クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

動画配信サイトがはやれば一番困るのは国営放送かも

トンボが舞い、コスモスが咲く。お盆ともなればすっかり夏の盛りも過ぎて、気持ちはすでに秋。日ごとに日は短くなって、空気は涼しくなってゆく。

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キューピー3分クッキング、今ではHuluでも放送されてると知って驚いた。浴びるように映画を見るわけでもない、ドキュメンタリーなどニッチなジャンルに興味があるわけでもない人も、お料理番組からHuluに流れてくるかもしれない。

 

お料理番組は、安心安定のコンテンツ。とがったことには何にも興味がない人でも、見るコンテンツだから。

 

長らく続いているお料理番組やサイトが動画配信サイトに番組をもてば、番組やサイトのチェックが習慣化してる人も、いっしょについてくる可能性大。

 

アプリに特化されたフォームに慣れるより、慣れ親しんだテレビ番組そのものが放送されるなら、そっちを見た方が早い。普通の人は、キュレーションサイトに転載するために番組見てるわけじゃないから。

 

今はサイトで過去レシピをチェックしてるような番組も、いずれはみんな動画配信サイトに移るのかも。ところでそうなった時、国営放送の番組はいったいどうなるんでしょうかね。

 

受信料という安定基盤があるから、良質な番組を量産してきたけれど、動画配信サイトという民営のサイトに、国営放送も番組を持てるものなのか。ネット解禁も取りざたされていたけれど、メジャーな動画配信サイトでなければ、見る人は減りそう。

 

テレビから民放が消えても、国営放送は残りそうだけど、そのとき見てる番組は、今とはずいぶん違ったものになるのかも。

 

良質なストックがふんだんにあるから、資産で食べていくことはそれなりにできそうではあるけれど。

 

わざわざサイト用にコンテンツを作るより、今ある番組をそのまま流せたほうが、ずっとお手軽。基本世の中はお手軽な方へと流れるものだけど、そこは国営放送だからふんばるものなのか。

 

過去レシピさえお手軽に検索できれば満足なんだけど、右クリックでコピー&ペーストが封じられると、たかが料理レシピでさえ、お手軽には探せなく未来が来るのかも。キャプチャすれば一緒だから、あんまり意味はないのか。でも、ひと手間増えるよね。

 

お休みなさーい。

蒸してつくる、和梨のコンポート薬膳風

和梨を見ると仏壇を思い出す( -_-) 梨とぶどうは、お盆シーズンの仏壇には必ず鎮座してるものだったから。ときどき桃あり。仏壇のおさがりをいただく時には、つんとお線香の香りまでして、和梨生産者の方々には悪いんだけど、個人的にはすごく抹香臭いくだもの。

 

スイカと同じく水分が多いので、残暑厳しい季節の乾いた喉に嬉しい。

 

ではあるけれど、はしりやはずれでイマイチ甘くなかった梨があった時は、薬膳風コンポートに変身させてみる。常温で追熟させるとたいてい何とかなるんだけどね。

 

【材料】デミタスカップ4個分

  • 和梨 半分
  • クコの実 適量
  • 氷砂糖 適量
  • 水 適量

すんごい適当レシピ。器によっても分量が変わってくるので適当。

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梨をいちょう切りにカット。薄すぎるより、適度に厚みがある方がいい。

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クコの実は水で戻しておく。

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器に、カットした梨・クコの実・氷砂糖(1カップにつき3~4個)を散らし、ひたひたになる程度の水を注ぐ。

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ラップでふんわりと覆い、蒸し器にセットし、梨に火が通るまで7~8分くらい蒸す。ラップはふんわりじゃないと途中で避けてしまうので、時々様子を見る。今回様子を見たら避けていたので、その上から新しいラップで覆って応急処置をした。

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蒸し上がり。今回は火を通し過ぎた(その間のんびり朝ごはんを食べていた)ので、クコの実の色が着いて茶色い仕上がりに。。透明な仕上がりの方が、美味しい。

 

とはいえ自家消費用なので、細かいことは気にせず粗熱がとれたら冷蔵庫でじゅうぶん冷やす。

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完成。

 

食べるときは、甘みが均一になるようスプーンでかき混ぜてから。ビジュアル重視でミントの葉を散らせばもっとフォトジェニックな仕上がりになったけど、自家消費用なので割愛。ミントの葉、食べないし。

 

電子レンジよりも蒸した方が、仕上がりの食感や甘さの浸透具合が違うと思うのは、気のせいなのか。蒸した方が断然美味しいと思っているので蒸し器好き。

 

今の季節はどうせクーラーのお世話になっているので、その辺無頓着。

 

てけとーレシピなので、万人にとって美味しいものとは言い難いかもだけど、切っただけの水菓子に飽きた時に。クコの実が入るから、気持ち薬膳風。はっ( ̄O ̄;)と気づいた時には、すでに梨の皮を剥いていたので、梨の写真はなし。

 

半分だけ残った梨の写真をアップしても。。ということで、また新たに梨を入手した時にでも追加するかも。

 

お休みなさーい。

 

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サヨナラは新しい日々のはじまり。新海誠による正統派ジュブナイル『星を追う子ども』見た

ジブリアニメでもう一度見たい作品ってなんだろな。。そう思いつつアマゾンプライムビデオを漁っていて見つけた作品

星を追う子ども

星を追う子ども

 

 ジブリアニメじゃないけれど、ジブリに似すぎと批判されてるくらい、『星を追う子ども』はジブリ風の正統派ジュブナイルだった。児童文学の系譜に連なるような作品が好物な人間の、ハートをわしづかみ。

 

秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』で有名な、新海誠作品。有名な人だけど、CMくらいしか見たことありません。初めて見る新海誠作品が、『星を追う子ども』なのは、もしかして異端なのかも。

 

ファンだったら、従来の作風との違いなどが気になるのかもしれないけど、そんなこだわりなんにもねーので、たいへん前のめりに楽しめた。

ある日、父の形見の鉱石ラジオから聴こえてきた不思議な唄。その唄を忘れられない少女アスナは、地下世界アガルタから来たという少年シュンに出会う。2人は心を通わせるも、少年は突然姿を消してしまう。

「もう一度あの人に会いたい」そう願うアスナの前にシュンと瓜二つの少年シンと、妻との再会を切望しアガルタを探す教師モリサキが現れる。そこに開かれるアガルタへの扉。3人はそれぞれの想いを胸に、伝説の地へ旅に出る―。

(公式サイトより引用)

 “イザナミイザナギ神話 + インカ文明風地下都市 + ボーイ・ミーツ・ガール”なストーリー。

 

  • 健気系優等生のヒロインが巻き込まれる形で旅に出る
  • 光る鉱石がキーポイント、謎の生物や謎の武装グループ登場
  • ダークヒーローな雰囲気満点かつ時に尊大な大人キャラ
  • 気のいい賢者位置の老人登場
  • ヒロインにまとわりつく小動物

 と、そのあたりが「ジブリに似てる」と批判されるゆえんかも。でもそれ、児童文学のお約束でもあるような。

 

亡き妻との再会を求めて地下都市アガルタへの入り口を探していたモリサキと、モリサキと同行することになったアスナ。彼女たちが旅する地下都市アガルタが、これまたたいそう魅力的。ムー大陸アトランティス帝国など、失われた古代文明が好きな人ならきっと好きになれる、インカ帝国風。

 

ケツァルト、アルカンジェリと出てくる名前もインカ風なら、ときに廃墟が広がる国の景色や、大草原、地上人に蹂躙された歴史を持つ地下帝国など、インカ文明を彷彿とさせるアイテムがいっぱい。

 

テーマは“サヨナラ”あるいは“生と死”。キャッチコピーは「それは、”さよなら”を言うための旅」。

 

アスナはアガルタから来た少年シュンと、アガルタの少年シンは兄と、モリサキは最愛の妻と、それぞれ別れを経験している。

 

それぞれが納得できない別れを抱えたまま、亡き妻の蘇生を願うモリサキの旅に、同行する形になるアスナとシン。

 

納得できない妻との別れを“無かったこと”にしたいモリサキの妄執が、ストーリーを引っ張っていく。年長者ほどあきらめが悪く、全身全霊を込めて愛せる対象に出会う機会は、年長者ほど希少だと知ってるからとも言える。

 

アスナは亡きシュンの面影をシンに見ていて、シンは兄シュンの尻拭いをさせられている。三者三様に、それぞれが“亡き人”に引きずられている状況。

 

それ以外にもヒロインが可愛がっているネコの死など、死がいっぱいで、無意味な死ではなく、意味のある死が描かれる。

 

生きていく上で、死や別れは避けらないという、真理を盛り込みまくり。避けられない死や別れと、どう折り合いをつけながら生きていくのか。死生観に踏み込んでいるあたりが、とってもジュブナイルっぽい。

 

普通の世界なら死は終わりを意味するけれど、異世界でなら蘇生できる方法があった時、試すのか試さないのか。

 

どんな困難を前にしても試そうとする人は、妄執に囚われている人。そうまでして蘇生を願うベースには、心ならずもそばに居ることができなかった後悔と、ひとりで取り残される、孤独への恐怖がある。

 

妻に先立たれた年配の男性が、ときに自暴自棄になるのは孤独に耐えられなくなるから。モリサキは孤独に耐える代わりに、タブーを破ってでもことわりを変えようとする。

 

ことわりを変えようとするモリサキの姿が、年若きアスナとシンに及ぼす作用が見もの。

  • 穏やかな死か、厳しさが待ち受ける生か
  • 死者の国でともに生きるのか。
  • 死者と生きるもの、二度と交わることはなくても相手の生を願うのか。

 そしてみんな仲良く暮らしましたとさ、メデタシメデタシとはいかないから、みんな仲良く暮らしましたとさで終るストーリーが、繰り返し現れるもの。

 

“喪失を抱えてなお生きろ、それが人に与えられた呪いで祝福“というメッセージが、どこまでも重く後を引く。

 

どうしても会いたかった人にすでに会っている人なら、きっと相手に祝福を贈る。誰かに救われた人は、より良き生を願ってシュンのように、救ってくれた誰かに祝福を与えて送り出す。醜いまでに相手の生を願う気持ちと、どこまでも優しく美しく相手の生を願う姿の両極端が描き出され、そのどちらもアリなんだと伝えてくる。

 

醜いまでに相手の生を願う人には孤独があり、美しく相手の生を願う人には諦観があるから、どちらも肯定できる。

 

空から降りてくる“神々の舟”シャクナビバーナの外観とか、キャラ以外もステキ過ぎ。死生観に踏み込みながら、最後はすっきりとした幕切れなところもジュブナイルとして秀逸。実によい拾い物で大満足した。

 

お休みなさーい。

 

今週のお題「映画の夏」

 

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ジェレミー・レナ― × グリム童話は、異種格闘技な味わい

お盆休みに突入するも、美味しいものを食べにいくくらいで、特に予定なし。旅行は秋に行くのさ。蝉の泣き声さえまれで、もうすぐ半袖でも涼しさを感じそうなくらい。

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アマゾンプライムビデオにすっかりお世話になっている。ジェレミー・レナー主演にひかれて選んだ『ヘンゼル&グレーテル』は、有名なグリム童話の後日譚。

ヘンゼルとグレーテルといえば、森に捨てられた兄妹がお菓子の家にたどり着き、魔女に食べられそうになるも、魔女を焼き殺してメデタシメデタシな童話。

 

チョイ悪なキャラがよく似合う、ジェレミー・レナーに童話の主人公が務まるのか???という心配は無用だった。童話をベースとしながらも、ダークな要素もアクション(というよりバイオレンス?)も満載で、大人の視聴に耐えるダークファンタジーになっていた。

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基本的にバイオレンスなものはスルーでマッドマックスも見てないけれど、このくらいファンタジー要素が混じっていれば、なんとかなる。バイオレンスにリアルさを持ち込むのがイヤなんだ。

 

大人になったヘンゼルとグレーテルは、魔女狩りメインの賞金稼ぎで生計を立てている。二人で子供が次々にさらわれる事件を追ううちに、自分たちのルーツにも迫っていくというストーリー。

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一片の同情もわかないような、めいっぱいオソロシげーな魔女の姿がいい。そして、その恐ろし気な魔女を、ためらいもなく退治していくヘンゼルとグレーテルがカッコよすぎて痛快。中世のはずなのに、武器が立派過ぎておかしい。

 

あいつら魔女で悪い奴なんだから、ぶち殺していいよね?という世界観で貫かれると娯楽作になり、悪い奴とはいってもぶち殺す前に、もっと彼女たちをよく知ろうよな世界観で貫かれると社会派になるんだな、きっと。

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展開が早くて飽きることもなく、魔女退治に出生の謎もからむからそこそこ奥行きもあって、狂言回し的な人物のおかげでお笑い要素もあって、予想外に楽しめた。おとぎ話の翻案ものとしては、かなりよく出来ていた。

 

寝付けない夜の子守歌がわりにちょうどいい、シリアスすぎず、お気楽に楽しめる作品でよかった。

 

見てるうちに内容に引き込まれ。。となるとますます寝付けなくなるから、これくらいお気楽~な作品が眠気を誘うにはちょうどいい。

 

内容が無さ過ぎても飽きてしまうし、内容が濃すぎても目が覚めて逆効果。

 

なかなか眠気が訪れない時は、健やかな眠りのための作品を、とにかく漁ってる。

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画像だけは甘い気分で。

 

お休みなさーい。

 

今週のお題「映画の夏」

傑出した才能が自らを滅ぼしていく『完全なるチェックメイト』見た

チェスシーンで退屈するかもと、大きなスクリーンで見るのは敬遠したけれど、チェスシーンこそ真剣勝負でもっとも見応えがあった。

 たかがチェスとはいえ、東西冷戦時代の1970年代、直接ドンパチやるわけにはいかなかった米ソ間の、威信をかけた代理戦争みたいなもの。だから、たかがチェスとはいえ緊迫感満点なんだ。

 

現在でもチェス史上最高の一戦(と言われているらしい)である、アメリカ人ボビー・フィッシャーと世界王者であるソ連のボリス・スパスキーの対決がメイン。

 

チェスは知らなくても、ボビー・フィッシャーの名前なら知っていた。ってかボビー・フィッシャーしか知らん。さほど将棋に詳しくなくても羽生さんなら知ってる、という現象に似てるかも。

 

羽生さんはチェスもプレイしたり、不世出の強さで門外漢にもその名を知られているけど、ボビー・フィッシャーは奇行で知られた人。映画では、いろいろと謎の多い人物の前半生にスポットをあて、チェスプレイヤーとしての傑出した才能と、才能に身を焼かれるまでが描かれる。

 

ボビーは、師を持たずに独力で強くなった人。師を持たず、ただプレイヤーとしてのレベル上げにだけ集中していたから、なるべくしてとっても強くなった人。

 

そりゃこんな幼年時代を過ごして、何らかのタイトル獲らんかったら嘘やろう。。というのがちびっこから青年期にかけてのボビーの生活。

 

大人に混じって大人顔負けのプレイで大人を凌駕してきたボビーには、チェスに強くない大人の言うことは聞くに値しないかのようで、往々にして傲岸で鼻持ちならない。

 

ボビーが鼻持ちならなくて傲岸だから、結局親身になってくれる人や味方になってくれる人を得られず、彼はますます攻撃的になっていく。ごく少数の人以外、みんな敵状態。

 

プレイヤーとしては順調に成長を重ねていくけれど、家庭環境が特殊で家族による庇護も希薄だったせいか、精神のバランスを欠いたまま大人になっていく。

 

四六時中チェスのことしか考えてなかったことを示すエピソードとして、チェス盤に向かってない時でも、口頭で次の一手を指している。「キング→ルーク3」のように、しりとりみたいに常に次の一手を考えていて、もはや次の一手を考えることそのものが、息抜きになってるかのよう。

 

練習量が半端ない。

 

練習量が半端ないプレイヤーで思い出すのは『3月のライオン』の桐山零。彼も練習量が半端ないプレイヤーだけど、ややコミュ障気味とはいえ常識や礼儀はちゃんと身に着けている。フィクションの人物とノンフィクションの人物を比べるのもアレだけど、その違いはやっぱり環境で、零には師もいれば、家族には先立たれたとはいえ疑似家族的な温もりに囲まれてる。

 

競技に専念できる環境は、傑出したプレイヤーとなるためにはあった方がいいけれど、だからといって人としての人格も育まれ、逆境でも取り乱さない強さを作るのかは疑問。

 

ボビーを見ていると、プレイヤーとして強くなるたびに、人格の成長に必要な何かが剥がれ落ちていくようで、不憫。ただもうひたすら不憫になってくる。

 

ただでさえ人格にもろいところがあるのに、そこに米ソ代理戦争としての世界王者戦が、彼の精神をさらに不安定にする。

 

精神のバランスを欠いている時に、もっともやってはいけないことが、ごく少数に向けた“極端に偏った意見に耳を傾ける”こと。

 

精神が不安定気味なのに、あやしいユダヤ陰謀論的な、あやしい教義を説くヘンなもんを四六時中聞いちゃってるから、 ボビーはますますおかしな人になっていく。

 

その危うさに気づいているのも、少数の人だけ。気づいてはいても、どうしようもない。

 

ボビーが耳を傾ける可能性があるのは自分を負かす人だけ。対戦相手であるスパスキーしか、同時代には存在しなかったことが、ボビーの不幸に拍車をかける。

 

奨励会に所属する人たちは、時に敵になることもあるけれど、同時代に同じ将棋というツールを使って会話できる友でもある。でも、チェスの世界には奨励会的なものもなければ、同じチェスというツールを使って会話できる同レベルの人は、鉄のカーテンの向こうにしかいない。

 

ボビーとスパスキー。同じく国家を背負わされたプレイヤー同士だけど、スパスキーは国家の庇護に分厚くくるまれている。ボディガード多数でメディアの盾にもなってくれそうで、静かに物を考えられる贅沢なホテルも用意してくれる。

 

結局当時のソ連は人材こそが宝で国家の最大の売り物であったから、傑出した才能持ちには手厚い庇護があったんだとわかる。

 

ソ連がモノづくりの匠の国だとは、寡聞にして聞いたことがない。ソ連崩壊後も、ソ連製のナントカがないから、とある業界が困ってるなんて話も聞いたことがない。

 

それに対してアメリカは産業の国だから、傑出した才能の持ち主でも、国家の威信をかけて代理戦争に狩り出されても、ガンバレヨ!と電話が来るくらい。プレッシャーだけかけにくる。作中のボビーは、スパスキーに比べて自身の待遇の悪さを嘆くけど、ボビーが頼るべきはほんとは国家ではなく“産業界”だったのよね。

 

不幸なことにボビーの生い立ちがまた、彼自身にはどうしようもない枷となって、産業界の支援もあてにできない状態だったんだけど。

 

傑出した才能をバックアップする環境を得られなかったから、ボビーの精神は崩壊に向かう。ボビーにはどうしようもないのに勝手に背負わされた先天的なものと、後天的なボビーの度し難い性格が混じりあって、もうほんとにどうしようもないほど「ヘンな人」が出来上がってしまった。作中でも「ヘンな人」のエピソードがてんこもり。

 

ガンバレヨ!で勝手に背負わされた国家の威信が、どれほど人の精神を狂わすものなのか。

 

冷静沈着なスパスキーでさえ、時に取り乱し、たかがチェスとはいえ、途轍もない重圧のかかった試合だったから、世紀の一戦となったのかと思った。少なくとも現代では、再現不可能な重圧だから。

 

21世紀になったとはいえ、オリンピック(あるいは代表戦か?)で負けたら檻に入れられる国も世界にはあるらしくて、バカらしい。傑出したプレイヤーは、競技の上達以外は考えなくてもいい環境をめざすべし。

 

たかがチェスが、たかがで終らなかった時代の不幸が世紀の一戦を生んだのなら、もう二度と世紀の一戦なんて生まれなくてもよし。見たいのは、もっと清々しいもの。

 

そう思うほど、勝手に託され、勝手に背負ってしまい、二度と平穏な暮らしには戻れなかったボビーが痛々しい。

 

チェス盤が刻まれた公園のテーブルで、無心にチェスで遊んでいた時代がもっとも幸福そうに見える不世出のプレイヤーは、もう彼で終わりにしようと人々の記憶に刻むために作られた映画。そう思ってもいいくらい。

 

プレイヤーとして強くなるたびに、人としての平穏な生活から一歩遠くなった。精神のバランスを欠きながら、それでも必死で次の一手を考え抜いた人の、人生のハイライトシーンを切り取った映画。痛ましい姿が、記憶に刻まれることもある。

 

 無観客試合といっていい将棋の名人戦は、プレイヤーを守るためでもあったんだね。

 

今週のお題「映画の夏」

 

お休みなさーい。

 

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狸寄席というものに、初めて行ってきた

先月、『狸寄席』というものが狸小路商店街の札幌プラザ2・5であったので行ってきた。落語・漫才・講談ありのジャパニーズ・エンターテイメントショー。

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落語も漫才も講談も、生で聞くのは初めて。昼と夜の部に分かれていて、昼の部は盛りだくさんで出場者も多い。かかるのは新作でもより古典的な落語を味わいたかったら、見るべきは夜の部。その日は都合が合わなかったので、昼の部を鑑賞。いろいろと初めてなことの連続だった。

 

まず、客席に食べ物の持ち込み可。ロビーでは柿八のお寿司や嘉心の麩まんじゅうや蓮根餅、ワインやワインに合うおつまみセットなど美味しそうなものが盛りだくさん。

 

コンサートでは幕間にワインやコーヒーがロビーでサービスされることもあるけど、なんというか。。もっと垢抜けない感じ満点で庶民的。気取らない雰囲気を愛する常連さんがしっかり居そうな感じ。

 

プロ・アマ混合の舞台では、当然ながら知ってるメジャーな名前がひとつもない。。メジャーな名前がひとつもないのにも関わらず、結構笑った。ちゃんと楽しめた。

 

他に本業を持つアマチュアや、メジャーな人の出場は皆無にもかかわらず、ちゃんと面白いんだから、人気のプロやメジャーな人だったら、どんだけ面白いのか。

 

比較のしようもないし、メジャーな人が誰かもわからない分野、まったくの無知でのぞんだからこそよけい面白かったのかも。

 

デキゴトロジーとでもいえばいいのか。実際にあった(かもしれない)超B級な出来事を翻案して、笑いに変える芸。テレビの娯楽が身の丈に合わなくなってきた人にちょうどいい、市井の人向けの娯楽。

 

今後の人生で、何があっても決して手に取ることも見向きもしない文春ネタもあって面白かった。何があっても見向きもしないと決めてるのに、思いがけないところで出会うものさ。

 

今回“講談”という話芸を初めて聞いた。落語が会話芸なのに対して、講談は話芸、話を読み聞かせるもの。お話の面白さで引っ張るものだから、古典を掘り起こせば“失われつつある日本の口承芸能”が見つかりそう。

 

観客の平均年齢高め。時には、なぜここで大ウケする???と謎に思うほど、大笑いしてる人も見つかって不思議な気持ちにもなれた。

 

狸小路商店街にはその昔、寄席もあったそうで、寄席のあった昔を知ってる人には、懐かしさ込みで楽しめるイベントっぽい。観音堂があったものの、廃堂になってしまったのも驚きΣ(・□・;)。宗教施設が廃堂になるものなのか???と思うも、ちゃんとした宗教施設は、昔っからその土地を所有してるからな。その辺の違いなのかも。

 

古典落語しか知らないから、ある意味たいへん新鮮だった。食べ物に釣られてつい長居できてしまったので、食べ物大事ね。

 

お休みなさーい。

暑さは一緒、寒さには地域差ありで納得いかない

札幌も30℃を越える暑さで、夏真っ盛り&夏休みをこれ以上ないほど感じた一日。風が強くて、台風でも来そうなくらい。

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札幌と那覇が同じような気温で納得がいかない。暑くなるのは、札幌も那覇もいっしょなのに。那覇にも雪降らんかい。

 

今日みたいな日には、地球は温暖化ではなく寒冷化に向かっているという、寒冷化説どこ~???と探しにいきたくなる。

 

氷点下にでもならない限り、着こめば寒さは何とかなりそうだけど、暑さは防ぎようがない。炎天下を長時間うろつくこともできないし、思考力も奪う。寒い国の人(北欧とか)は勤勉な傾向にあるけど、寒さは対策さえすれば何とかなる。暑くても生産性を上げる、暑さ対策の方がきっとやっかい。

 

と、この辺りで「ひとつの思いつきに、10で返さんでもええんやで」と家人から注意を受ける。

 

暑いね、という素朴なつぶやきに対して、温暖化とか思考力とか生産性とか。知ってることばを総動員しなくても、そうやねで済ませんかい、暑苦しいと。そうやね、と言いながら、アイスを食べた。生のバナナはさして好きでもないけれど、アイスの実の完熟バナナ味は、バナナの香りとアイスの実特有の食感がマッチしてて美味しかった。

 

バナナ味スイーツ、中でもバナナ味のアイスはどことなくどんくさくて、平らな道でも転ぶような人のイメージを勝手に持ってる。バナナ味スイーツに対する風評被害スマン。

 

生のバナナを使ったスイーツの方が、バナナ味より断然美味しいよねーと思っていたけれど、生のバナナの食感は微妙に苦手。

 

アイスの実のむにゅっとした食感は、生のバナナの食感を生かしつつ、微妙に生のバナナが苦手なごくごく少数の人間でも納得できる弾力のあるところがいい。

 

いえね、美味しかったんですよ、思いがけず。

 

一度もお目にかからずに終わる限定発売品が多いなか、珍しくゲットした限定発売品。ジューシーなメロンとかぶどうもいいけど、今日は変化球が欲しいという時によさげ。

 

暑いので、写真を撮る元気もなかった。。

 

お休みなさーい。