大通公園の噴水が動き始めると観光客を出迎える準備の始まりで、ライラックの花が咲き始めると本格的な観光シーズンの始まり。茶色や枯れ木ばかりだった街路樹にも新緑が芽吹き、花が次々に咲き始めて緑も濃くなっていく。



札幌市内でも最も日当たりがよくて気温が上がりがちな大通公園では、桜が咲く頃からもうライラックが咲き始めているけれど。
さっぽろライラックまつりが始まった5月もなかば(大通会場では5月の14日から25日まで)、ライラックがちょうど見頃を迎える頃でも札幌から離れた場所、ちょっと標高が高くなると空気も冷んやりで、遅咲きの桜やチューリップが咲いている。
さっぽろライラックまつりの会場にはラーメンやワインを筆頭にフードブースが立ち並び、日本の花見と食べ物の縁は深くて長いんだとよくわかる。何を食べようかと迷うほど各種のフードブースが立ち並ぶなか、ライラックの苗木を配るイベント会場が最もライラックまつりらしい。



空模様はイマイチだったけれど、久しぶりに中距離ドライブ。


札幌ではもう散ってしまった花がまだ、あるいはこれから咲こうとしていて、気温差や温度差が目に見えるし体感できる。5月もなかばともなると、だーいぶ残り少なくなったけれどいまだに冠雪している山並みを見ると、北海道らしいとつくづく思う。



タンポポが咲き乱れ、ところどころにほんのりピンクや白い木に咲く花が見え、新緑の緑も一色ではなくて濃淡があって、新緑といっても色とりどり。品種改良が進み、鑑賞用として改良された人の目で見て楽しくてきれいな植物の色とりどりは、段々自然なものとは言えなくなっていくけれど。それでも完全な作り物の色合いよりは全然ましで、質感が違う。
不特定多数の誰かを愉快にさせる、ポジティブな気分にさせることはとても難しくてハードルが高い。逆に不快にさせたりネガティブな気分にさせるハードルはとっても簡単で低い。
だから、非凡な人は不特定多数をポジティブにさせるハードルの高い難事業の方にいるはずで、特定個人をネガティブにするとっても難易度の低いお仕事は、凡人の中の凡人のためのもの。
それでも、凡人が非凡なふりをして非凡な人の中に混じって日々凡庸さをあからさまにさせられるより精神的にはずっとマシなはず。真似から入って学んでもモノにはならなかったから凡人に戻りますと、言葉では伝えられない時の作法の一種だとでも思えばいいのかも。
言葉では伝えられない、言葉を奪われているのなら何らかの罰で、非凡な人、それも不世出のという大袈裟なフレーズが決して飾りではない本当に非凡だった人の生涯をかけた作品や事業を滅茶苦茶にでもしたら、そんな目に遭わされてそうなるのかも。かもかも。
北欧神話では、神々と巨人族との間でラグナロクが起こり、たくさんの神々が死んでしまったあとで残った神々が新しく世界を作り直すところで終わってた。
素晴しいとしか表現しようがない善意でできていた贈り物が、滅茶苦茶にされたあとで少しずつ修復されていく様子はまさにそんな感じ。神々の数が減ってしまった後のお仕事だから修復のスピードもゆっくりで、ゆっくり少しづつだけど猛スピードで猛進するよりずっとマシなんだと思った方がゆっくりを選ぶ。