは、伝統にのっとった家族ほど楽しく心地よい集いになって、伝統にのっとらない家族ほど主義主張の違いが露わになって不快度が増すものなのかも。

 

だから、四人の婿がバラバラの出自を持つ家庭の集いは国際会議の様相を呈し、集まってくる婿も各々「今会議でいかなる成果=(利得)を持ち帰れるか」といった風情で、和やかや団欒といったムードから遠くなりがち。

 

フランスも中国も、ともに国連常任理事国の大国。四人の婿の中でも中国にルーツを持つ婿はビジネスに才覚があり、四人の中では成功者。

 

拒否権を持つ常任理事国や大国が、自国の主張を通そうとした時。非常任理事国や加盟国であるその他多くの国や地域の支持を得ようと根回しするのが国際政治の場なら、多国籍なファミリーは一家団欒を通じて(めざして)そのエッセンスを学ぶことができる。

 

そして、ビジネスという経済的側面でまずは三姉妹年長組の婿達が合意に至るあたり、地方都市のいち家庭とはいえ国際政治の縮図っぽい。

 

ところで国際連合という国際機関の誕生は、世界大戦の惨禍と荒廃抜きにはあり得なかった。バラバラでボロボロになったヨーロッパが統合へと向かうのも、統合へと強力なリーダーシップを発揮するのも、荒廃と惨禍の場を生きる場所とする国や人だった。

 

差別した者と差別された者が、にっこり笑顔で握手を交わすのは難しい。

 

家庭環境や出自。異なるバックグラウンドを背負った者同士の結婚が定期的にエンタメのテーマとなるのは結局はそこ、差別or迫害された側と差別or迫害した側がにっこり笑顔で握手を交わすのが難しいからに尽きるんだろう。

 

SF作家小川一水の『第六大陸』では、月基地建設をめざす巨大コンツェルンのお嬢様が月に結婚式場を作ろうとする。なぜ結婚式場なのかといえば、インフォーマルではないフォーマルな結びつきをめざした時、儀式の場である式場が欠かせないから。

 

そして移民大国として知られるフランスでは同棲や事実婚が多く、同棲や事実婚から生まれた子供達が多かったのも、フォーマルな結びつきに対するハードルが高かったからで説明がつくんじゃないだろうか。

 

条約や条例よりも憲法の方が、法的には強い。法的に脆弱な結びつきでは守れないものがあるとわかっていれば公式な結びつきを志向し、法的に脆弱だと奪えるものがあるとわかっていれば非公式なままでいい。

 

美しい景色を我がものにできる素敵なお家とお庭、そして家族。本来にっこり笑顔で握手を交わすことが難しい間柄であっても、腕相撲のようにがっつりタッグを組めるのは、守るべきものが一致した時。がっつりタッグを組むときに志向するのはフォーマルな結びつきで、だから結婚式にはこだわりが露わになる。

 

多様性は、居心地の悪さとトレードオフ

 

だけど居心地の悪い多様性をゆりかごに、年長組三人の婿達のようにグローバル展開可能な新しいビジネスが生まれてくる。ビジネス展開が可能なのも、公式な結びつきがあるから。

 

ジジとババにパパとママやおじさんおばさん達。いがみ合って大騒ぎする大人達はそういうものだとして、コロコロのびのび多文化や融合、それに対する反発も”あるもの”として育ってゆくちびっ子達は、グローバル社会の申し子。

 

いがみ合う、ジジババにパパやママ達勘弁してと思って動けばそれがビジネスになる。

 

そこに新しく加わる四姉妹末っ子の婿は非伝統的なフランス人で、高らかにラ・マルセイエーズを歌えなくても生まれた時からフランス人。厳つい父親込みで、ファミリーに新しい価値観をもたらす存在。

 

新しいものが生まれ続けるという状況や設定を用意できたんだから、続編が登場するのも当然で必然。

 

新しいものを作り続けようと、努力や奮闘といった軽くて短い言葉では言い尽くせないほどの過程を経て、新しいものが生まれ続ける状況や設定を用意した。

 

家族と結婚に終始した、優雅あるいは豊かな生活を描いたという点ではフランス版『細雪』みたいで、徹頭徹尾家族にこだわっていた。